Okinawa 沖縄 #2 Day 45 (16/10/20) 旧東風平 (8) Kochinda Hamlet 東風平集落
東風平集落 (こちんだ)
- 東風平之殿 (氏神、コチンダヌトゥン、ヂーンチュヌトゥン)
- 今帰仁井 (ナキジンガー)
- 金城之殿 (カナグシクヌトゥン、ガチジョウヌトゥン)、ガチジョーガー
- 下フヅキ之殿 (シモフヅキヌトゥン)
- 城 (グスク) 門中 神屋
- 佐久真之殿 (サクマヌトゥン)
- ノン殿内 (ドゥンチ)
- シジリカー [10月19日 訪問]
- 中間之殿 (ナカマヌトゥン)
- 神谷之御嶽、神谷之殿
- 湧洞之嶽 (ワカドヌタキ)
- 後之井 (クシヌカー)
- ソーヌカー (仲間ガ-)
- ハラガー
- 産井 (ウブガー)
- 獅子森 (シシムイ、獅子 [シーシ] のお墓)
- 伊良皆之嶽 (イラミナヌタキ)
- 東風平公民館
- 獅子ヒサ洗ガー
- 銭城森 (ジングシクムイ) [10月30日 訪問]
- 学校井 (ガッコーガー)/東風平小学校跡
- ヒージーガー
- 大ミショウ之殿
- トンチガー
- 金満御嶽 (松尾之御嶽)
- 松尾井 (マツオガー)
- ガチジョウ-井 [10月30日 訪問]
- 白金井 (シリンガー、世利井) [10月30日 訪問]
- 比根屋門中墓 [10月30日 訪問]
- 東風平の石獅子
- 北の石獅子 (子ヌ方の獅子)
- 西の石獅子 (酉ヌ方の獅子)
- 龕屋
- 南の石獅子 (午ヌ方の獅子)
- 伊覇の石獅子
東風平集落 (こちんだ)
八重瀬町の中心の字だけあって、人口はコンスタントに増え続けている
八重瀬町の中でも断トツに人口が多いのがこの東風平
住宅地開発が行われた字東風平と隣接する伊覇と屋宣原の三つの字で旧東風平の53%、八重瀬町全体の38%をも占めている。
東風平村史に掲載されている東風平の拝所は、中心地であることと、集落範囲が広いことから相当数ある。(太字は訪問した文化財)
- 御嶽: 松尾之嶽 (金満御嶽)、神谷之嶽、湧洞之嶽 (ワカドヌタキ)、伊良皆之嶽 (イラミナヌタキ)、安次嶺之嶽 (アシンミノヌタキ、所在地不明)、伊廬嶺之嶽 (イへルミネヌタキ、所在地不明)
- 殿: 東風平之殿 (コチンダヌトゥン、ヂーンチュヌトゥン)、大ミショウ之殿、下ワヅキ之殿、神谷之殿、佐久真之殿 (サクマヌトゥン)、中真之殿 (ナカマヌトゥン)、 金城之殿 (ガチジョウヌトゥン)、上地嶺之殿 (ビージーヌトゥン)、シヤマ之殿 (シヤマヌトゥン、サマヌトゥン)、比嘉之殿 (ヒガヌトゥン)、トチ之殿 (トンチヌトゥン)、組直之殿 (イシジャヌトゥン)
- 泉井: 世利 (シーリガー)、ガチジョウガー、今帰仁ガー、後 (クシ) ヌカー、産井 (ウブガー)、赤嶺 (アカンミネ) ガー、松尾ガー、ビーヂーガー、トンチガー、ソーヌカー (佐久真ガー)
東風平町教育委員会編集の「殿・御嶽・井戸調査報告書」では上記の他に以下の拝所を挙げている。
- 泉井: ハラガ-、仲間井 (ナカマガ-)、獅子ヒサ洗井
- その他: 銭城森 (ジングシクムイ)、ノロ殿内、シーサー毛
東風平之殿 (氏神、コチンダヌトゥン、ヂーンチュヌトゥン)
