小豆島八十八ヶ所遍路 06 (27/04/23) 土庄町 大鐸村地区 (1) 黒岩村 / 小馬越村 / 笠ヶ滝村、渕崎地区 (4)
土庄町 大鐸村地区 黒岩村
- 六部堂
- 第74番霊場 円満寺
- 黒石さん
- 黒岩荒神社
- 黒岩稲荷神社
- 足尾神社 (東山道臣神社)
- 黒岩山の神
- 妙見神社
土庄町 大鐸村地区 小馬越村
- 第73番霊場 救世堂 (くぜどう)
- 荒魂神社
- 山の神
- 墓地
- 地蔵尊
- 金比羅宮
- 塞の神 (未訪問)
土庄町 大鐸村地区 笠ヶ滝村
- 第72番霊場 瀧湖寺
- 三密会密勝苑
- 笠ヶ滝王子権現
- 弁天大池、日清日露戦争記念碑、水神
- 岩風呂跡
- 西崎の塞の神 (未訪問)
- 第72番霊場 奥の院笠ケ滝
- 皇踏山
- 笠ヶ滝きよめの不動堂
- 皇踏山城跡
- 虎口、土塁、空堀
- 北曲輪
- 大手木戸、一の曲輪、二の曲輪、本曲輪、三の曲輪
- 北山皇踏権現社 (東権現)
- 天狗の松
- 詰の曲輪
- 皇踏山頂上
土庄町 渕崎地区
- 皇踏山大権現社 (西権現) (渕崎部落)
今日移動したログはアプリの不具合で保存する前に消えてしまった。他のアプリでウォーキング教理は残っていた。
ウォーキング距離: 20.2km
今日訪れた小豆島八十八ケ所霊場
第74番 円満寺 (黒岩)
- 本尊: 十一面観世音菩薩
- 真言: オン マカ キャロニキャ ソワカ
- 古詠歌: なし
- 今詠歌: もちの夜の 月の姿に にたるかな 心まどかに 満つる願いは
第73番 救世堂 (くぜどう 小馬越)
- 本尊: 聖観世音菩薩
- 真言: オン アロリキャ ソワカ
- 古詠歌: 人の歩みはこびてよきごとの普き供花を 頼みかくらん
- 今詠歌: 世を救う み声なるらん この山の 松の嵐も 水の響きも
第72番 瀧湖寺 (笠ヶ滝)
- 本尊: 無量寿如来
- 真言: オン アミリタ テイセイ カラ ウン
- 古詠歌: 香をとめて 岩間の道を 分けいれば 法の花さく 山寺の庭
- 今詠歌:散る世なき 法の花咲く山寺に 安く養へ 人の心を
第72番 奥の院 笠ヶ滝 (笠ヶ滝)
- 本尊: 不動明王
- 真言: ナウマクサンマンダ バザラダン センダン マカロシャダ ソワタヤ ウンタラタ カンマン
- 古詠歌:
- 今詠歌: 岩むろの 仏拝みに 笠が瀧 さして行くや うれしかるらむ
訪問ログ
今日は福田唐からオリーブバス北回りで土庄町の黒岩バス停まで行き、そこからは徒歩にて黒岩村、小馬越村、笠滝村の史跡を巡り、皇踏山に登る。
土庄町 大鐸村地区 黒岩村
黒岩村はかつては大鐸村 (おおぬで) に属していたが、1955年 (昭和30年) に大鐸村が土庄町に合併吸収された際に土庄町黒岩となっている。それまで黒岩村が属していた行政区変遷は以下の通り。
- 明治11年 肥土庄村外黒岩村
- 明治14年 小馬越村と笠ヶ滝村を吸収
- 明治18年 小馬越村と笠ヶ滝村が分離独立
- 明治21年 肥土庄村、黒岩村、小馬越村、笠ヶ滝村が合併し大鐸村となる。
- 昭和30年 大鐸村が土庄町に合併吸収
六部堂 (ろくぶどう)
太平洋戦争戦没者慰霊碑
第74番霊場 円満寺
黒岩神社 (黒石さん)
黒岩荒神社
黒岩金比羅神社
黒岩稲荷神社
足尾神社 (東山道臣神社)
黒岩山の神
妙見神社
土庄町 大鐸村地区 小馬越村
- 明治14年 黒岩村に吸収される
- 明治18年 小馬越村と笠ヶ滝村が分離独立
- 明治21年 肥土庄村、黒岩村、小馬越村、笠ヶ滝村が合併し大鐸村となる。
- 昭和30年 大鐸村が土庄町に合併吸収
第73番霊場 救世堂
