Okinawa 沖縄 #2 Day 225 (27/11/22) 那覇四町 (5) Nishi Area 西
那覇四町 西 (にし、イリ)
- 薩摩藩在番奉行所跡
- 昆布座跡
- 油座跡
- 学校所跡
- 西の海跡 (ニーシヌウミ)
- 大正劇場跡
- 平和館跡
- イロノベ御蔵跡
- 旭館跡
- 伊波普猷生家跡地
- 龍界寺跡
- 辻蔵跡
- 真教寺
- 新天地劇場跡
- クバチカサ跡
那覇四町 西 (にし、イリ)
この西村は大正3年の区画改正で、西本町、辻町、通堂町 西村と東村の一部)、上之蔵町 (西村と東村との 一部)、西新町 (明治中ごろの埋立地) に区分され、それぞれ独立行政字となっている。那覇は行政区分が複雑に変遷している。琉球王統時代の西村は現在の西一丁目で比較的狭い地域だった明治から大正時代にかけて西の海が埋立されて現在の西二丁目が西新町となり、元々の西村は西本町となっている。昭和になって更に西の海の埋め立てが拡張され、昭和35年には元町と改称され、東町と通堂町も元町に編入された。この名称変更、行政区分変更は住民には不評で反対運動が起こり、翌年昭和36年に西、東町、通堂町の以前の行政区分に戻り現在に至っている。
明治時代は狭い西村には4000人もの住民がいたのだが、戦後の人口の戻り方は非常におそく、元々の西村だった西一丁目は現在でも明治時代の半分にしか戻らなかった。人口は埋め立てされた旧西の海の二丁目と三丁目で増加してようやく4000人に戻っている。近年は人口は減少傾向になっている。戦前までは那覇の中心地だったが、土地返還が遅く復興に時間がかかり、那覇中心地が泉崎、久茂地に移ってした事や、戦前の西や東町には元々昔から住んでいた住民は少なく、商売を目的で沖縄各地や本土から移ってきた住民が多かった事で、他の集落とは異なり、土地に対しての執着はなく、商業地が久茂地、牧志に移っていた事からそちらの方に移っていったのかも知れない。
西訪問ログ
昆布座跡
油座跡
西の海跡 (ニーシヌウミ)
大正劇場跡
平和館跡
1919年 (大正8年) には、旧西本町に平和館が開館し活弁を催していた。昭和5年に開館した旭館とともに昭和7年からはトーキー映画が上映されるようになった。
イロノベ御蔵跡
旭館跡
伊波普猷生家跡地
龍界寺跡
辻蔵跡
真教寺
上之蔵大通り沿いに真教寺がある。この寺院は比較的新しく、1882年 (明治15年) に西の海の湯屋の前と呼ばれた一帯約400坪が埋め立てられて、その埋立地に最初に建てられたのが東本願寺 (現真教寺) だった。 西新町は、この寺の周辺から次々に新建築がひろまっていったが、当時はもっ ばら鹿児島商人の建物であったそうだ。
新天地劇場跡
クバチカサ跡
参考文献
- 那覇市史 資料篇 第2巻中の7 那覇の民俗 (1979 那覇市企画部市史編集室)
- 沖縄風土記全集 那覇の今昔 (1969 沖縄風土記刊行会)
- 沖縄アルマナック 5 (1980 喜久川宏)
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