Okinawa 沖縄 #2 Day 224 (24/11/22) 辻村 (1) Tsuji Area 辻
辻村 (つじ、チージ)
- じゅり馬まつり
- 辻新思会(以前の村屋)
- 鏡寺 (カガンヌウティラ)
- 志良堂御嶽 (シラドウウタキ)
- 祝女井戸 (ヌールガー)
- 石被 (イシカブイ)
- 唐守森 (トゥーマムイ、唐守嶽)
- 辻 (チージ) の軸 (ジク)
- 鄭大夫岩 (テイタイイワ)
- 辻御嶽の開祖三王女の祠
- 辻開祖之墓
- 辻御嶽の火ヌ神 (ヒヌカン)
- 獅子屋拝所
- 獅子屋御嶽 (辻南公園)
- 大正劇場跡
- 辻原墓地跡 (チージバルボチ)
- 三文珠 (サンモウジ)
- 料亭那覇、料亭佐馬、料亭松之下
- 波の上うみそら公園
辻村 (つじ、チージ)
1908年 (明治41年) に仲島と渡地が辻に統合され、辻には政財界や教育界などあらゆる人々が集い、夜毎、接待や華やかな宴が繰り広げられていた。大正年間には沖縄県の年間予算の5%に及ぶ税収があったとも言われるほどの活況を呈し、沖縄県の一大産業と化した。1934年 (昭和9年) 頃には176軒以上の遊廓が建ち並び、政財界を始めとしたありとあらゆる階層の男達が出入りするようになった。1944年 (昭和19年) の10・10空襲により辻は焼失し辻遊廓も終焉となった。一部のジュリは慰安婦として日本軍に徴用されていた。翌年に敗戦となり、沖縄が米軍占領下におかれたことによって270年あまりの歴史に幕を下ろしている。戦後、辻には食事と琉球芸能を堪能できる料亭が立ち並ぶ花街として復活している。戦後、辻近辺は立ち入り禁止区域となり、ようやく1952年に解放されている。
辻は他の集落と異なり、女性だけの遊廓の街で、門中なども存在しなかった。通常の集落は御嶽、殿、門中関係、農耕関係の祭祀行事だが、辻にはそれらが存在せず、下の表の様に祭祀行事は他の集落に比べて少なく、反対に独自の行事があった。
辻村訪問ログ
じゅり馬まつり
- 鏡寺 (カガンヌウティラ)
- 志良堂御嶽 (シラドウウタキ)
- 祝女の井戸 (ヌールガー)
- イシカブイ
- 軸 (ジク)
- 辻御嶽 開祖の祠
- 辻開祖之墓
- 火の神 (ヒヌカン)
辻新思会(以前の村屋)
鏡寺 (カガンヌウティラ)
志良堂御嶽 (シラドウウタキ)
祝女井戸 (ヌールガー)
石被 (イシカブイ)
唐守森 (トゥーマムイ、唐守嶽)
辻 (チージ) の軸 (ジク)
鄭大夫岩 (テイタイイワ)
辻の隣の久米村に鄭憲という武勇に優れた人が住んでいた。鄭憲は大夫という官職にあり鄭大夫と呼ばれて人々から尊敬されていた。
ある日の夜、外から鄭大夫を呼ぶ声が聞こえ、鄭大夫が外に出ると、赤い目の巨大な牛マジムン (魔物) が鄭大夫に向かって突進して来た。鄭大夫は牛マジムンの角を掴まえて押し止めたが、牛マジムンと一進一退の押し合いとなり、遂には鄭大夫が牛マジムンを組伏せ、唐守森まで押して行くと東の空が明るくなってきた。鄭大夫は力を振り絞り牛マジムンを大岩に押し付けて夜明けを待った。陽が昇りきると遂に牛マジムンが動かなくなった。鄭大夫が牛マジムンを見ると、牛マジムンは消えて、古ぼけた龕があるだけだった。
辻御嶽の開祖三王女の祠
むかし沖縄には、唐から船が入ると、たくさんの男たちが上陸し、長い間滞在していたが、その間民家にはいり込んできて婦女子にいたずらをする者が多かった。困った首里王府は向象賢が王に進言をし、三人の王女 (ウミナイビ) を辻 (チージ) に住まわせて、男たちの相手をさせた、つまり一般家庭の娘たちを守るために王の娘が犠牲になったのがチージのはじまりとある。
むかし、首里中山の王女 (ウミナイビ) 三人が、生活が苦しく、辻にきてひっそり暮して いるのを唐からきた男たちが見染めて恋心をおこして、唐から持ってきた金や着物や食物などを持ちよって王女 (ウミナイビ) と協力して花の島をおこした。
更に、別の伝承は
王女が外国人にさらわれて身をけがされてしまい、王家へ戻ることが出来なくなってしまった。王女は外国人から沖縄の女性を守る為、側女(そばめ)と共に遊郭を開いた。
辻開祖之墓
辻御嶽の火ヌ神 (ヒヌカン)
獅子屋拝所
獅子屋御嶽 (辻南公園)
この拝所は獅子屋 (シーサーヤー) の御嶽、クバチカサの御嶽と呼ばれ、前村渠の守護神の弥勒 (ウミルク) 神を祀っている。前村渠の根所であった春風楼が管理していた。明治41年に仲島と渡地の両遊廓が辻遊廓に併合された後は、移住して来た仲島と渡地のジュリはこの獅子屋の御嶽を拝んでいたが、戦後は唐守森で御願をするようになった。公園内にはいくつもの小さな祠が置かれている。それぞれの拝所が何を祀っているのかは情報が見当たらなかった。
前村渠にあった拝所で現在も残っているのはここだけなので、おそらく前村渠に点在していた拝所をここに移設合祀しているのだろう。前村渠の守護神はミルク神 (弥勒) なので、このうちの一つはその拝所と思う。
大正劇場跡
辻原墓地跡 (チージバルボチ)
三文珠 (サンモウジ)
料亭那覇、料亭佐馬、料亭松之下
料亭松之下は唐守嶽の丘の上にあったが、現在は松風邸という老人ホームが建っている。
波の上うみそら公園
参考文献
- 那覇市史 資料篇 第2巻中の7 那覇の民俗 (1979 那覇市企画部市史編集室)
- 沖縄風土記全集 那覇の今昔 (1969 沖縄風土記刊行会)
- 沖縄アルマナック 5 (1980 喜久川宏)
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