本尊 聖観世音菩薩 (町指定文化財) それ、讃岐国、志度寺御本尊十一面観音様とは、ご兄弟であると昔から言い伝えられていますが、約千百年のむかし平安時代の春中ごろ 近江の滋賀のさざ波たつ琵琶湖の水面を北か南へ流れる霊光放つ、ひの木の大木がありました。坂本むらの里人が引き揚げて一体の観音像を彫りました。これが志度寺のご本尊さまです。その後、時世は藤原時代の末ごろになって、残る霊木で一刀三礼のノミで刻んだのが木像 聖観世音様立像で、救世堂のご本尊ですと言い伝えでございます。志度寺の十一面化仏と救世堂の髙と頭上の彫り出し」が違うだけで全て身二つのお似合いのお観音さまは、いずれも滋賀の湖から迎えられた共木の木の秘仏です。 よくよく念じておかげをうけて下さいませ。詠歌世を救うみ声なるらん この山の 松のあらしも 水のひびきも はるばると尋ね来しこの救世堂や 足も軽やか 遍路坂越
荒魂神社
小馬越山の神神社
地蔵尊
金比羅宮
塞の神 (未訪問)
土庄町 大鐸村地区 笠ヶ滝村
- 明治14年 黒岩村に吸収される
- 明治18年 小馬越村と笠ヶ滝村が分離独立
- 明治21年 肥土庄村、黒岩村、小馬越村、笠ヶ滝村が合併し大鐸村となる。
- 昭和30年 大鐸村が土庄町に合併吸収
第72番霊場 瀧湖寺
三密会密勝苑
笠ヶ滝王子権現
弁天大池、日清日露戦争記念碑、水神
岩風呂跡
西崎の塞の神 (未訪問)
第72番霊場 奥の院笠ケ滝
皇踏山 (おうとざん)
笠ヶ滝きよめの不動堂
笠ヶ滝きよめの不動堂
皇踏山城跡
皇踏山は南北朝時代に城塞が置かれていた。佐々木信胤の星ヶ城の西方の出城であると考えられている。小豆島には城跡とされている場所が幾つかある。島は司法を海で囲まれており、佐々木信胤は敵の水軍の上陸を監視するために、島全体の要塞化を考えていただろう。
虎口、土塁、空堀
北曲輪
大手木戸、一の曲輪、二の曲輪、本曲輪、三の曲輪
北山皇踏権現社 (東権現)
天狗の松
東権現から頂上への山道を進むと途中に天狗の松と書かれた場所があった。道を入ると大きな松が倒れていた。これが天狗の松だが残念なことだ。どのようないきさつで天狗の松と称されるようになったのかが気になるのだが、色々調べたが不明。この山は修験者の山なので、天狗と呼んでいたのだろうか?
詰の曲輪
皇踏山頂付近は詰の曲輪と案内番には書かれていた。詰の曲輪と案内板にはあった。この城に関しての古文書はないので、城の縄張りも発掘調査で推測されたもので、曲輪名称も便宜上付けられているので、実際のところは不明。この詰の曲輪は頂上にあるので、瀬戸内海を行きかう船を監視していたと考えるのは自然だろう。
皇踏山頂上
詰の曲輪は大石がごろごろと横たわり、頂上まで続いている。ようやく頂上に到着。最高地は大岩で、その側には祠が祀られている。皇踏山自体を祀っているのだろう。
皇踏山大権現社 (西権現) (渕崎部落)
皇踏山の西側、渕崎部落へ降りていく道の上には、権現社もう一つの東権現がある。皇踏山大権現社と書かれている。こちらの権現は西権現とも呼ばれ、渕崎部落の人々が拝んでいる。
見晴台
西権現のすぐ近くにもう一つ見晴らし台がある。ここからは土庄の町並みや土庄港が一望できる。
ここからは、下に見える土庄町の渕崎部落への登山道があり、この道で下山する。この山道はかなり急で、降りるのも踏ん張って進まないと足を滑らしてしまいそうだ。時折、木々の隙間から見える土庄の町を見て跡どれくらいかと測りながら降りていく。
途中で振り返ると、先ほどまでいた皇踏山の頂上が見える。もう少しで渕崎だ。
ようやく渕崎に到着。今日はこの山を登り横断し降りてきたので、かなり脚に疲れがきているようだ。今日はこれで打ち止めにする。渕崎から、バス停のあるオリーブタウンまで行く。オリーブタウンからは皇踏山の全景が見える。山登りをする前に山を見てももう一つ印象に残らないのだが、登って降りて山を見ると、登る前とは異なり親近感が湧き、今日歩いた道が山の中に見えるようだ。今日歩いた遍路道と登山道では誰一人として出会うことはなかった。皇踏山を独り占めにした気分。今日はかなり疲れたので、バスに乗って居眠りをしながら福田に帰る。
参考文献
- 土庄町史 (1971 香川県小豆郡土庄町)
- 小豆島お遍路道案内図
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