Okinawa 沖縄 #2 Day 225 (27/11/22) 那覇四町 (4) Tudo Area 通堂町
那覇四町 通堂町 (つうどう、トンドウ)
- 思案橋
- 渡地村 (ワタンジ)
- 宮古蔵(ミャークグラ)
- 硫黄城 (ユーワーグスク)、荒神堂、中之堂
- 迎恩亭 (コウオンティ、通堂 トンドウ)
- 唐船小堀 (グムイ) 跡
- 三重城 (ミーグスク) 跡
- 沖の宮 (臨海寺) 跡
- 通堂大道
那覇四町 通堂町 (つうどう、トンドウ)
通堂町は大正2年に、東村から離れ独立行政区となっている。当時は各種商社が建ちならび、旅館や商店も多くあった。大正の末期になって首里からの沖縄電気軌道の終点が通堂に延びてきて、首里からの船の送り迎えは非常に便利になった。戦前の通堂町は那覇港を抱え、町に砂糖依託倉庫や船会社があった。通堂には通堂日傭 (とんどうびょう) と呼ばれた那覇港の荷役作業員が多く働いており、出入船の時は祭りの様に賑わったが、浅橋に船舶が一隻もない時はひっそりとしていたという。戦後、那覇港は北側は商業港、対岸の北側は米軍軍港として開発が進んだ。
通堂町の人口を調べると、見つかったデータでは1960年から1972年までは約60世帯、300人の人が住んでいたが、1973年には半減、1974年にはわずか5世帯30人迄激減し、それ以降はデータでは住民はいなくなっている。これがどのような背景なのかは書かれていなかった。1972年は本土復帰の年に当たるのが、何か関係しているように思える。1972年以前は米軍基地周辺には、そこでの仕事を求めて多くの人が住んでいたが、本土復帰以降その基地での仕事は激減し、沖縄各地で基地周辺の人口は激減している。那覇港の対岸は米軍の軍港が存在し、戦後はこの周辺の住民は基地建設やそれ以降の関連業務を仕事としていた。この通堂町も、同じような状況で、仕事が激減し、他の地域に仕事を求めて去っていった住民が多くいたのではないだろうか?とはいえ、現在ではこの地域の人口がゼロになっていることはそれだけの理由ではないと思える。米軍統治から解放されて沖縄県として都市計画が自由に進められることになり通堂は那覇港関連産業地域として開発対象になり住民に対して移住を沖縄県として求めたのではないかとも思える。これはあくまでも個人的推測なので、機会があればもう少し深く調べてみたい。
通堂町を見て回ると、確かに民家はほとんどない。通堂町はほとんどが那覇港埠頭で東町、西との境には沖縄製粉工場、太平洋セメントや金城キク商会のセメント関連工場、琉球海運が建っている。
通堂町訪問ログ
思案橋
渡地村 (ワタンジ)
宮古蔵(ミャークグラ)
硫黄城 (ユーワーグスク)、荒神堂、中之堂
迎恩亭 (コウオンティ、通堂 トンドウ)
現在の那覇港ターミナルのあたりがかつての迎恩亭の場所になる。
唐船小堀 (グムイ) 跡
迎恩亭と渡地の島の間の海は唐船小堀 (グムイ) と呼ばれ、進貢船や貿易船が停泊する船泊となっていた。現在は埋め立てられて、当時の面影は残っていない。
三重城 (ミーグスク) 跡
三重城 (ミーグスク) は、王農大比屋城 (オーヌオヒヤグスク) とも呼ばれていた。尚清王の夫人の父親で、この地域一帯を領地としていた楚辺村の豪族の王農大親 (オーヌウフヤ) による築城とされている。当初は、屋良座森城(ヤラザモリグスク)とともに、13世紀から16世紀に朝鮮半島や中国大陸沿岸で活動していた倭寇からの防衛の辺防堡塁としての砦だった。三重城は新城とも記されていた事から、1551年から22年にわたって築造された屋良座森城のすぐ後に造られたのではないかと推測されている。尚元王代に和寇が襲来したがこの地で撃退したと記されている。1694年の台風で三重城への長堤の板橋が流失し2年がかりで石造橋に改築している。その後1713年 にもこの石橋の大修理を行なっている。1717~1718年には那覇港の改修工事が行われ、蔡温による撰文の記念碑の新濬那覇江碑文が渡地から恩迎亭への道沿いに建てられていた。那覇港の浚渫や新しい橋の架設などについて記されている。沖縄戦で破損し右下部分が欠けてしまったが、現在は博物館で保管されている。ました。首里那覇港図屏風はその碑文が描かれているので那覇港改修完成以降のものと思われる。
沖の宮 (臨海寺) 跡
戦前の臨海時の写真が残っている。当時は立派な大きな寺だったことが判る。
通堂大道
参考文献
- 那覇市史 資料篇 第2巻中の7 那覇の民俗 (1979 那覇市企画部市史編集室)
- 沖縄風土記全集 那覇の今昔 (1969 沖縄風土記刊行会)
- 沖縄アルマナック 5 (1980 喜久川宏)
- 渡地村跡 (2007 沖縄県立埋蔵文化財センター)
- ぐすく沖縄本島及び周辺離島 グスク分布調査報告 (1983 沖縄県立埋蔵文化財センター)
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