Okinawa 沖縄 #2 Day 46 (19/10/20) 旧東風平 (9) Yonagusuku Hamlet 世名城集落
世名城集落 (よなぐすく)
- 世名城のガジュマル
- 志伊良アタリ之殿 (シラタイヌトゥン)
- 中屋 (ナーカヤー)
- アシビナ溜池
- 神アシャギ [10月24日 訪問]
- 後之御嶽 (クシヌウタキ)[10月24日 訪問]
- 世名城公民館
- ビジュル
- トウンチガー
- 手田川之嶽 (テラガーヌタキ、ティラガーヌタキ) / 御手田川井 (ウティダウガー、テラガー) [10月24日 訪問]
- ノン殿内
- 中之井 (ナカヌカー)
- 前之井 (メーヌカー、イーチガー、産井 [ウブガー])
- 岸本之殿 (キシムトヌトゥン、イーチガの殿) [10月24日 訪問]
- 威部之前 (イビヌメー) [2021年2月1日 訪問]
- 仲村渠之殿 (ナカンダカリヌトゥン、ナカヌトゥン) [10月24日 訪問]
- 道富之殿 (ミチトミヌトゥン) [未訪問]
- 外間之殿 (ホカマヌトゥン) [10月24日 訪問]
- 平原井 (ヒラバルガ-) [10月24日 訪問]
- 御穂田 (ミフーダ) [2021年2月1日 訪問]
- 平田門之殿
- 世名城農村公園
- トーヌアタイガ- (高良)
- 中瀬之殿 (ナカシーヌトゥン) [2021年2月1日 訪問]
- 川田之殿 (タータヌトゥン) [10月24日 訪問]
- タルガー (高良集落内)
- イシキヤ之殿 (2月7日 訪問)
- [上之城 (ウィグシク、エン佐久真之殿)]
- [下之城 (シチャグシク、佐久真之殿)] [未訪問]
- [中之殿、中之殿井]
- [上世名城之嶽 (ウィユナグシクヌタキ)]
- [上世名城之殿 (ウィユナグシクヌトゥン)]
- [中北山えのお通し、東 (アガ) リお通し]
- [八重瀬えのお通し、南山えのお通し、上世名城井]
- [七腹先祖の墓]
世名城集落 (よなぐすく)
人口は残念ながら沖縄戦終結後の1948年当時、それから沖縄本土復帰じの1973年と現在では殆ど変わっていない。ただ世帯数は沖縄本土復帰当時から2倍になっている。民家は増えてはいるが、核家族化が進み人口は増えていないという状況だ。
東風平村史に掲載されている東風平の拝所は以下の通りだが、見つけられなかって文化財が多かった。とにかく情報が少なすぎる。(太字は訪問した文化財)
- 御嶽: 上世名城之嶽 (ウィユナグシクヌタキ)、手田川之嶽 (ティラガーヌタキ)、我瀬川之嶽 (カズカワヌタキ、ガジャウタキ)
- 殿: 上世名城之殿 (ウィユナグシクヌトゥン)、岸本之殿 (チシムトヌトゥン)、中瀬之殿 (ナカシーヌトゥン)、道富之殿 (シードーワーヤー)、仲村渠之殿 (ナカヌトゥン)、外間之殿 (フカマヌトゥン)、 イシキヤ之殿、上地嶺之殿 (ハーエーヌトゥン 所在地不明)、志伊良アタリ之殿 (シラタイヌトゥン)
- 泉井: 平原 (ヒラバル) 井、御穂田 (ミフーダ)、イーチガー (前之井、産井)、中之井、中瀬井、上世名城井、タルガー、オテダウカー (ウティダガ-)、ガジャガー
「殿・御嶽・井戸調査報告書」に追加で記載されていた拝所は
- 殿: 川田之殿
- その他:神アシャギ、威部之前 (イビヌメー)、ビジュナー (ビジュル)、中屋 (ナーカヤー)、平田門 (ジョー)、ノロ殿内 (ドゥンチ)、後之御嶽、冨盛門井、トーヌアタイ井
世名城のガジュマル
志伊良アタリ之殿 (シラタイヌトゥン)
中屋 (ナーカヤー)
アシビナ溜池
神アシャギ (10月24日 訪問)
