Okinawa 沖縄 #2 Day 123 (13/08/21) 旧玉城村 (14) Nakandakari Hamlet 仲村渠集落
旧玉城村 仲村渠集落 (なかんだかり)
- 西喜名地 (イリチナヂー) のイートクのアジシー
- 上ジョーナカアカマ地のアサギのアジシー
- 西喜名後の殿 (イリチナクシヌトゥン)
- 知名殿 (チナトゥン)
- 知名後の御嶽 (チナークシヌウタキ、女ヌ御嶽 イナグーヌウタキ)
- 奥武之殿 (オーヌトゥン)
- 仲村渠公民館 (仲村渠児童館)
- 根所 (ニードゥクル)
- 新喜名の西の井泉 (ミ―チナヌイリヌカー)
- 神谷之殿 (カミヤヌトゥン)
- 仲村渠樋川 (ナカンダカリヒージャー)
- 仲村渠農村公園
- 平良原小の井泉 (ヒラバルグヮヌガ-)
- 平良原小の久高井泉 (ヒラバルグヮヌクダカガ-)
- アサギの神屋
- アサギの庭 (ナー) の井泉 (カー)
- アサギ東ハンタのアジシー
- 仲屋比久 (ナカヤビク) のアサギのアジシー [未訪問]
- 明東城 (ミントングスク)
- ミントン井泉
- 山嶺 (サンティン)
- 百名大主のアジシー (墓)
- 東世の御通し (アガリユーヌウトゥーシ)
- ニライカナイへの御通し
- ミントンの御嶽 (火之神)
- 明東 (ミントン) の神屋
- トクン下のミントンのアジシー
- 前アカマの拝所 (メーアカマヌウガンジュ)
- 前アカマの拝所の井泉 (メーアカマヌウガンジュヌカー)
- 前ガナハ前の久高井泉 (メーガナハメーヌクダカガ-)
アーヂ島 (2022月2月1日 訪問)
今日はいつもとは違うルートで向かう。津嘉山から、本部、照屋、喜屋武、大里、大城を通り、大城ダムの坂を登り、琉球ゴルフ倶楽部の北側外周の喜良原、親慶原を突っ切り、次回訪問予定の垣花から坂を下り、仲村渠に入る。
旧玉城村 仲村渠集落 (なかんだかり)
仲村渠は沖縄発祥の地ととされている。その集落の始まりはアマミキヨが定住した明東 (ミントン) と考えられており、その他アマス屋、ナガマシ屋という旧家も存在している。琉球祖先宝鑑によると、「長男天孫氏は中山王の始組なり。在せし地は玉城間切仲村渠村三重殿と言う家なり」とある。この地から琉球各地に天孫氏の子孫が移り繁栄したとされ、その多くの子孫達は東御廻い (アガリマーイ) で毎年このミントンを拝んでいるそうだ。はっきりとした文献は無いにしろ、昔からの伝承や、沖縄各地の住民がこのミントンをルーツとして訪れ拝んでいることからも仲村渠部落が琉球発祥の地に大きく関わっていると思われる。
データがある明治時代の人口は約400人であったが、それ以降人口はどんどん減っており、ここ40年は230人程で停滞している。世帯数も明治時代に比べても10%程しか増えていない。仲村渠地区のほぼ半分は北にある琉球ゴルフクラブになっており、集落は丘陵の斜面の谷間にあり、集落が拡張する余地はほとんどない。かつてここには米軍のCGSという秘密部隊の基地があり、1976年に沖縄の返還とともに閉鎖され跡地に琉球ゴルフクラブが建設された。この場所が占領下でなかったなら、仲村渠の歩みも随分と変わっていたかもしれない。
仲村渠集落の領域がGoogle Map (下記地図で赤く囲った部分) と南城市ホームページに紹介されているものと異なっている。南城市ホームページでは集落の南東の海岸部分は含まれていない。海岸は仲村渠浜となっているので、南城市ホームページが間違っているようだ。集落の北西部分、仲村渠区の半分は琉球ゴルフ倶楽部になっている。南東部はその半分が傾斜地で、かつては段々畑になっていたようだ。その南は海岸への平坦地で民家はほとんどなく耕作地となっている。これは昔から変わっておらず、住宅地は昔からの集落の付近で拡張はしていない。
玉城村誌に記載された拝所 (太字は訪問した拝所)
