埼玉県 (12/04/23) 蓮田市 (8) 蓮田地域 閏戸
蓮田地域 閏戸 (うるいど)
下閏戸
- 馬頭観音 (4番)
- 伊夜彦神社
- 備後稲荷神社
- 馬頭観音 (5番)、甲子塔 (59番)
- 養牛寺、庚申塔 (24番)
中閏戸
- 庚申塔 (22番)
- 牛頭観音 (9番)
- 馬頭観音 (6番 不明)
- 馬頭観音 (3番)
- 牛頭観音 (8番)
- 薬師堂
- 閏戸久伊豆神社
上閏戸
- 堤外公園
- 馬頭観音 (16番)、六十六部供養塔
- 巡礼社、大山街道
- 庚申塔猿田彦大神 (23番)
- 牛頭観音 (7番)
- 庚申塔 (25番)
- 子育地蔵
- 道祖神
- 愛宕神社
- 秀源寺、馬頭観音 (未登録)
- 桟俵地蔵
- 久伊豆橋
- 馬頭観音 (2番)、庚申塔 (20番)、弁天、力石
- 馬頭観音 (1番)
- 庚申塔21 (市役所に移設)
蓮田地域
蓮田地域は蓮田市の中央部に位置し、元荒川と綾瀬川沿いの農地とその間の集落地からなり、閏戸と貝塚がこの地域にあたる。元荒川の東側、綾瀬川と見沼代用水に挟まれる地域は農地を中心に水と緑の豊かな田園環境が残っている。元荒川沿いには総合市民体育館や総合文化会館が建設され文化と健康の総合拠点として、市民活動に利用されている。しかしながら、生活道路の安全性や豪雨時に冠水の問題があり、道路もが不足している。また、高齢化により、耕作放棄地や空き家の増加、コミュニティの活動への支障が存在している。土地利用計画については地域の大半は集落的ゾーン、農業的ゾーンを維持しながら閏戸地区北側を都市的ゾーンとして、工場や流通業務施設の立地する工業・流通業務系ゾーン化を計画している。
- 蓮田市の面積の17%を占めるも、人口は9%で人口に比べ農地の占める割合が大きい
- 人口は減少傾向にある
- 蓮田市全体に比較して高齢化が顕著に進んでいる。子供の人口は横ばいなので労働人口の減少が課題
- 地域住宅のほとんどが一戸建てで共同住宅が少なくその中でも公営住宅はほとんどない。これは長男以外の住居確保に問題があり、この地域から流出の一要因と思われる。
- 住民の不満は道路、上下水道、買い物環境にあり、生活を営む上でのエッセンシャルな所が大きい。これは大きな課題だろう。
蓮田地区 閏戸 (うるいど)
閏戸村は古くは閏戸郷とも呼ばれ、広大な地域の幾つかの部落を含んでいた。江戸時代には岩槻藩領で、1689年 (元禄11年) に閏戸村は上閏戸村、中閏戸村、下閏戸村、貝塚村、根金村、根金新田村の6つの村に分かれた。明治7年に上閏戸村、中閏戸村、下閏戸村の三か村が合併して再度、閏戸村が成立している。明治22年に閏戸村、貝塚村、蓮田村が合併して南埼玉郡綾瀬村が誕生し、旧閏戸村は大字閏戸となった。その後、綾瀬村は昭和9年に綾瀬町に名称変更し、昭和29年に平野村と黒浜村戸合併し蓮田町となり、昭和47年に蓮田市となっている。この期間に大字閏戸として行政区は変わっていない。
大字閏戸の人口推移状況は以下の通り。閏戸は蓮田市の中で4番目に人口の多い地区。他の地域同様に高齢化が進んでいる。
資料に記載されている閏戸の寺社仏閣や民間信仰の塔は以下の通り
- 仏教寺院: 養牛寺(下閏戸)、薬師堂 (中閏戸)、秀源寺 (上閏戸)
- 神社: 伊夜彦神社 (下閏戸)、備後稲荷神社 (下閏戸)、閏戸久伊豆神社 (中閏戸)、愛宕神社 (上閏戸)
- 庚申塔: 6基 馬頭観音: 7+1基
閏戸訪問ログ
下閏戸村
蓮田台地の中央部、元荒川右岸、綾瀬川の左岸に位置し、北は中閏戸村、南は上蓮田村。古くは閏戸郷に属していた。1698年 (元禄11年) までは閏戸村に含まれたといわれるが、1665年 (寛文5年) の上尾宿助馬調に下閏戸村があげられており、この頃から分村化が進んでいたとみられる。江戸時代は岩槻藩領で、寛文12年に180石余あったとされている。
馬頭観音 (4番)
伊夜彦神社 (いやひこじんじゃ)
備後稲荷神社
馬頭観音 (5番)
邸内社?
