小豆島八十八ヶ所遍路 05 (26/04/23) 土庄町 旧土庄村 (2) / 渕崎地区 (3)、小豆島町 (旧池田町) 蒲生村
土庄町 旧土庄村
吉ヶ浦地区
- 吉ヶ浦荒神神社
- 土庄港
- ビハーラ正信
土庄町 大木戸部落
- 大木戸塩釜神社
- 大木戸権現社
- 大木戸荒神社/石鎚神社
- 第62番霊場 大乗殿、第63番霊場 蓮華庵
- 土庄八幡神社 (大木戸八幡神社)
- 一の鳥居、馬場跡
- 二の鳥居
- 随身門
- 三の鳥居、拝殿、本殿
- 山の神社、鹿島神社、五社大神宮、天照大神 、龍王宮
- 金比羅恵比寿神社、稲荷神社
- 護国神社
- 善光寺
渕崎地区 小入部部落
- 伝法川
- 富丘八幡神社
- 桟敷
- 若潮の塔
- 覧魚崎
- 絵馬殿
- 拝殿、幣殿、本殿
- 若宮神社
- 従軍記念碑
- 護国神社
- 神馬
- 七福神 (福禄寿)
- 五宮神社 (ごのみやじんじゃ)
- 富丘古墳群
- 歌碑
- 双子浦展望台
- 双子浦海岸
- 長神神社
- 応神天皇船繋松跡
- 金光教小豆教会
- 與九郎稲荷神社
旧池田町 蒲生村 (かもう) 入部 (にゅうべ) 部落 (訪問記 別途)
- 祠
- 三寳大荒神
- 稲荷大明神
- 祠
- 八坂神社
- 天理教聖踏分教会
- 馬頭社馬牛(入部)
- 入部山ノ神
今日訪れた小豆島八十八ケ所霊場
第62番 大乗殿
- 本尊: 阿弥陀三尊
- 真言: オン アミリタ テイセイ カラ ウン
第63番 蓮華庵
- 本尊: 千手観世音菩薩
- 真言: オン バザラ タラマ キリク
訪問ログ
吉ヶ浦地区
吉ヶ浦荒魂神社
土庄港
ビハーラ正信
大木戸部落
大木戸塩釜神社
大木戸権現社
大木戸荒神社
第62番霊場 大乗殿、第63番霊場 蓮華庵
土庄八幡神社 (大木戸八幡神社)
一の鳥居、馬場跡
二の鳥居
随身門
三の鳥居、拝殿、本殿
山の神社、鹿島神社、五社大神宮、天照大神 、龍王宮
金比羅恵比寿神社、正一位稲荷神社
護国神社
善光寺
渕崎地区 小入部部落
伝法川
富丘八幡神社
桟敷
若潮の塔
太平洋戦争の末期、 昭和19年から20年にかけて、東洋紡績渕崎崎工場に、陸軍船舶特別幹部候補生部隊 (若潮部隊) の訓練基地がありました。そこには、全国より 15才以上20才未満の学徒、延べ八千余人が集い、日夜水上特別攻撃隊員としての猛訓練を受けて出 陣しました。そして、フィリピン・ 台湾沖縄方面の戦闘や、広島に落ちた原爆などにより、1400余名の戦没者を出しました。昭和48年11月23日、この部隊の生存者の会、若潮会は、亡き友と共に訓練に明け暮れた若き日々を偲んで、第二の故郷とも いうべきこの地の八幡神社あずまや跡に、鎮魂の碑「若潮の塔」を建立しました。 以後、11月23日を記念の日と定めて、慰霊祭を挙行しています。この場所には、碑の建立時の内閣総理大臣田中角栄氏の筆になる、若潮魂と銘された鎮魂碑 「若潮の 「塔」のほかに、石刻された「若潮の由来記」、学制服、訓練服、戦闘服姿の隊員の銅像 「陸軍船舶特 幹生の像」 フィリピンの基地跡の川底より、遺骨がわりに持ち帰られた「陸軍特攻艇のエンジン」が設置されています。また、当時この 部隊の兵器整備作業に従事した地元小豆島実業学校 (現土庄高等学校) 学徒挺身隊 天風 白梅隊の「学徒動員記念碑」も設置されています。