アシビナ溜池の隣には神アシャギがある。アシャギとは沖縄では「離れ屋敷」を意味しており、客の接待などで、母屋から離れた建物で接待をしていた。神アシャギも同様で、住居とは別に建っており、神を接待する、つまりお祀りをするという意味になる。ここも独立した神屋になっており、国元 (クニムトゥ) の志本門中の司宰。その志本門中の根人が載るクル石が神屋の前に残されている。(写真右下) ここも旧歴1月3日初起 (ハチウクシー、仕事始め)、砂糖の御願、三月御初、旧暦5月・6月のウマチー、六月御初、旧暦12月24日の師走の御願に御願されている。
後之御嶽 (クシヌウタキ)[10月24日 訪問]
詳細は不明だそうだが、地頭火の神ではないかともいわれている。旧歴1月3日初起 (ハチウクシー、仕事始め) に拝まれている。
世名城公民館
ビジュル (ビジュナー)
トウンチガー
手田川之嶽 (テラガーヌタキ、ティラガーヌタキ) / 御手田川井 (ウティダウガー、テラガー) [10月24日 訪問]
10月24日にもう一度探してみた。前回通った農道にあった。気が付かなかったのだ。ここは糸満市の与座になるのだが、世名城集落の門中の屋号宇根家が司宰をしており、昔に読谷村波平から移住してきた屋号宇根の租神を祀っている。手田川之嶽 (ティラガーヌタキ) が祀っているのは 寄石威部 (ユリイシノイベ) で初ミジナディ (水撫) で御願されている。
ノン殿内
中之井 (ナカヌカー)
前之井 (メーヌカー、イーチガー、産井 [ウブガー])
岸本之殿 (キシムトヌトゥン、イーチガの殿) [10月24日 訪問]
前之井から更に丘陵側に四つの殿があると地図では書かれていたが、見つからず、10月24日に再度探してみた。そのうち三つは何とか見つけられた。岸本之殿が道路沿いにあった。世名城村に合流する前にあった岸本村の岸本ノロが生まれた場所で、根屋であったと伝わる。旧暦5月・6月のウマチーに御願されている。ここは国元の志本門中が司宰をしている。
威部之前 (イビヌメー) [2021年2月1日 訪問]
この場所には去年二度訪れ、見つからなかった拝所を探したのだが、この威部之前 (イビヌメー) はついに見つけることができなかった。2021年2月1日にたまたまこの地を通った時に、旧正月に向けて拝所への道が整えられていた。ひょっとしてこの付近もきれいにされているのではないかと思い、もう一度来てみた。以前訪れた岸本之殿 (キシムトヌトゥン) の隣が草が刈られ、林の中の道が整備されていた。以前は草が密集し道などは見つからなかった。何かあるだろうと中に入ると、前回は見つからなかった威部之前 (イビヌメー) があった。この威部之前 (イビノメー) は岸本村時代には中心的な拝所であった。
仲村渠之殿 (ナカンダカリヌトゥン、ナカヌトゥン) [10月24日 訪問]
道路沿いを探すが、それらしき拝所は見当たらない。多分この林の中にあるのだろう。道路沿いを入り口のような場所を中に入るが、行き止まり。もう一度、岸本之殿まで戻り、そこにある道のようなところを林の中に入っていく。草でおおわれている。しばらく行くと少し空間がひらけてきた。期待できる。
拝所らしきものを探しても見当たらない。と思っていると木の根元に石柱が倒れている。少し表面の草を取り除くと、仲村渠之殿と書かれている。資料では御願される行事は書かれていない。集落の東内原門中が司宰をしているとある。御願は門中に限られているのだろうか? 荒れ果てた拝所は少し寂しい。ここはましなほうだが、拝所の面倒を見る人が時がたつにつれて少なくなってきているのだろう。若者は村を出ていく。拝所に対しての関心も薄れてきている。拝所の面倒を見るのは村に残った老人となる。老人にとってこの林の中の拝所やそこまでの道を整備するのは大変だ。これは門中だけに押し付け続けていいのだろうか、拝所を沖縄の文化財とみるならば、もっと行政の支援が望まれるところだ。
