Ride in Setouchi & San-in Day 57 (11/5/19) Yura & Kurayoshi 由良 / 倉吉

Yura 由良
Mutuo Reflection Furnace Trace 六尾反射炉跡
Kurayoshi 倉吉
Hakuto Beach Hakuto Shrine 白兎海岸/白兎川下神社

Yura 由良

昨日はここ由良という街のキャンプ場に泊まった。知らなかったのだが、この町がコナンで町おこしをしているところだった。全くの偶然。鳥取県の中で大々的にアニメを観光の前面に出しているところが3ヶ所あるとゲゲゲの鬼太郎で町おこしをしている境港で知った。もう一つがここだった。倉吉に直行しようと思っていたが、どんな町おこしをしているのか見てからにする。
境港は一ヶ所にこれでもかと言わんばかりに、商店やイベント場を集中させているのだが、由良ではスポットを分散させている。街全体で、ちらちらっと、コナンのアニメを使ったものが置いてあるといった感じ。コナン探しで町を広く移動してもらおうという意図があるのかもしれない。行政機関も参加しているのは境港と同じ。商店でコナンを前面に出しているところは圧倒的に境港の方が多い。
マンホール、バス停、案内板等 これはコナン通りがありそに通りがコナン関連のメイン会場。
この通りにはコナン大橋がかかっている。

橋にたもとコナンの家を造り。
ショップと巨大迷路がある。
コナン通りの海側の終点には青山剛昌ふるさと館がある。国道の道の駅と隣どうしで、集客にはいい立地条件。オープン12年になるそうだ。
行政も一役買っている。北栄町役場もコナン。役場に車はコナンでペイント。
図書館も
ここ由良は北栄町にある。スイカが名産。コナン通りのもう一つの終点が由良駅。コナン駅となっている。駅の前にはコナンの人形達が出迎える。コナン電車も走っている。(電車は一日数便しか無く時間合わずインターネットから借用)
観光客の数では境港に大きく水を空けられている。このようなものは多くの商店などを集中した方が良い事がわかる。観光客による活気がその方が効果的だ。
これから倉吉に向かう。町おこしには行政の積極的な参加が必要なこと実感した。特に鳥取はアニメを選んだ。勇気がいったと思う。史跡や名勝は既にあるものを利用するが。ここは一から作来る必要があった。境港と同様に既に10年以上たっているがまだ観光客は多く来ている。漫画の力は凄い。100年後には水木しげるや手塚治虫は葛飾北斎や安藤広重と同じように扱われているだろう。

Mutuo Reflection Furnace Trace 六尾反射炉跡

ここも偶然に見つけた。案内板によると、反射炉を建造し、鉄製大砲を50門を製造した。当時、鳥取には金がなく、大庄屋の武信佐五右衛門が金を出し、養子の武信潤太郎の技術総指揮のもと築造。労働力には16歳~50歳の地元農民、延べ7万5千人を動員。 
これは町人が作った反射炉だ。これは驚き。長州でも反射炉は試作品止まりで反射炉に成功した藩は多くない。鳥取藩の反射炉はかなりのレベルだった。岡山、水戸、島原はそこまでのレベルには達していなかった。

Kurayoshi 倉吉

由良から約10キロ内陸部に入ったところに倉吉市がある。打吹山にあった打吹城の城下町として栄えた。この打吹城は戦国時代までは伯耆守護山名氏による守護所であった。
その後毛利となり、関ヶ原後は米子城主の中村一忠の領地となり、池田氏の鳥取藩時代は自分手政治と言われた家臣に委任統治をさせて、米子/倉吉は鷲尾氏が明治維新まで治めた。
小さな町で多くの商店や蔵がそのままの残っている。倉吉も鳥取城から居城を移そうとした時に候補になった程なので、城町としては整っていたのだろう。
多くの大型バスが停まっており、大勢の観光客が町を散策していた。白壁土蔵、赤瓦の町と呼ばれており、その地区は数百メートルぐらいで歩いても疲れず楽しめる。多分ここで宿泊する観光客は少ないだろう。
大岳寺 安房館山からこの地に移封された里見忠義と殉死した8人の家臣の墓。滝沢馬琴の里見八犬伝のモデルかもしれないと遠慮気味に案内板には書いてあった。
寺への参道だか、細い路地。出雲大社の分社があり隣はレトロな銭湯でまだ営業しているようだ。
これが一番気に入った。

Hakuto Beach Hakuto Shrine 白兎海岸/白兎川下神社

ここが因幡の白兎の場所。この内陸部に白兎神社があり海岸にはその社がある。単なる言い伝えと思っていたが、神社やどの場所まであるとは....  作り話なのだがいつ頃からあるのだろう? 建て直しはされているが、古事記や日本書記にも記されているという。
今日走ったコースで撮影した風景。

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