- 御嶽: 喜名之嶽 (神名: ソントンノマイケガ御イベ、チナー後の御嶽)
- 殿: 奥武之殿、知名之殿、神谷里主所之殿 (神谷之殿)、仲村渠里主所之殿 (前アカマの拝所)
仲村渠集落で拝んでいる拝所は多く、便宜上2班で手分けして御願を行っている。
仲村渠集落訪問ログ
西喜名地 (イリチナヂー) のイートクのアジシー
上ジョーナカアカマ地のアサギのアジシー
西喜名後の殿 (イリチナクシヌトゥン)
知名殿 (チナトゥン)
知名後の御嶽 (チナークシヌウタキ、女ヌ御嶽 イナグーヌウタキ)
奥武之殿 (オーヌトゥン)
仲村渠公民館 (仲村渠児童館)
根所 (ニードゥクル)
新喜名の西の井泉 (ミ―チナヌイリヌカー)
神谷之殿 (カミヤヌトゥン)
仲村渠樋川 (ナカンダカリヒージャー)
仲村渠農村公園
この展望台の所にも酸素ボンベの鐘が吊るされている。この下の海岸にある畑で働いていた人たちへの連絡の為にここに置かれていたのだろう。
平良原小の井泉 (ヒラバルグヮヌガ-)
平良原小の久高井泉 (ヒラバルグヮヌクダカガ-)
アサギの神屋
アサギの庭 (ナー) の井泉 (カー)
アサギ東ハンタのアジシー
仲屋比久 (ナカヤビク) のアサギのアジシー [未訪問]
明東城 (ミントングスク)
ミントン井泉
ここで二人の男性と出会った。東御廻り (アガリウーマイ) を自動車でしているそうだ。御願というよりは、観光としてまわっている様だ。
この明東城 (ミントングスク) は、国正の「東御廻り (アガリウーマイ)」や聞得大君 (きこえのおおきみ) の就任儀礼 (の帰路) に参拝された。東御廻り (アガリウーマイ) はニライカナイからやってきたアマミキヨにまつわる14の聖地を拝巡するルートで、初代琉球国王となった尚巴志(1372-1439) が始めたといわれている。首里城内にある園比屋武御嶽から始め、与那原町と南城市にある拝所を巡るもの。このうち幾つかは既に訪れ、残りは知念にある拝所で、知念を巡る際に訪れる予定だ。いつかは、通しで、昔と同じように徒歩にて巡ってみたい。約37kmになるので二日必要だろう。
❶ 園比屋武御嶽 → ❷ 御殿山 → ❸ 親川 → ➍ 場天御嶽 → ❺ 佐敷グスク → ❻ テダ御川 → ❼ 斎場御嶽 → ❽ 知念城 → ❾ 知念大川 → ➓ 受水・走水 → ⓫ ヤハラズカサ → ⓬ 浜川御嶽 → ⓭ ミントングスク → ⓮ 玉城グスク
仲村渠の村落祭紀では、3月あるいは4月の神御清明 (カミウシ―ミ―)、 6月25日のアミシヌ御願で拝んでいる。
明東 (ミントン) の神屋
ミントングスクのある屋号 長桝 (ナガマシ) の住居の二階隣には神屋があり、祭壇には、厨子が置かれ、中央に「阿摩美姑神」の位牌、その左にアマミキヨ (阿摩美久、アマミク、アマミチュ) とその外側にシネリキヨ (志禰礼姑、シネリク、シルミチュ) の香炉、向かって右側には天孫子、その外側にミントンの先祖の香炉が安置されている。祭壇左手の床面には火ヌ神を祀る香炉が置がある。1月2日の初ウビー、2月15日の二月(ニングヮチ) ウマチー、5月15 日の五月(グングヮチ) ウマチーの村落祭紀で拝まれている。
トクン下のミントンのアジシー
ミントングスクの南西にある崖にあるミントン家の古墓がある。道路の脇がら崖下に降りると斜面に墓がある。ここには、ミントン家の遺骨が葬られていたが、現在は、垣花の外当 (フカータイ) 門中の墓に合祀されていると伝わる。資料に載っていた写真からは石積みが崩れてしまっている。遺骨は移されてしまったのだが、現在でも集落で拝まれている。
前アカマの拝所 (メーアカマヌウガンジュ)
今度は集落南部の百名集落との境にある拝所を訪れる。屋号 前アカマのそばにある拝所で、番屋とも呼ばれている。村の種火を置いていたといわれる。琉球国由来記の「仲村渠里主所之殿」に相当するとみられる。玉城ノロにより、「麦穂祭」、「稲二祭」が司祭されていた。