今帰仁井 (ナキジンガー)
金城之殿 (カナグシクヌトゥン、ガチジョウヌトゥン)、ガチジョーガー
下フヅキ之殿 (シモフヅキヌトゥン)
城 (グスク) 門中 神屋
佐久真之殿 (サクマヌトゥン)
ノン殿内 (ドゥンチ)
シジリカー (仲間井) [10月19日 訪問]
中間之殿 (ナカマヌトゥン)
神谷之御嶽 (カミヤヌウタキ、カナヌウタキ) [神名: 金山威部 (カメヤマヌイベ)]、神谷之殿 (カミヤヌトゥン、カナヌトゥン)
比嘉之殿 (ヒガヌトゥン)
湧洞之嶽 (ワカドヌタキ) [神名: 金山威部 (カメヤマヌイベ)]
後之井 (クシヌカー)
ソーヌカー (産井)
ハラガー
産井 (ウブガー)
名不詳の井戸跡 (10月24日訪問)
産井 (ウブガー) ン西側は丘陵ちになっており、上に東風平運動公園がある。その公園内に井戸跡があった。まったく情報は見つからなかった。
獅子森 (シシムイ、獅子 [シーシ] のお墓)
伊良皆之嶽 (イラミナヌタキ) [神名: 琉斤威部 (リュウキンヌイベ)]
東風平公民館
獅子ヒサ洗ガー
公民館のすぐ近くの道路の石垣に一つだけ窪みがある。これが井戸跡だそうだ。獅子ヒサ洗ガーと呼ばれている。
旧暦8月の豊年祭での獅子廻りの道行列 (ミチズネイ) が終わった後ここで獅子舞の足を洗うという。どのような光景かは載っていないのだが、ここも獅子にかかわる文化財だ。東風平の獅子舞は地域の守り神「神獅子」と呼ばれ、300年以上の伝統があるそうだ。獅子廻りの道行列 (ミチズネイ) は130年程前に、東風平村に天然痘が大流行しま時に、魔除けとして獅子加那志を仕立て、村人の健康と豊年を祈願して道行列をしたのがはじまりと伝えられている。
銭城森 (ジングシクムイ) [10月30日 訪問]
獅子ヒサ洗ガーの近くに小さな丘がある階段で上に登れるようになっているので拝所があると見た。ここは東風平集落の銭城門中の拝所だ。丘の上に二つ祠がある。詳細は不明。
学校井 (ガッコーガー)/東風平小学校跡
公民館からそれほど遠くないところに井戸跡がある。これは面白い名の井戸だ。公民館の地図に載っていたのだが、ガッコーガーという井戸。はじめは何を意味しているのかは分からなかったが、現場に行って判明。井戸跡のところに東風平小学校跡の石碑があった。つまりガッコーとは学校のことだった。井戸がいつからあるのかは分からないが、命名はそれほど昔ではないはずだ。志田伯には尋常ガーがあった。これは尋常小学校のところにあった井戸。小学校は尋常小学校より後なので、昭和に入ってからの命名かもしれない。
ヒージーガー
学校井 (ガッコーガー) の近くの住宅街の中にあった井戸。形式保存だが、民家の塀の中をくり抜いて保存してある。ここまでして残していることは、この井戸は昔から信仰の対象であったことを表している。
大ミショウ之殿
もう少し進むと大ミショウ之殿がある。東風平村史では畑の中にあると出ていた。東風平村史は1976に編纂されているので、1970年代ではここは畑が広がっていたのだ。現在では住宅街となっている。ここは赤嶺門中によって管理されて、赤嶺門中の殿になっている。大ミショウとは何を意味するのだろう?
