Ride in Kyushu Day 45 (29/1/19) Uto Castle Ruins 宇土城跡

Amakusa Five Bridges 天草五橋
Uto Castle Ruins 宇土城跡
Visit to Amakusa ended yesterday. Today move back to Kumamoto again and go down to South tomorrow. On the way back to Kumamoto, I wil be passing five bridges between Lower Amakusa Island and Upper Amakusa Island. Amakusa is composed with more than 100 islands. Such five bridges were constructed only 50 years ago and until then, transportation was only boat. Amakusa was very isolated that time. Even now it takes 2.5 hjours to go to Kumamoto from Central City of Amakusa. Still far from district capital. Amakusa people speaks different directs from Kumamoto. Very different culture still exists there.
I am very interested to visit one castle ruins, Uto Castle which was built by Konishi Yukinaga, Daimyo in Sengoku Era in 16 century, who was Christian, owned Amakusa and protected Amakusa christians and Portuguese missionaries. When he was killed by Tokugawa Ieyasu, Roman Catholic was very shocked and created novel of him in Europe. So influencing man.

Amakusa Five Bridges 天草五橋

天草から熊本に向かったので5号機から渡って行く。橋は高台にあるので景色は格別。特に今日は晴天で春が来たかのようだ。このルートは高度はそれ程ではないのだがアップダウンが兎に角多い。それに橋は狭い歩道しかないので、車が猛スピードで駆け抜けて行く横を緊張しながら渡る。
5号橋 松島橋
4号橋 前島橋
3号橋 中の橋
2号橋 大矢野橋
1号橋 天門橋
この数日暖かいせいか桜の蕾が大きくなっている。もう数日で満開になりそうだ。Cherry blossom are blooming due to warm weather these days. It’s like Spring.

Uto Castle Ruins 宇土城跡

小西行長の銅像が城跡に建てられていると聞いていたがない。宇土城が行長の居城だったのか疑わしくなり、調べてみると、宇土城は二つある。一つは宇土古城で宇土氏の居城だった所で、まずここに来てしまったようだ。立派なもので、きちんと整備がされてあった。
宇土古城
千畳敷 館があったのだが、周りは堀に囲まれている。この城が破却される際に、当時は堀に仏塔などを投げ入れる儀式があったそうで、その仏塔の石が発見されている。非常に珍しい発見と解説されていた。初めて知った。
三城

宇土新城

小西行長はここを拠点に色々な構想があったのだろうが、築城して一年足らずで関ヶ原の戦いとなり、42歳で斬首改易。ここには長くは住む事が出来なかった。小西行長は水軍を操るにたけていた事と、商人出身で早くから南蛮貿易に利がある事を理解していたことから見ると宇土、三角の港を中心に強力な海軍をベースに貿易での国作りを考えていたのではないかと思う。秀吉の朝鮮出兵時には戦争の早い時期から、朝鮮との和睦交渉を進めていた。これが強硬派の加藤清正と不和になる原因なのだが、本当は正しい選択であったと思う。実現出来たかは別として、本質を捉え、実利を取る現実的な思考が出来た人物と思う。いつの時代もそうだが、生きていれば歴史が変わったであろう人物が多く抹殺されている。運が無かったのか? 今後、小西行長についてもう少し深く掘り下げたい。
現在露出している石垣は加藤清正が構築した。関ヶ原で小西行長が斬首された後、加藤清正が宇土の地をもらい受けた。隠居後にはここに移ることを考えていた様だったが、隠居前に病死してしまったので、結局ここには住まずじまい。この石垣の下にはまだ小西時代の石垣が埋もれている。
公園にはこんな話も載っていた。小西行長の人となりの一面が垣間見れる。
明日は八代に行き、西南戦争の所縁の地をみる。30キロ程なのでほぼ1日使えるのでゆっくりとまわることにしよう。

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