前アカマの拝所の井泉 (メーアカマヌウガンジュヌカー)
前アカマの拝所 (メーアカマヌウガンジュ) の道向かいの塀に通用門らしきものがあったが、そこは門ではなく井戸跡になっていた。前アカマの拝所の井泉 (メーアカマヌウガンジュヌカー)、または番屋ヌ井泉と呼ばれ、前アカマヌ拝所とグサイ (鎖、対の意味) の井泉といわれている。
前ガナハ前の久高井泉 (メーガナハメーヌクダカガ-)
前アカマの拝所の近くに、前ガナハ前の久高井泉 (メーガナハメーヌクダカガ-) があると資料にはなっていたが、よく見るとここは先日百名集落を訪れた際に見た井戸跡だった。久高島の人たちが百名路を通り、ミントンを参拝する前に手足を清めた場所という。ここは百名集落では拝まれておらず、仲村渠集落で拝まれている。
これで仲村渠集落の文化財巡りは終了。まだ時間があるので、旧玉城村の最後の訪問地になる垣花集落を訪れることにして、仲村渠に一番近くにある垣花樋川を訪れた。この垣花樋川は、今まで訪問した井泉で、一番気に入っている所。訪問記は、次回の垣花集落訪問記にふうめることにする。
アーヂ島 (2022月2月1日 訪問)
2021年8月13日に仲村渠集落を訪れた際、仲村渠農村公園から見下ろせた無人島のアーヂ島に立ち寄った。このアーヂ島には急な斜面を降りなければならず、前回の訪問では、仲村渠集落巡りで、エネルギーを使いは果たし、ここまで降りてまた昇るという気力が残っていなかった。今回はちょうど、旧知念村の山里集落を巡った際に海岸まで降りたので、海岸線を通ってこの島まで来てみた。知念岬からここまでは海岸線の道が通っている。ここで海岸通りは途切れ、百名ヤブサツの御嶽がある崖で行き止まりとなっている。アーヂ島は無人島で個人所有で立ち入り禁止となっている。観光会社の研修施設と出ていたが、現在は地場のOKINAWA RESORT LABが所有して、「無人島プロジェクト」を打ち出し、ここに観光リゾート施設の開発を計画している。ホームページには、立派な施設の完成予定図が掲載されている。まだ計画段階の様で、この会社ではこの島をそのまま貸出しの事業を行っている。研修や団体のキャンプなど、申し込めば利用でき、インターネットでその利用案内が出ていた。そこにこの島の歴史などが出ていた。「アーヂ島とは、神の島、久高島と本島をつなぐ無人島4島の一つであり、ニライカナイから渡ってきた、女神アマミキヨのアマミキヨ集団がコマカ島、タマタ島、アドギ島、アーヂ島の四島を経由した「ゴッドライン」を渡り、ヤハラヅカサから、沖縄本島に降臨したという伝説が残っており、神秘性のある島です。」とある。OKINAWA RESORT LABはIT企業でアプリ開発、システム開発、ITサービスを行っているのだが、沖縄の地場企業ということから、その収益を沖縄の文化の継承、沖縄への貢献という理念でこの「無人島プロジェクト」を推進している。是非とも成功してもらいたいと思う。[コマカ島へは安座真の待垣泊 (マチザチトゥマイ) から、知念海洋レジャーセンターが船を出している]
参考文献
- 南城市史 総合版 (通史) (2010 南城市教育委員会)
- 南城市の御嶽 (2018 南城市教育委員会)
- 南城市のグスク (2017 南城市教育委員会)
- 大里村史通史編・資料編 (1982 大里村役場)
- 南城市の沖縄戦 資料編 (2020 南城市教育委員会)
- 沖縄県戦争遺跡詳細分布調査 I 南部編 (2001 沖縄埋蔵文化財センター)
- 王城村グスクとカー (湧水・泉) (1997 玉城村投場企画財政室)
- 玉城村誌 (1977 玉城村役場)
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