道富之殿 (ミチトミヌトゥン) [未訪問]
道富之殿が仲村渠之殿のすぐ近くにあると書かれていたので、道路沿いの入り口を探したがないので、10月24日に再訪したとき、仲村渠之殿を見た後さらに林の奥まで探してみた。祠らしきものや、石垣があったのだが、資料に載っていた写真とは異なり、道富之殿ではない。林の中を歩き回ったので、腕と脚は擦り傷だらけになってしまった。これ以上は無理かなと思い断念。資料によればこの辺りは予座川用水路が通り、傾斜地で地滑りが多く水路が保てなかったのでこう呼ばれていると書かれていたが、ちょっとピンと来ない説明だ。
外間之殿 (ホカマヌトゥン) [10月24日 訪問]
岸本之殿まで戻り、道路沿いを東に少し行ったところに外間之殿がある。草むらから石の表示板が頭をのぞかしている。
平原井 (ヒラバルガ-) [10月24日 訪問]
外間之殿 の西側近くの畑の中に平原井 (ヒラバルガ-) がある。ほぼ当時の姿を残している。安全のために金網で策はしてあるものの、コンクリート覆われていないので当時の姿がわかる。個人的にはコンクリートで覆われている井戸跡よりは沖縄を感じられる。ここは初ミジナディ (水撫) で御願されている。
御穂田 (ミフーダ) [2021年2月1日 訪問]
外間之殿の前にある畑のどこかが御穂田 (ミフーダ) と呼ばれる拝所があるはずなのだが探しても見つからなかった。畑仕事をしている男性に聞いたのだが、わからないという。この辺のはずなのだが.... 昔は苗を植えるときにはまずこの御穂田に植えてから、ここの田圃に植えたという。ここで取れた稲をウマチーで供え物にするそうだ。これは本土の神道と同じような風習。
この世名城集落を訪れてから、約半年後の2021年2月1日に旧真壁村新垣集落に向かう途中にこの地を通った際に、サトウキビ畑の一部がかられ、そこにこの生い茂っていたサトウキビが御穂田 (ミフーダ) が見えている。旧正月が残り2週間なので、その際に巡る拝所への通路がきれいにされているのだ。
平田門之殿
世名城農村公園
報徳川の支流が字の境界線になっている。この川を越えたところが高良になる。高良に入ったところに、道路沿いに形式保存されているトーヌアタイガ-がある。初ミジナディ (水撫) で御願されている。
中瀬之殿 (ナカシーヌトゥン) [2021年2月1日 訪問]
「東風平村史」の大まかな地図には中瀬之殿の場所が記載されていたのだが、「殿・御嶽・井戸調査報告書」では所在地不詳となっている。「東風平村史」で記載している場所は畑になっている。
2021年2月1日に旧真壁村新垣集落に向かう詩にここを通った際に畑がきれいに刈られ、その中に石柱が建っている。以前ここを探したが見つからなかった中瀬之殿 (ナカシーヌトゥン) とかかれている。やはりこの場所が殿だったのだ。
川田之殿 (タータヌトゥン) [10月24日 訪問]
高良農村公園にある殿。旧正月の2日と5月6月のウマチーで御願されている。
タルガー (高良)
いよいよ世名城グスクに向かう。
世名城グスク (ヨナグスクグスク、ウィユナグスク)
[上之城 (ウィグシク、エン佐久真之殿)]
[下之城 (シチャグシク、佐久真之殿)] [未訪問]
上之城の道を挟んだところに下之城があるはずなのだが見つからない。背の高いサトウキビの畑のなかにあるのだろうか?これでは見つからないだろうということで断念。
[中之殿、中之殿井]
