Ride in Setouchi & San-in Day 56 (10/5/19) Mukibanda Park むきばんだ公園
Mukibanda Park むきばんだ公園
淀江御台場跡
美甘塚/山中鹿之助供養塔
鳴り石の浜
赤崎御台場跡
日韓友好交流公園
由良台場跡
米子から鳥取方面に10キロ程の所に淀江という町がある。古墳遺跡が多く発見されているところ。2つ整備された公園がある。ちゃんと管理施設が作られており、有人で管理されている。まずは伯耆古代の丘公園に行ったがまだまだ開園時間まで間がある。両方とも開園時間が朝9時からで、少し早く着きすぎたので、宿で作った弁当を朝食として食す。弁当はおにぎりかサンドウィッチなのだが、レパートリーが増えてきた。今日は、ローストチキン、チーズ、サラダのサンドウィッチ。市販の菓子パンより美味である。食べ終わってもまだ開演までは時間があるので、ここは飛ばしてむきばんだ公園に向かう。ここは少し高台にあり、景色が素晴らしいと書いてあった。
Mukibanda Park むきばんだ公園
むきばんだとは変わった名だ。ここのゆるキャラがある。パンダ? むき“ばんだ”というところなのだが.... 語呂が似ているだけ。
展示内容は至って真面目で、資料館もある。鳥取県が管理している。ゴルフ場開発中に遺跡が次から次へと見つかった。地元住民から遺跡を残すべきととの強い要望があり、ゴルフ場建設は中止となり、鳥取県が買い取り史跡公園として整備した。九州の吉野ヶ里に匹敵する発見だが、吉野ヶ里程派手ではない展示内容。しかも無料。話をした係員さんはこの素朴さが良いと言っていた。確かには、吉野ヶ里はちょっとしたテーマパークのようだが、ここは広い空間を散歩しながら当時を想像でき、素晴らしい景色を楽しむことができる。古代の人も同じ風景を見ていたのかと思うと何故か楽しい。
発掘された場所に忠実に弥生式住居を再現している。1700-2000年前の住居跡で東京ドーム30個の広さで300年程続いたと考えられている。発掘では900棟以上の住居跡が見つかっている非常に大きな国であった。いつも気になるのは、衰退した原因が何だったのか? この遺跡の正式な名前は妻木晩田遺跡という。至って硬いイメージの名前。親しみを持ってもらうために敢えてひらがなで表記してパンダを起用している。子供達にはこの方が良いだろう。
発掘された住居跡を展示していた。わざわざ館員さんが説明してくれた。いつも幼稚園、小学生で賑わっているそうだ。大変なのは復元住居の修理メンテナンスで大掛かりな修理は2年に一度はやっているとのこと。
標高120mからの景色は素晴らしい。
直ぐ下には淀江の街、湾の向こうは米子。山側は孝霊山。
資料館では300年続いたこの国(?)の変遷の過程が展示されていた。
淀江御台場跡
国道9号戦に戻るとすぐに所に、幕末の砲台跡があった。鳥取藩は伯耆で3ヶ所、因幡で5ヶ所設置していた。境港でも砲台跡があった。
美甘塚/山中鹿之助供養塔
偶然見つけたのだが、ここにも山中鹿之助の供養塔がある。尼子氏再興活動の最中、この末吉にあった末吉城に入った山中鹿之助と毛利の間で戦闘があり、山中鹿之助がここで囚われた。鹿之助の供養塔のとなりに別の供養碑がある。毛利方の武将の美甘与一右左衛門が和議を結ぶ為、末吉城に赴くが城内でだまし討ちにあった。その慰霊碑。
鳴り石の浜
砂では無く、石の海岸。時々同じような鳴り石海岸を見かける。ここで景色を見ながら昼食をとる。
赤崎御台場跡
伯耆の3番目の幕末砲台跡。残念ながら、外側の土塁跡の一部しか残っていない。
日韓友好交流公園
1819年に朝鮮の商船を救助。1963年にも韓国戦が漂流しここ赤崎に流れ着き保護した。この二つの出来事を契機として姉妹都市となり、ここに交流公園が作られた。個人間や地域間では関係はそれほど悪くないにもかかわらず、国のレベルになると政治的に利用される決して良い関係ではない。どうにかならないのだろうか。
由良台場跡/台場公園キャンプ場
4番目の幕末の砲台跡。ここは綺麗に砲台跡が残っている。今日はここでテントを張って泊まる。ほかにテントを張っている人なし。松林を貸し切り。
2コメント
2019.05.14 09:07
2019.05.13 07:38