Ride in Setouchi & San-in Day 64 (18/5/19) Tsuyama Castle Ruins 津山城跡

Tsuyama Castle Ruins 津山城跡
Danjiri Exhibition だんじり展示館
Tsuyama Old Town History Museum 津山城下町歴史館
Ankoku Temple 安国寺
Hongen Temple 本源寺
Shurakuen 衆楽園

Tsuyama Castle Ruins 津山城跡

明治初頭の廃城前の古写真。全盛期には広島城や姫路城をしのぐ77棟の櫓が建っていた。
城の始まりは1441年 - 1444年 (嘉吉年間)、美作国守護の山名教清の一族 山名忠政が鶴山城を築城。応仁の乱で山名氏衰退し廃城となったが、1603年 (慶長8年) 森忠政が18万6千石で入封し津山藩が立藩し、現在の津山城の築城に着手し、13年の歳月をかけ1616年 (元和2年) に完成。この地域を鶴山から津山に改める。森忠政は森可成の六男 (末子) で、兄弟には信長の近習であった蘭丸がいる。本能寺の変で森蘭丸が討ち死にをし、長可が小牧・長久手の戦いで戦死すると、全ての兄弟が死去したことになり、末子の忠政が家督を継ぐことになった。1697年 (元禄10年) 4代藩主の森長成が早世し一時は森家断絶となり、安芸国広島藩主・浅野綱長の預かり、翌年1698年 (元禄11年) 松平宣富(越前家)が越後国高田藩より10万石で入封。以後、明治4年(1871年)の廃藩置県まで松平家が治めた。
森家は長成死去の後、二代藩主であった長継が存命であったことより、森気宗家としても赤穂藩初代藩主として森家再興となった。
城跡に建てられた森忠政像
津山城古地図
今日は土肥さんと10時過ぎに津山駅で落ち合う事になっているので、それまでに津山城を見ておきたい。なるべく時間をかけたいので朝7時半に城に行った。城の周りは柵で囲われており、9時から開くと表示されていた。ではそれまで周りでも見ておこうと柵に沿って歩いていると、柵が途切れた。少し急な土塁跡がある。これぐらいの坂は城跡には良くあるので、思い切って登る。舗装道に出て、その道を行くと城の中だった。これで城の中を見て回れる。
厩堀 ここに裏門があるが、まだ開いていない。工事中。豪雨の爪跡。
道路はあるがゲートが閉まっている。
柵の切れ目を発見。ここから登れる。登った所は城の裏側で一般に一番手薄な所と言われている。確かに石垣は上部しかなく下の部分は土塁で曲輪部分も非常に狭い。ここを上がると即本丸になる。それほど苦労しないで登れてしまったので、やはり城の弱点部分だろう。登りきった所にはも門跡。本丸にはいる門だった。いきなり本丸についてしまった。
粟積櫓  本丸の櫓の一つ
本丸の広場
多聞丸
七番門
五番門
天守台から見た五番門と備中櫓
備中櫓 復元された櫓で、内部は休憩所と資料館になっている。
備中櫓と長局跡 二の丸から見たところ
天守
天守台よりの風景
天守台基礎部分
裏鉄門 本丸から搦め手に通じる門
腰巻櫓 裏鉄門の櫓
裏中門 本丸から二の丸への門
二の丸跡
鉄砲櫓跡
四足門
切手門
弓櫓
表鉄門
表中門 三の丸へ入る門
これで一通り城を回った。外に出ようとすると料金所がある。この城は有料だったのだ。だから門が朝早くは空いていなかったという訳であった。城は広大なので全てを策で囲うことはしていない。この様な料金所を通らずに入れる城跡には何度もお目にかかった。萩城がそうだった。この時はちゃんとお金を払って入った。今回は有料とは知らなかった出来事。
10時に津山駅で土肥さんと待ち合わせ。急ぎ足での城見学だった。2時間。普通の観光客よりは長くいただろうが...  土肥さんと駅で合流。わざわざ、広島から岡山経由で電車で来てくれた。結構時間かかっただろうに。当初は岡山で落ち合うつもりだったが、旅がどんどん伸びて岡山まではたどり着けなかった。
土肥さんには片道あたり余分に1時間もかけさせてしまい申し訳無い。一緒に自転車で津山の街並みを見学。昼食をテレビでも紹介されたというホルモン焼うどん屋に行く。満席。味は普通以下。これなら自分で作った方が美味だ。テレビ放送は影響が大きいのだ。こんな味の店でも流行ってしまう。どうかしている。土肥さんも同感だった。この許容範囲の広い、もしくは、味音痴の自分にいまいちと感じさせるのは、普通の人にとっては不味いという部類だろう。ビジネスにはマスコミを巻き込むのも一つの方法だ。写真は津山駅ちだんじりを展示しているところ。ここでボランティアガイドさんとしばしお話し。何を話したかはこの日記を書いている今となっては殆ど飛んでいる。(2ヵ月前のことである。日記はその時に終えないと、その時の記憶が新しいものに上書きされてしまう。)

