Tokaido 東海道 15 (13/11/19) Ejiri Shuku 江尻宿
(18) Ejiri Shuku 江尻宿
- 細井の松原 (11/12 訪問)
- 寺尾本陣跡 (11/12 訪問)
- 稚児橋/船高札場
- 木戸跡
- 追分ようかん
- 遠州都田の吉兵衛の供養塔
- 久能寺観音道
- 草薙一里塚
- 草薙神社
- 長沼一里塚
今日は江尻宿を昨日の続きで巡ってみる。今日は半分休養も兼ねここから10kmぐらい先の清水までにとどめる。気温の変化が大きいせいか少し風邪気味の感じがする。
(18) Ejiri Shuku 江尻宿
江尻宿は東海道18番の宿場で興津宿から 1里2町(4.1km) の距離。本陣2軒、脇本陣3軒、旅籠50軒、戸数1,340戸、人口6,498人。
11/12 昨日見学した江尻宿
細井の松原 (11/12 訪問)
ここから、今日 (11/12) 最後の富士山。もうすぐ日が暮れる。宿のある清水迄はもう少し。
寺尾本陣跡 (11/13に記載)
説明板のみで、江尻宿は東海道を観光の材料にはあまり力を入れていない感じだ。
かつての江尻宿の街道は商店街になっているのだが、シャッター街になってしまっている。寂しい雰囲気。
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1/13 今日走ったルート
稚児橋/船高札場
稚児橋という名前の橋がある。子供の河童の像が欄干の端にあるのだが、どの様な言われがあるのだろう?ここは巴川が流れ清水港に注いでいる。江戸時代の河川ルートの要所で船高札場があった。船高札なる物は初めて見た。ここに停泊や難破した船に関する規定が書かれてあった。
河童のいわれが調べて分かった。徳川家康の命令で初めて巴川に橋が架けられ、その渡り初めの際、どこからともなくあらわれて橋を渡っていった男の子がいたという。それが「巴川に住むカッパ」として伝えられているそうだ。
木戸跡
ここが江尻宿の終点
追分ようかん
この通りは追分と呼ばれる。名物は追分ようかん。300年の歴史を誇る追分ようかん本店のところに追分の石標がある。追分とは街道の分岐点や交差点だが東海道とどの街道が交わっていたのか石標を見たが読めず不明のまま。
遠州都田の吉兵衛の供養塔
ここは清水で次郎長で有名な所。次郎長所縁の史跡もあるのだが、今回は旧東海道からなるべく外れないように進むので行かないのだが、街道沿いにこの供養塔があった。ヘェ〜と思った。都田 (都鳥) の吉兵衛といえば、森の石松を騙し討ちにした親分。物語では極悪非道に描かれている。清水の次郎長がここ追分で石松の仇討ちを遂げた。地元の人が都田の吉兵衛の人気のなさを哀れんで供養塔を建てたという。芝居でとことん悪役に描かれてはいるが地元の人には慕われていたのかもしれない。
久能寺観音道
安永7年 (1778年) に建てられた道標で、この地か有度山麓を通って久能寺へ至る道。
草薙一里塚
日本橋から43番目の一里塚。距離は170kmだそうだ。やっと東海道の1/3が終わった。
草薙神社
旧東海道沿いに草薙神社の大鳥居があった。草薙と言えば日本武尊の草薙の剣で有名。この神社の神剣として伝わっているらしい。神社にちょっと寄ってみようと大鳥居をくぐり、参道を走る。走れど走れど神社は見えてこない1km以上は走ってやっと神社にたどり着いた。昔の東海道の旅人はここを参詣したのだろうか?歩くには遠すぎる。
神社の入り口にはやはり日本武尊の立像があった。
境内に花火の大筒と煙火が展示してあった。のろしは昼にあげる龍勢と夜にあげる流星が戦国時代に発明され、この神社に伝わっている。今で言うロケットだ。この技術が江戸時代には大筒花火に継承されている。
長沼一里塚
日本橋から数えて44番目の一里塚。ちなみに京都三条橋までは124の一里塚があった。
今日は早めにここで切り上げ長沼泊まり。今日はぐっすり眠りたい。明日は静岡の府中宿を予定。
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