養牛寺 (ようぎゅうじ)、庚申塔 (24番)
- 阿弥陀如来 (写真中左端) - 仏門に入った男性(禅定門) の供養のために1702年 (元禄15年) に造立され、船形の石塔に、両手で香炉を持つ阿弥陀如来立像が浮き彫りされている。
- 地蔵 (写真中左から2番目) - 1720年 (亨保5年) に仏門に入った男女の禅定門、禅定尼の供養のために造立され、舟形の石材塔に、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ地蔵菩薩立像と蓮座が浮き彫りされている。
- 百箇所巡礼塔 (写真中右から2番目) - 1710年 (宝永7年) に造立され、舟形の石塔に、左手に蓮華を持ち、右手は与願印の聖観音立像が浮き彫りされ、像脇に「巡礼西国坂東秩父百番之札所」と刻まれている。
- 如意輪観音 (写真中右端) - 仏門に入った禅定の霊位として、1722年 (享保7年) に仏門に入った男女の禅定門、禅定尼たちの供養のために造立され、舟形の石塔に、輪王座の如意輪観音坐像が浮き彫りされている。
- 如意輪観音 (写真下左端) - 如意輪観音の後ろにもう一つ如意輪観音があった。1732年 (享保17年) に仏門に入った造立され、舟形の石塔に、輪王座の如意輪観音坐像が浮き彫りされている。
- 延命地蔵 (写真下左から2番目) - 1740年 (元文5年) 造立の延命地蔵菩薩で右手に錫杖、左手に宝珠を持っている。
- 六十六部巡礼塔 (写真下右から2番目) - 1766年 (明和3年) 造立され、隅丸角柱形の石塔に阿弥陀三尊 (主尊:阿弥陀如来、脇侍:観音菩薩、勢至菩薩) を表す梵字及び「天下和順 日月清明」、「奉納大乗妙典六十六部日本廻国中供養」と文字が刻まれている。
- 禅定門、禅定尼霊碑 (写真下右端) - 禅定門と禅定尼の霊碑になり、龍光禅定門 明和2年 (1765年)、梅心禅定尼 宝暦3年 (1753年) と正面に刻まれている。
中閏戸
中閏戸は上閏戸村と貝塚村の南にあり、元荒川の右岸、綾瀬川左岸に位置する。西は同川を境に足立郡小貝戸と柄山村 (現伊奈町)、南は下閏戸村に面している。かつては閏戸郷に属した。江戸時代には岩槻藩領で、1689年 (元禄11年) に閏戸村は上閏戸村、中閏戸村、下閏戸村、貝塚村、根金村、根金新田村の6つの村に分かれた。明治7年に上閏戸村、中閏戸村、下閏戸村の三か村が合併して再度、閏戸村が成立している。明治22年に閏戸村、貝塚村、蓮田村が合併して南埼玉郡綾瀬村が誕生し、旧閏戸村は大字閏戸となった。その後、綾瀬村は昭和9年に綾瀬町に名称変更し、昭和29年に平野村と黒浜村戸合併し蓮田町となり、昭和47年に蓮田市となっている。この期間に大字閏戸として行政区は変わっていない。
庚申塔 (22番)、六十六部日本廻国中供養塔
馬頭観音 (6番) (不明)
牛頭観音 (9番)
馬頭観音 (3番)
牛頭観音 (8番)
薬師堂
- 光明真言供養塔 (写真下右端) - 1860年 (万延元年) に中閏戸村講中により、罪業消滅を祈願して光明真言読誦記念碑として造立された光明真言供養塔で、山角柱形の石塔に胎蔵界大日如来を表す梵字(アーンク)を中央に置く光明真言曼荼羅が線刻され、「天下泰平 五穀豊饒 郷中安穏 諸人快楽 奉唱念光明真言供養塔」の文字が刻まれている。