2021年2月1日に再訪した際には間w理の草がきれいに刈られ、井戸跡がはっきりと見えるようになっていた。旧正月に向けて村の人たちが行なったのだろう。
[上世名城之嶽 (ウィユナグシクヌタキ)]
[上世名城之殿 (ウィユナグシクヌトゥン)]
[中北山えのお通し、東 (アガ) リお通し]
[八重瀬えのお通し、南山えのお通し、上世名城井]
[七腹先祖の墓]
七腹先祖の墓の隣には二つの古墓がある大屋門中と佐久間門中の墓だ。この二つの門中も七腹に入っている。
世名城集落で拝まれている拝所一覧を作ってみた。これでみるとおじいが言っていたようにノン殿内が最も多く御願されている。御嶽ではなくノン殿内であったことは意外だった。次いで国元の志本門中が司宰している中屋と神アシャギの神屋となっている。神屋という門中の拝所だが、国元ということでいまだに部落では大きな影響力を持っているのだろう。別の角度から見ると豊年祈願と収穫祭にあたるウマチーの時が、最も多く拝所をめぐる日で、次いで旧暦の正月二日の初起しが忙しい日になっている。拝所が隣の字の高良と与座に多くあるのも興味深い。
世名城グスク訪問の後に高良集落の文化財の一部も見たのだが、その詳しい紹介は次回に高良集落を訪れたときの訪問記に含めることとする。今日も夏日で暑い。二週間前は台風の影響で涼しかったのだが、そのあとは日中は夏に戻った様だ。
世名城集落の文化財で見つからなかったものは、また公民館に行って聞いてみることにしよう。
- 我瀬川之嶽 (カズカワヌタキ、ガジャウタキ) (川石之御威部) / ガジャガー: この御嶽は我謝腹門中の子孫を祀ってある。我謝腹門中の元々住んでいた具志頭の安里を拝む場所だそうだ。
- 道富之殿
- 中瀬井
イシキヤ之殿 (2月7日 訪問)
このイシキヤ之殿 (イシチャヌトゥン) については東風平村史では所在地不詳となっていたので、探さなかったのだが、今日 (2月7日) 訪問地からの帰途の途中に、この場所が目に留まり、見てみると石柱にイシキヤ之殿と書かれていた。司宰門中も不詳ということで詳細は不明。地元の人には認識されているのだが、東風平村史でも殿・御嶽・井戸調査報告書でも名前以外の情報はかかれていない。自転車の移動ではなるべく同じ道は通らないようにしている。見落としている文化財や、場所がわからなかった文化財が、思いかけず見つかることがある。
質問事項
- 志伊良アタリ之殿 (シラタイヌトゥン) がある東 (アガ) リ古島は集落が始まった場所?
- 国元の志木門柱は高良集落にある川田之殿の司宰だが、高良と世名城の関係は?
- アシビナ溜池のところにはアシビナが存在したのか?
- 世名城公民館はかつての村屋?
- 御嶽ではなくノン殿内が御願の中心地になった理由は?
- 農村公園はかつては何だったのか?
- 上世名城御嶽が上世名城之殿より前方にあるが、普通は逆のはず。なぜか?
- 世名城グスク内に八重瀬へのお通しがあるが、八重瀬岳はすぐそばなのになぜお通しがあるのか?
- 見つけられず訪問できなかった拝所の確認 (御嶽) 手田川之嶽 (ティラガーヌタキ)、我瀬川之嶽 (カズカワヌタキ、ガジャウタキ) 、道富之殿 (シードーワーヤー)、仲村渠之殿 (ナカヌトゥン)、外間之殿 (フカマヌトゥン)、 上地嶺之殿 (ハーエーヌトゥン) (泉井) ヒラバル井、中瀬井、オテダウカー、ガジャガー
参考文献
- 東風平村史 (1976 知念 善栄∥編 東風平村役所)
- 殿・御嶽・井戸調査報告書 (2002 東風平町教育委員会)
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