Danjiri Exhibition だんじり展示館

土肥さんは九州まで行かねばならない。忙しい合間に来てくれた。感謝です。津山駅で土肥さんを見送り、別のところにもだんじりを展示しているところがあるので行ってみた。豪商の屋敷だったそうだ。だんじりは岸和田から来ているそうだ。簡単な津山の町の歴史も紹介していた。

Tsuyama Old Town History Museum 津山城下町歴史館

津山の町おこし。B’zを使いたいみたいだが、メンバーはもう一つ乗ってこないらしい。学生時代に町の人からは良い扱いを受けていなかったらしい。函館に行った時はGrayが函館の町おこしに大いに貢献していたことと比較すると両極端な状況だ。たしかに芸能人は観光資源の一つになり得る。津山のこの冷えた関係はいつまで続くのだろう。
津山まなびの鉄道館
てっちゃんにはたまらないところがここにもある。

中島病院

古い病院 観光地に掲載されていた。まだ現役
街並み 城下町の風情が残っている

Ankoku Temple 安国寺

昨日は平沼総理の邸宅に行ったが、ここに平沼総理の墓があった。梵鐘が永和3年(1377年)の物と考えられており、美作地方では最古の物。本堂裏手の庭園は石林園とも呼ばれ、美作地方では衆楽園に次ぐ名園。

Hongen Temple 本源寺

森家の菩提寺。森家の墓は寺の奥にあり鍵がかかったおりみれないのだが、たまたま住職が掃除をしており、中が見れるかと尋ねると、気持ちよく中まで案内していただき、丁寧な説明までしていただいた。

Shurakuen 衆楽園

津山藩2代藩主 森長継が京都から作庭師を招いて造営された廻遊式庭園。京都御苑内にある仙洞御所を模している。観光客はちらほらで散歩して気持ちが良い。派手な庭園ではなく、簡素な造り。この方が落ち着く。

1コメント

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  • sumito dohi

    2019.07.28 00:23

    私が見た範囲の津山はほんの一部だったんですね。まぁ、あのホルモン焼きうんど屋さんは、、、、、ザンネンな味でした(笑)佐伯さんのおっしゃる通り、マスコミで味が(売り上げが)作られている好例ですね。地方でのアクションを考える場合、ちゃんと戦術として組み込んでおかないとですね。B'zの話もそうですが、観光資源が単発のコンテンツになってしまっていて、結局、カフェを作るとか古民家再利用で案内所をおしゃれに作るとかに走っちゃうんですよね。本気で津山を盛り上げなおすつもりなら、B'zは徹底的に取り込まなくてはいけないでしょうし、そのためには行政も民(町の人たち)も一丸となって心を通わせる取り組みをしなくては、情がこじれた関係は修復できないですよ。もちろん、前提として津山の人たちが「町おこし」を本当に願っているのならですけど。なんか、中途半端になってしまうのは、助成金ありきの観光化を進めているからなのですかね。。。。