覧魚崎
絵馬殿
拝殿、幣殿、本殿
若宮神社
従軍記念碑
護国神社
神馬
この馬よなよな、麓の森田へ出歩いて稲を食って廻った。困った百姓は、脚をたたき折ってしまった。それから稲の被害がはたとやんだというのである。
七福神 (福禄寿)
五宮神社 (ごのみやじんじゃ)
富丘古墳群
歌碑
東参道の半ばに歌碑が置かれていた。説明板を見ると、母方と同じ先祖に連なる歌人のものだった。この渕崎にその様な人がいるとは知らなかった。母方の祖父は戦国時代に兵庫県三木市にあった三木城城主別所長治の直系14代と伝わっている。長治の遺児を家臣が救出し小豆島に落ち延び、別所姓から三木城に因み三木姓に変えたと言う。この歌人も三木姓で、この人も別所一族の末裔と言う。
- 三木蜻州(本名 三木方斉 1847~1931) 池田二面の人で本家は代々廻船問屋の木屋 (忠次郎) 父の良斉は長崎シーボルトから蘭方医学を学び医師、方斉も13歳で讃岐高松藩柏原謙好の弟子となり、18歳で15代将軍徳川慶喜の医師として京都に詰め、鳥羽伏見の戦いに従軍。その後、渕崎村赤穂屋に本医院、池田・豊島に治療院、双子浦に療養所の花相院を開く。「柴舟に そふて流るる 霞かな州」
- 三木双浦 (本名 三木方直 1882~1962) 渕崎村赤穂屋でに三木方斉の長男として生まれ、岡山医学専門学校を卒業後、北里柴三郎とも親交があり、父方斉と共に小豆島の医業に尽くした。尾崎放哉とも交流があり彼の最後を看取ったそうだ。 実弟の三木朱城も高浜虚子に学んだ歌人だった。「花に寝て 羽化登仙の 夢に入る」
双子浦展望台
双子浦海岸
このレポートの土庄港のところで、土庄町がアニメ「からかい上手の高木さん」を観光戦略の一つに含めている事に触れたが、この富丘八幡神社はアニメ聖地巡礼の一つになっている。
長神 (おさがみ) 神社
応神天皇船繋松跡
金光教小豆教会
応神天皇船繋松跡の前の県道を渡った所には金光教小豆教会があった。金光教の教会は小豆島には三つある。天理教に比べて小規模のようだ。
與九郎稲荷神社
県道を旧池田町方面少し行ったところ、富丘八幡神社の東参道の入り口の向かいの高壺の西麓に與九郎稲荷神社が置かれている。この與九郎稲荷神社は1865年 (元治2年) に京都の伏見稲荷本宮より勧講をうけ、この地に遷座されたもので、ここの地名をとり正一位與九郎稲荷神社と称している。 赤の鳥居の脇に建てられた石碑には「正一位稲荷五社大明神安鎮之事 右本宮之神秘而不他家之所知故警封之也雖然州小豆島土庄入部渕崎村中常崇敬当社殊干他旦 今般請安鎮本山之神霊因謹而大杞修封之厳霊令授与焉永奉祭杞無怠可為 家内安全繁栄長久之鎮護者也。 元治二乙丑年四月一日惣本宮正宮御殿預 従五位大摂津守荷田信義」とこの神社の縁起が刻まれている。
拝殿の横にも四つの小さな祠や石柱などが置かれている。資料では摂社として、田中大神、四大神を祀っていると書かれていた。祠の一つには松岡福正院と書かれた板碑がある。資料ではこの神祠を興隆した人で考えられている。
参考文献
- 土庄町史 (1971 香川県小豆郡土庄町)
- 小豆島お遍路道案内図
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