Ride in Kyushu Day 28 (12/1/19) Battle at Tabaruzaka 田原坂の戦い (前哨戦)
Mikawa Coal Mine 三川坑
Battle at Tabaruzaka 田原坂の戦い
今日から西南戦争の所縁の地を訪れ、当時の事に少しでも触れ、考える事があれば良いと思う。
西南戦争については、鹿児島に滞在中に掘り下げてみたい。
明治10年2月15日に西郷隆盛率いる薩軍が明治政府のある東京を目指し、鹿児島を出発し21日には政府軍の拠点・熊本城にある熊本鎮台の目前・川尻に集結。22日には戦端が開かれ、熊本城を包囲。明治政府は鹿児島の動きを早くから察知しており、事前に5600の兵を海路派遣しており、戦端が開かれた22日には博多に到着していた。この5600の官軍とは別に、小倉からは乃木希典率いる大隊が熊本鎮台救援に向かっていた。22日には第1、第2中隊は高瀬まで来ていた。ここで熊本城が包囲された事を知り、山鹿の第3中隊と合流し総勢200で植木で薩軍と戦端が開かれた。
植木の戦い (2月22夜)
この場所は田原坂訪問の後、熊本の宿に向かう途中に通過して、翌日再度田原坂に行った時に通った。
熊本城を包囲していた薩軍に植木近辺に官軍が進行して来た事の知らせが届き、すぐさま阻止の為に向かい、向坂で衝突。乃木隊は混乱し、千本桜まで敗走。ここに乃木大将の記念碑がある。向坂の戦いで乃木は軍旗と旗手を失い、退却して来た千本桜で自決しようとして、縄で縛られて思いとどまったという。後に明治天皇が逝去した際に追腹を切った乃木らしいエピソードだ。
御馬下の角小屋
戦いのあった植木は熊本から山鹿に伸びる薩摩街道にあり、熊本藩の藩主細川氏の参勤交代のルートであった。戦場より熊本よりに御馬下の角小屋と言われている江戸時代の庄屋跡が熊本市により保存されている。宿場でもなく、間宿でもなく、参勤交代や細川藩家臣の旅の休憩所として使われていた。篤姫も立ち寄ったと説明を受けた。薩摩街道はバイパス道路が走り、街道の面影は無いので貴重なものだが、訪問する人は殆ど無いと掃除のおばさんが嘆いていた。蔵はちょっとした展示場になっております。主に街道と参勤交代についての資料展示をしている。ここでは横井小楠を大河ドラマへの運動がされている。
木葉の戦い (2月23日)
乃木隊は千本桜からさらに木葉まで退却し、追撃をして来た1700の薩軍と戦闘が行われた。この時の乃木隊は700名。戦闘が行われたが乃木隊は形勢不利と判断し高瀬まで退却を決断。この際に乃木は馬が銃弾を受け落馬、部下の身を呈して救出。部下は戦死。
薩軍はおかしな事に追撃をしていない。本営からの指令だったとか、誤報だったとか真相はわからない。ただ、追撃をしていれば、高瀬大会戦で敗北は無かったかもしれないし、田原坂の戦いも無かった。大きく戦局に影響する判断であった。
自転車での移動は北の大牟田から南に走って来たので、丁度官軍の進路をたどるような形になった。
まず西南戦争の所縁の最初の地は玉名市だった。ここで激戦が行われた。ただ、高瀬大会戦の前に木葉での戦いがあった。(自転車では後に行ったのだが、前述の2つの戦いが高瀬大会戦の前の出来事である)
高瀬大会戦
植木・木葉で連敗の政府軍(乃木隊)は敗走したが、2月25日早朝から空白地帯となっている高瀬の確保の為に菊池川を渡って高瀬で防衛線を張った。熊本城に向かうには物資輸送もあり、高瀬橋の確保がどうしても必要だった。このことは薩軍も知っており、この高瀬が両軍の激突の地となった。
高瀬大会戦は3度衝突があった。有栖川宮が率いる本営を玉名に設置し、この会戦が始まる。
第一次高瀬会戦(2/25)
薩軍が有利に展開し、官軍は後退。
第二次高瀬会戦(2/26)
前日とは変わり、官軍がどんどん押し出し高瀬橋を渡り薩軍を押し返し、官軍優勢でこの日の戦闘は終了。
第三次高瀬会戦(2/27)
薩軍は熊本から篠原国幹、桐野利秋、村田新八の率いる3大隊の中でも選りすぐった精鋭・総勢約280を投入して来た。対する官軍は後続部隊が到着し、乃木隊に合流し4000人に増え、数では圧倒的に有利となった。しかし、薩軍は精鋭で組織しただけあって、戦況は薩軍有利に思えたが、薩軍篠原隊が銃の弾玉が尽きてしまい退却を始めた。これが薩軍の命取りとなる。篠原隊にあたっていた官軍は兵を桐野隊、村田隊攻撃に投入して、形勢は一挙に官軍に傾き、桐野隊、村田隊は撤退してしまった。
官軍はこれでここを抑え、高瀬橋を渡り、木葉に前線を前進させることになる。
村田隊と共に行動していた篠原隊(1番大隊)1番小隊隊長・西郷小兵衛(西郷隆盛の末弟)は繁根木神社に立てこもる官軍と銃撃戦をしていたが、胸に銃弾をうけ、繁根木川の堤防で戦死している。亡くなった地には墓が建てられ、そこに行くと新しい花が供えてあった。
この激戦地には加藤清正が築いた船着場がある。要塞のように立派なもので、石垣が積まれてある。さすが築城の名人である清正の仕事は見事だ。菊池川に沿って用水路も石垣作りで、これまた見事。
この玉名での発見は、今年の大河ドラマ「いだてん」の主人公 金栗四三が生まれたところ。観光地作りが進行中。
2コメント
2019.01.14 10:51
2019.01.12 14:35