東京 (16/01/22) 江戸城 (28) 内曲輪16門 / 内濠 (11) 坂道巡り (4) 新宿区 (1)
- 西向天神社
- 紅皿の墓
- 山吹坂
- 不動坂
- 厳島神社 (抜弁天)
- 久左衛門坂
- 永福寺
- 梯子坂
- 団子坂 (馬の首団子坂)
- 下戸塚坂
- 夏目坂
- 感通寺、津山藩松平家高田下屋敷
- 来迎寺
- 八幡坂
- 高田八幡
- 高田八幡男坂
- 高田八幡女坂
- グランド坂
- 地蔵坂
- 源兵衛地蔵尊
- 相馬坂
- 七曲坂
- おばけ坂
- 久七坂
- 聖母坂
- 西坂
- 霞坂
- 市郎兵衛坂
- 見晴坂
- 六天坂
- 山手坂
- 振り子坂
- 一の坂
- 二の坂
東京滞在三日目、今日は娘たちと夕食をするので、日中は新宿付近から待ち合わせの練馬方面に向かって坂道を巡ることにする。
まずは泊まっているホテルのある東新宿近辺の新宿地区の坂道と周辺の文化財を巡る。
西向天神社
境内には社殿 (写真左上)、神楽殿 (右中)、中世より春日部にあったが、後にこの地へ移転し、別当寺の梅松山大聖院 (右下) がある。梅松山大聖院は江戸時代には聖護院宮を開基とする門跡寺院で、天台宗本山派 (修験派) の江戸番所として江戸の拠点となっていた。
紅皿の墓
山吹坂
不動坂
厳島神社 (抜弁天)
西向天神社から北に向かい抜き弁天通に出る、その交差点に、この通りの名のもとになった抜弁天がある。正式には厳島神社という。その昔、源義家が戦勝祈願した厳嶋神社という。この近くを旧鎌倉街道が通っていたために源義家の伝説が残っているといわれている。ここにある弁天社は抜弁天として庶民から信仰され、江戸六弁天、新宿山の手七福神の一つに数えられている。
犬御用屋敷跡
神社付近一帯には、江戸時代元禄年間に設置された犬御用屋敷が置かれていた。五代将軍徳川綱吉の悪名高い生類憐みの令 (1687年 貞享4年) に伴って1695年 (元禄8年)、飼い主のいない犬を収容するため、四谷・大久保・中野に犬御用屋敷が設置された。ここの大久保の犬御用屋敷は、総面積2万3000坪という広さを誇り、約10万匹の犬を収容していた。1697年 (元禄10年) には手狭となり閉鎖とり、中野御用御屋敷に一本化されている。一般的には犬の過度の保護といわれているが、最近の研究者は野犬公害への対策、犬の繁殖を阻止が主目的であったと再評価している。1709年 (宝永6年)、徳川綱吉の死によって中野犬御用屋敷も撤去された。10万匹以上の犬がどうなったのかは、はっきりしないのだが、処理 (殺処分) されたとも、追い払われて散り散りになったともいわれている。
久左衛門坂
永福寺
久左衛門坂の北側は永福寺という曹洞宗の寺院がある。1648年 (慶安元年) 創建と伝わる歴史ある寺。本堂の前にはは珍しい露座の大日如来像と地蔵菩薩像 (ともに区指定文化財) が残っている。新宿山ノ手七福神の一つで永福寺は長寿の神の福禄寿を祀っている。
梯子坂
団子坂 (馬の首団子坂)
団子坂途中の若松河田駅を通り、大久保通りに出る。この大久保通りの北側、早稲田までの坂道とその周辺史跡巡りに移る。
夏目坂
団子坂は大久保通りに出て、夏目通りに続く。夏目通り早稲田方面に向かって下りとなり、夏目坂と呼ばれている。夏目漱石の随筆『硝子戸の中』(大正四年)によると、漱石の父でこの辺りの名主であった夏目小兵衛直克が、自分の姓を名づけて呼んでいたものが人々に広まり、やがてこう呼ばれ地図にものるようになったという。通りには夏目漱石にあやかった商店が幾つかある。この近くには漱石終焉の地 (後日訪問) もあり、漱石ゆかりの地となっていた。
下戸塚坂
感通寺、津山藩松平家高田下屋敷
1600年 (慶長5年) 関ヶ原の戦いの後、美作国は備前岡山藩主小早川秀秋が領していたが、1602年 (慶長7年)、嗣子が絶え廃絶となった。1603年 (慶長8年) に信濃川中島藩より森可成の子忠政が入部し、 津山藩が立藩。美作の府庁として津山城の築城し、城下町も整備され、藩政の基礎が築かれた。1697年 (元禄10年)、四代森長成が死去し、後継ぎの衆利が継承挨拶のため江戸に出府途中に伊勢で狂心し、幕府は美作津山藩を召し上げ、隠居した長継に備中国西江原藩の再襲移封、支藩の津山新田藩は播磨国三日月藩、宮川藩は備中国新見藩にそれぞれ転封した。1698年 (元禄11年)、結城秀康を祖とする越前松平家分家の松平宣富が10万石で津山に入部、以後廃藩置県まで松平氏が治めた。幕末にはこの下屋敷で炮術稽古、射撃訓練が行われた。1871年 (明治4年) 廃藩置県により津山県となる。北条県を経て岡山県に編入。
[津山藩松平家江戸屋敷: 鍛冶橋上屋敷、浜町中屋敷、高田下屋敷、深川下屋敷]
来迎寺
八幡坂
高田八幡 (穴八幡神社)
高田八幡男坂
高田八幡女坂
高田八幡 (穴八幡神社) から早稲田に向かう。
グランド坂
地蔵坂
源兵衛地蔵尊
早稲田通りを西に進み、落合に移動する。早稲田通りから新目白通りに入ると落合になる。新目白通り北側は下落合で斜面になっており、その地域には何本も坂道があり、そこを訪問する。
相馬坂
七曲坂
おばけ坂
久七坂
聖母坂
西坂
霞坂
市郎兵衛坂
見晴坂
先ほど通った相馬坂沿いのおとめ (御禁止) 山公園 (江戸時代は将軍家御鷹場) は特に名所で浮世絵にも描かれいる。
六天坂
第六天は、仏界欲天の最高位、且つ六道の天道 (天上界) の最下部である中の第六天に住む「他化自在天 (たけじざいてん)」の仏で、魔王とも呼ばれ、人々の喜びを自分の喜び、糧にするという。天人としての他化自在天は、弓を持った姿で描かれる。江戸時代、関東の旧武蔵国を中心に旧相模国、旧伊豆国などで大流行した。西日本では全く見られない。明治以降神仏分離令により、第六天は稲荷神社と合祀されたりし、その姿はほとんど見えなくなってしまった。
山手坂
振り子坂
次に落合地区の西隣の中井地区に移動する。この地域は江戸時代は上落合村となっている。ここにも多くの坂道がある。江戸時代から名が付いている坂道は少ないのだが、2009年に新宿区が道路通称名を一般公募し、名が付けられ、“一の坂”から“八の坂”まで番号のついた坂名が並んでいる。
一の坂
二の坂 (蘭塔坂)
ここで時間切れとなった、4時半、暗くなるまではまだ30分あるのだが、5時に約束の場所に着くには、そろそろ向かわなければならない。この後の三の坂から八の坂までは次回に持ち越しとする。
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