- 光明真言供養塔 (写真下右から2番目) - その隣にも、1835年 (天保6年) に観音経講中により、罪業消滅を祈願し建てられた光明真言供養塔で山角柱形の石塔に胎蔵界大日如来を表す梵字 (アーンク) を中央に光明真言曼荼羅が線刻され、「天下泰平 日月清明 光明真言供養塔」の文字が刻まれている。
- 敷石供養塔 (写真下左から2番目) - 1865年 (慶応元年) に建てられた敷石供養塔で、山型角柱状の石塔に、胎蔵界大日如来を表す梵字 (アーンク)、敷石供養塔の文字が刻まれている。
- 観世音供養塔 (写真下左端) - 1805年 (文化2年) に中閏戸邑中により造立された観世音供養塔で、隅丸角柱形の石塔に輪王座を組む如意輪観音菩薩坐像が浮き彫りされ、「観世音供養」の文字が刻まれている。
閏戸久伊豆神社
上閏戸村
蓮田台地の中央部にあり、元荒川の右岸、綾瀬川の左岸に位置する。西は同川を隔てて足立郡大針おおばり村 (現伊奈町)、南は中閏戸村。江戸時代には岩槻藩領で、1689年 (元禄11年) に閏戸村は上閏戸村、中閏戸村、下閏戸村、貝塚村、根金村、根金新田村の6つの村に分かれた。明治7年に上閏戸村、中閏戸村、下閏戸村の三か村が合併して再度、閏戸村が成立している。明治22年に閏戸村、貝塚村、蓮田村が合併して南埼玉郡綾瀬村が誕生し、旧閏戸村は大字閏戸となった。その後、綾瀬村は昭和9年に綾瀬町に名称変更し、昭和29年に平野村と黒浜村戸合併し蓮田町となり、昭和47年に蓮田市となっている。この期間に大字閏戸として行政区は変わっていない。
堤外公園
馬頭観音 (16番)、六十六部供養塔
巡礼社、大山街道
庚申塔猿田彦大神 (23番)
庚申塔 (25番)
牛頭観音 (7番)
子育地蔵、雷電宮
道祖神
愛宕神社
秀源寺
桟俵地蔵
久伊豆橋
馬頭観音 (2番)、庚申塔 (20番)、弁天、力石
- 馬頭観音 (2番) - 大正時代 1917年 (大正6年) 造立の駒角柱に馬頭観世音の文字が刻まれている。
- 庚申塔 (20番) - 1731年 (亨保16年) 造立の笠付角柱の上部に瑞雲を伴う日輪、月輪、その下に餓鬼を踏みつけた青面金剛立像、二鶏三猿が浮き彫りされている。
- 弁天 - 1836年 (天保7年) に水守護、家内安全、商売繁盛を祈願して駒角柱形石塔が造立され、弁財尊天と文字が刻まれている。
- 力石 - 三つの石塔の横には1774年 (安政3年) に久伊豆神社に上閏戸村中により奉納されたもので「奉納 力石二拾五貫目 (約94Kg)」と刻まれている。
馬頭観音 (1番)
旧閏戸村の史跡巡りは終了、次に隣の貝塚地域に移動する。貝塚地域の訪問記は別途。
参考文献
- 故郷歴史探訪 (1992 中里忠博)
- 蓮田市地名誌 (1992 中里忠博)
- 蓮田の歴史 (2015 中里忠博)
- 蓮田の歴史をしろう (中里忠博)
- 蓮田市史・石造物調査報告書一覧
- 蓮田市史 通史編 I (2002 蓮田市教育委員会)
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