小豆島八十八ヶ所遍路 09 (30/04/23) 小豆島町 (旧内海町) 福田村 (3) / 当浜村 / 岩谷村 / 橘村 / 安田村 (2)
小豆島町 (旧内海町) 福田村
- 地蔵尊
- さぬき百景福田海岸
- ‘91小豆島国際石彫シンポジウム
- 遍路道
小豆島町 (旧内海町) 当浜村 (あてはま)
- 休憩所
- 地蔵尊
- 当浜荒魂神社
- 当浜戎神社
- 当浜漁港
- 第86番霊場 当浜庵
- 椿の里
小豆島町 (旧内海町) 岩谷村 (いわがたに)
- 八人石丁場
- 亀崎丁場跡
- 観音寺
- 豆腐石丁場
- 天狗岩丁場跡
- 七兵衛屋敷跡
- 天狗岩磯丁場跡 (未訪問)
- かもめ石
- 地蔵尊
- 恵比寿神社
- 宝龍神社
- 第87番霊場 海庭庵
- 岩谷荒神社 (未訪問)
- 地蔵尊
- 岩ヶ谷漁港
- 地蔵尊
小豆島町 (旧内海町) 橘村 (たちばな)
- 南風台
- 第88番霊場 楠霊庵
- 祠 (厚子大明神)
- 荒神社
- 橘山の神
- 地蔵堂
- 峠地蔵
小豆島町 (旧内海町) 安田村 (やすだ)
- 野 (?) 神社
- 山王神社
ウォーキング距離: 22.6km
今日訪れた小豆島八十八ケ所霊場
第86番 当浜庵
- 本尊: 千手観世音菩薩
- 真言: オン バザラ タラマ キリク
- 御詠歌: おもしろき 沖の小島を よそにみて 世をうみわたる あまのつり舟
第87番 海庭庵
- 本尊: 十一面観世音菩薩
- 真言: オン マカ キャロニキャ ソワカ
- 御詠歌: おきつ風 いたくふく日は この庵の 松の梢に 波ぞかゝれる
第88番霊場 楠霊庵
- 本尊: 延命地蔵菩薩
- 真言: オン カカカビ サンマエイ ソワカ
- 御詠歌: いつの世に 花たちばなの 種蒔きて この一村の 名に残しけん
訪問ログ
小豆島町 (旧内海町) 福田村
地蔵尊
‘91小豆島国際石彫シンポジウム
遍路道
小豆島町 (旧内海町) 当浜村 (あてはま)
当浜村の史跡
- 寺院/庵等: 当浜庵 (86)
- 神社: 当浜荒魂神社、当浜戎神社
休憩所
地蔵尊
当浜漁港
当浜荒魂神社
当浜戎神社
第86番霊場 当浜庵
椿の里
小豆島町 (旧内海町) 岩谷村 (いわがたに)
岩谷村の史跡
- 寺院/庵等: 観音寺、海庭庵 (87)
- 神社: 恵比寿神社、宝龍神社、岩谷荒神社 (未訪問)
- 丁場跡: 八人石丁場、亀崎丁場、豆腐丁場、天狗岩丁場、天狗岩磯丁場 (未訪問)
八人石丁場
亀崎丁場跡
観音寺
豆腐石丁場跡
天狗岩丁場跡
七兵衛屋敷跡
天狗岩磯丁場跡 (未訪問)
かもめ石
地蔵尊
恵比寿神社
宝龍神社
第87番霊場 海庭庵
岩谷荒神社 (未訪問)
地蔵尊
岩ヶ谷漁港
地蔵尊
小豆島町 (旧内海町) 橘村 (たちばな)
橘村は元々は坂手村に属していた。その起源は文明年間 (1469~1487年) に播州より来島し坂手村の草分けとなった赤松氏一派の広瀬重兵衛親則の孫の重兵衛道親が沿岸漁撈の合間に隣接地区の開墾をはじめ、その子の道香も父の跡につづき、同族の広瀬五郎右衛門、東谷五右衛門および伊予河野氏の支流といわれる黒島新左衛門らとともに橘に移住し、1605年 (慶長10年) に行われた片桐且元の検地の際に坂手村の支村となった。その後、1648年 (慶安元年) の小堀遠州の新開地の際に、坂手村から分離独立している。村の年貢は1688年 (元禄元年) に単独上納になるまでは坂手村に納め上納していた。江戸時代終わりまでは橘村は草加部村の支村だった。その後、1880年 (明治13年) に草加部本村から分離独立。1887年 (明治21年) の明治の大合併で安田村に吸収され、1951年 (昭和26年) の昭和大合併で内海町の大字になり、2006年 (平成18年) に平成大合併で小豆島町の一村となっている。
橘は小豆島町の中では人口は真ん中ぐらいの地域で小豆島町の中で2.7%を占めている。1972年の人口に比べて2015年には約55%も減少して867人から394人となっている。人口減少率の高い地域となっている。2023年の人口は不明だが、更に減少していると考えられる。
橘村の史跡
- 寺院/庵等: 楠霊庵 (88)
- 神社: 荒神社、山の神、厚子大明神
南風台、城ヶ島
坂を登り切った所が南風台で展望台になっている。記憶では数年前までは旅館があったと思う。当時は小豆島の観光名所で大いに賑わっていた。今は旅館もなくなり、ひっそりとして、ここに駐車して景色を見ている観光客も少ない。南風台の岬の先端の海の中には城ヶ島が見える。干潮時には陸続きになり島に渡れる。これはトンボロ現象と呼ばれ、この現象で陸路が現れるのはが見られるのは全国で11か所あり、そのうちの2か所が小豆島にある。土庄のエンジェルロードとこの場所で、ここは希望の道と呼ばれている。生憎、今日は道は完全には現れていなかった。次回に期待する。以前、この島には弁財天が祀られていて弁天島と呼んでいたそうだ。更に時代を遡ると、この島には城ヶ島城と呼ばれた城塞があった様だが、詳細は不明。南北朝時代に小豆島を領有していた佐々木信胤の出城か物見砦だったのだろうか?
地蔵尊
第88番霊場 楠霊庵
祠 (厚子大明神)
荒神社
橘集合住宅
特にこの橘村、岩谷村、福田村は背後に山が聳え、集落はその谷間の平坦地域にあった。豪雨により、岩山の上に7m程堆積している真砂土が削り取られ谷を流れる川に土砂流として集落を直撃した。特にこの橘村の被害は最も大きく、全壊家屋21戸、半壊家屋21戸、19名の死者、14名の重傷者を出している。(橘村の当時の人口は803人、234戸) 家を失った人達への救済の為、将来の災害に備える為にこの様な集合住宅が建設されたのかも知れない。
以上のような課題はあるのだが、橘地区は過疎化は進んではいるのだが、小豆島町の中で高齢化率が最も低い地域になっている。この理由は調べたがわからなかった。集合住宅が他の地域ん比べて、多いことで比較的住みやすい地域なのかも知れない。
遍路道、地蔵尊
橘山の神
地蔵堂
峠地蔵
野 (?) 神社
山王神社 (?)
参考文献
- 内海町史 (香川県小豆郡内海町)
- 小豆島おへんろ道案内図
- 災害の記録 (1975 内海町)
- 小豆島町文化財保存活用地域計画 (2022 小豆島町)
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