埼玉県 (12/04/23) 蓮田市 (9) 蓮田地域 貝塚
蓮田地域 貝塚
山ノ神村
- 北向き地蔵
- 馬頭観音 (12番)、山ノ神の共同墓地
- 山ノ神沼
塚本 (貝塚村本村)
- 馬頭観音 (9番)
- 庚申塔 (21番)
- 神宮寺跡、庚申塔 (17番)
- 第二土地改良竣工碑
- 馬頭観音 (11番)
- 馬頭観音 (10番)
- 貝塚神社、綾瀬貝塚
羽山村
- 大日如来、若宮八幡宮
- 弁天
- 地蔵菩薩 (13番)、巡礼塔
- 子育て地蔵 (4番)
- 宝篋印塔
蓮田地域 貝塚
蓮田台地の北東部にあり、元荒川の右岸に位置する。西は上閏戸村、南は中閏戸村、東は元荒川を隔てて白岡村 (現白岡町) に接している。古くは閏戸郷に属し、閏戸が三村に分離した際には上閏戸村に属していた。伝承では、この貝塚村は六軒百姓が開発を行ったとされ、更に開発が進み1698年 (元禄11年) には上閏戸村から分村独立し貝塚村が誕生したとされている。地名は付近に貝塚が多いことに由来している。ただ、1665年 (寛文5年) の上尾宿助馬調には既に「かいつか村」が見られるので、この頃から実質的に分村化が進んでいたとみられる。貝塚村は三つの小名の山ノ神村、貝塚村、羽山村で構成されており、現在でも小字として山ノ神、塚本、羽山として残っている。
大字貝塚の人口推移状況は以下の通り。貝塚は蓮田市の中で4番目に人口の少ない地区。他の地域同様に高齢化が進んでいる。
資料に記載されている貝塚の寺社仏閣や民間信仰の塔は以下の通り
- 仏教寺院:神宮寺跡 (塚本)
- 神社: 貝塚神社 (塚本)
- 庚申塔: 2基 馬頭観音: 4基
貝塚地区訪問ログ
山ノ神村
北向き地蔵
祠の中には1714年 (正徳4年) に造立された地蔵菩薩で左手に宝珠、右手に錫杖を持った姿で丸彫りされている。建立の際、北向きに建てるようにとお告げがあったと伝わっており、地元では北向き地蔵と呼ばれている。別の言い伝えも残っている。
お地蔵様はいつも北を向いていて寒いだろうと、言ってお爺さんがそっと南向きにしてあげましたが、翌日もお参りに行くとまた北を向いておりました。何遍直してあげてももとどおりになっていました。この話を聞いた村人は不思議に思い、今まで以上にお地蔵様を大切にしてお線香やお供物を絶やさなかったということです。
8月24日の縁日には、近在の人がお参りに訪れ、諸願成就の際には2色・3色の布、団子や酒を奉納しているという。
馬頭観音 (12番)、山ノ神の共同墓地
- 馬頭観音 (12番 写真左下) - 1786年 (天明6年) 造立の舟形石塔にニ臂の馬頭観音立像が浮彫りされている。
- 地蔵菩薩 (下中) - 1794年 (寛政6年) に山ノ神村念仏講中により、少年の供養のため建てられたもので、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ地蔵菩薩立像が丸彫りされている。
山ノ神沼
塚本 (貝塚村本村)
旧山ノ神村 (小字山ノ神) の南は塚本という地域になる。この地域が貝塚村の本村になり、小字貝塚だった。
馬頭観音 (9番)
庚申塔 (21番)
今日は二つ目の猿田彦型庚申塔に出会った。1847年 (弘化4年) に貝塚村講中により造られたもので、山角柱に「猿田彦大神」の文字がを刻まれ、台石には三猿が浮き彫りされている。猿田彦大神は元々は道案内の神だが、江戸時代中頃からは庚申信仰とも結びつき、庚申塔にもその名が記されるようになった。道案内の神らしく、道しるべになっている。正面には「向南 川越場 さって 江ニり余 すきとへ ニり」、左側面に「右 くき 志やうふ ニり」、右側面に「左 こうのす ニり はらいち 一り■丁」と記されている。7月下旬から8月中旬にかけ灯籠を立てて拝むそうだ。
第二土地改良竣工碑
神宮寺跡、庚申塔 (17番)
猿田彦の庚申塔まで戻る、次は南 (川越方面?) に向かう。すぐ側に畑の道沿いに墓地がある。ここは神宮寺跡だそうだ。この南に貝塚神社があり、その別当寺の神宮寺だった。新義眞言宗、足立郡倉田村明星院末、八幡山と号號し本尊阿弥陀如来を祀っていた。1868年 (明治3年) の神仏分離令で廃寺になっている。墓地の中に庚申塔と地蔵菩薩などが移設されている。
- 庚申塔 (17番 写真左端) - 1748年 (寛政元年) に造立された舟形の庚申塔で、上部に瑞雲を伴う日輪、月輪、その下に餓鬼を踏みつけた青面金剛立像、三猿が浮き彫りされている。この庚申塔は西国、坂東、秩父百箇所供養塔も併設している。
- 延命地蔵 (左から2番目) - 1731年 (享保16年) に延命祈願のために貝塚村講中により造立された地蔵尊で風化が激しい状態だが、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ地蔵菩薩立像が丸彫りされている。
- 地蔵菩薩 (右から2番目) - 1827年 (文政10年) に貝塚村神宮寺念仏講中により造られたもので、風化が激しい状態だが、舟形石塔に右手に錫杖、左手に宝珠を持つ地蔵菩薩立像が浮き彫りされている。
- 地蔵菩薩 (右端) - 1736年 (享保21年) に少年2名の供養のため造立され、舟形石塔に右手に錫杖、左手に宝珠を持つ地蔵菩薩立像が浮き彫りされている。
馬頭観音 (11番)
馬頭観音 (10番)
貝塚神社、綾瀬貝塚
羽山村
塚本の西側にはかつては羽山村があり、現在では小字羽山となっている。
大日如来、若宮八幡宮
弁天
地蔵菩薩 (13番)、巡礼塔
- 地蔵菩薩 (左端) - 1783年 (元文3年) 造立の舟形石塔に、円光、左手に宝珠を持つ地蔵菩薩立像及び蓮華座が浮き彫りされ、像の脇には地蔵菩薩を表す梵字「カ」が刻まれている。
- 六十六部巡礼塔 (左から2番目) - 1837年 (天保8年) と1838年 (天保9年) の2回に分けて造立され、隅丸角柱形石塔に「天下和順 日月清明 奉納 大乗妙典六十六部日本廻国」の文字が刻まれている。仏門に入った男性の禅定門の供養塔も兼ねている。
- 六十六部巡礼塔 (右から2番目) - 1781年 (天明元年) 造立の隅丸角柱形石塔に「天下泰平 国土安全 奉納 大乗妙典六十六部日本廻国供養塔」の文字が刻まれている。
- 六十六部巡礼塔 (右端) - 1783年 (天明3年) 造立の隅丸角柱形石塔に「天下泰平 国土安全 奉納 大乗妙典六十六部日本廻国供養塔」の文字が刻まれている。
子育て地蔵 (4番)
宝篋印塔
参考文献
- 故郷歴史探訪 (1992 中里忠博)
- 蓮田市地名誌 (1992 中里忠博)
- 蓮田の歴史 (2015 中里忠博)
- 蓮田の歴史をしろう (中里忠博)
- 蓮田市史・石造物調査報告書一覧
- 蓮田市史 通史編 I (2002 蓮田市教育委員会)
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