トンチガー
小学校の校庭の隅にフェンスで囲まれた井戸跡の拝所がある。集落の東側にあたる。
金満御嶽 (松尾之御嶽) 神名: 与那原威部
松尾井 (マツオガー)
御嶽のある小山の下には松尾井 (マツオガー) が形式保存されている。
ガチジョウ-井 [10月30日 訪問]
東風平運動公園サッカー場の丘陵の斜面にある井戸。
白金井 (シリンガー、世利井) [10月30日 訪問]
字東風平の北の端にある井戸跡。民家の塀の間にあったため見落としていたようだ。この井戸は東風平、伊覇の共通の井戸だったそうだ。
比根屋門中墓 [10月30日 訪問]
白金井 (シリンガー、世利井) の後、帰り道に井戸が見えたので寄ってみると、比根屋門中の墓だった。ここは伊覇なのだが、東風平集落の門中の墓だ。
東風平の石獅子
東風平集落にある四体の石獅子は東西南北の名がつけられて、集落を囲み守っているとあるのだが、位置関係を見ると集落北側には位置していない。北が側ががら空きとなる。北側からの災難がなかったからか、とは言え、だいたいは四隅を囲むように設置されている。ここで案内にもでているが、伊覇の石獅子を勘定に入れると北側が守られる。かつて東風平と伊覇は村の期限が同じで家族のようなものだったから、二つの村は一つとして考えられていたのかも知れない。
北の石獅子 (子ヌ方の獅子)
龕屋
西の石獅子 (酉ヌ方の獅子)
集落の中心地から南西にかなり近い距離にこの石獅子がある。今では住宅街の中だが、かつてはここが村の端に当たるのだ。それほど大きな集落ではなかったのだろう。この石獅子は火山と呼ばれた南にある八重瀬岳の方向を向いている。火災を防ぐための火返し (ヒケーシ) の役割だ。
南の石獅子 (午ヌ方の獅子)
東の石獅子 (卯ヌ方の獅子)
集落の東側の八重瀬公営住宅の裏にひっそりとある。ここを探すのには苦労した。大体の場所はわかるのだが、その場所に行く道順まではない。この周りを入り口がないかを探しながら自転車で走った。たまたま集合住宅の奥に石があるのが目に留まったので、念のために団地中に入りやっと見つけた。ひっそりという感じだ。というのも、この公営住宅にはあまり住居者がいないようだ。ほとんどの部屋がカーテンがしておらず、窓が割れているのもある。自転車などが置いてあるので閉鎖されているようではないのだが、本当にひっそりだった。この石獅子も八重瀬岳を向いている。石獅子を横から見ると獅子というよりはマウンテンゴリラにみえてしまうのだが愛嬌はある。
これで東風平集落を回り終えた。ほぼ一日を使って回ったので少々疲れた。今日は夏日で熱い。これほど獅子への思い入れが強い集落はないのではと思えた。少々残念なのは、文化財には表示板や解説が一切なかったことだ。沖縄も年が過ぎるごとに昔を知っている人が少なくなっていく。沖縄戦については戦争経験者が少なることに危機感を感じて体験談などを録画し、纏めたりはしているが、文化財となると地域によって温度差がかなりある。東風平には多くの文化財があるのだが、ほとんど紹介されていない。地元の人も知らないことが多い。子供たちに地元の文化を残すためにも、東風平には文化財に対しての今一歩アクションをしてもらいたい。
見つからなかった以下の文化財の場所を「殿・御嶽・井戸調査報告書」で調べなおし、再度訪問をする予定だ。
- 上地嶺之殿 (ビージーヌトゥン)
- シヤマ之殿 (シヤマヌトゥン、サマヌトゥン)
- 組直之殿 (イシジャヌトゥン) この殿もかつての比嘉村にあった。
- ノロガ-
参考文献
- 東風平村史 (1976 知念 善栄∥編 東風平村役所)
- 殿・御嶽・井戸調査報告書 (2002 東風平町教育委員会)
質問事項
- 東風平之殿は東風平集落で一番大切な拝所か? 氏神となているのでそのようにも思えるが、殿なので御嶽とは少し異なる性格とも思うが?
- 東風平集落にあった多くの御嶽は現在はどうなっているのか? 印象では御嶽が今でも御嶽としては残っていないように思える。
- 東風平之殿の裏にある井戸は今帰仁ガー?
- 東風平之殿の前の石は元々はなんのため?神酒石 (ジンスイシ) ?
- 宇志久佐門中は現在でも存在している?
- 上大城門中は大城門中の腹 (分家) ? 大城門中はどこの集落にあった? この拝所の名称は?
- 東風平之殿の境内に2ヶ所、4つの祠についての詳細
- 今帰仁ガー 北山との関係は?
- 伊覇の石獅子の下の拝所は比嘉之殿 (ヒガヌトゥン) ?
- 獅子の墓とは元々は何だったのだろう?
- 伊良皆之嶽 (イラミナヌタキ) への入り口は?
- 北の石獅子はなぜ龕屋を向いているのか?
- 大ミショウは何を意味するのか?
- 確認できなかった拝所の位置
- 龕はまだ残っているのか、葬儀で使われているのか?
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