練馬区 20 (13/10/23) 下土支田村 (2) 旭町
下土支田村 旭町
- 出世稲荷
- 妙安寺
- 兎月園通り
- 兎月園跡
- どんぶり坂
- 水路敷
- 上練馬公園
- はんの木緑地、花岡擁護学校跡
- 庚申塔 (94番 移設)、馬頭観音塔 (未登録 不明)
- 牛房新宅
- 仲台寺
- 本覚寺
- 北野神社
- 馬頭観音 (未登録)
下土支田村 旭町
旭町は練馬区北辺部に位置し、北は板橋区成増、北東は板橋区赤塚新町、東は光が丘、南は高松、南西は土支田、西は埼玉県和光市白子と隣接している。
旭町は北に川越街道が走り交通の便が良かった。その影響で、北部の後安 (安端) 地域は戦前までに開け、人口も戦前には既に増加がみられる。戦後、隣の地区の光ヶ丘団地が開発されたことで、この団地を囲む旭町も人口は増加している。人口増加は高度成長期には加速し、その後は横ばいとなり、再度、1980年から90年代に増加、2000年以降は現在に至るまで横ばい状態となっている。人口が増加した高度成長期半ばの1968年に住所表示が実施され、旭町は一丁目 ~ 三丁目に分割されている。
練馬区史 歴史編に記載されている旭町内の寺社仏閣や民間信仰の塔は以下の通り
- 仏教寺院: 妙安寺、本覚寺、仲台寺
- 神社: 出世稲荷、北野神社
- 庚申塔: 2基 馬頭観音: 0+ 2基
まちづくり情報誌「こもれび」- 旭町
旭町 訪問ログ
出世稲荷
妙安寺
兎月園通り
兎月園跡
兎月園通りに面して西側に兎月園があったという。大正10年に貿易商の花岡知爾 (ともちか) が、妙安寺の寺領1万坪を借りて華族や富裕層向けの会員制施設の成増農園という貸農場を始め、区画に分け貸していた。成増農園は盛況だったので来園者に食事を取る料亭を造り兎月園となった。その他、浴場、ラグビー早明戦も行われたグラウンド、映画館、動物舎などの行楽施設を増設していった。相撲やボクシング、芝居の興行も行われ、当時は豊島園と張り合っていたそうで、桜、つつじ、菖蒲、藤等の花見や、遠足や行楽客でにぎわっていたそうだ。
どんぶり坂
水路敷
兎月園通りを南に進み、豊渓中学校のあたりで、兎月園通りの東に一本並行して走る細い道がある。ここは板橋区との境界線になる。ここは先に触れた、かつての白子川の支流の水路跡で湧水が流れていた。現在は暗渠化されており、当時の面影は失われている。この水路敷はかつての兎月園の池 (写真右下) からはじまり、兎月園通りと交差 (左下) して、現在は細い暗渠化された遊歩道 (右上、右中) になっている川筋を流れ、光が丘公園 (左上) にあった池に流れ込んでいた。水路は谷間を流れていたようで、道の両側は登り坂 (左中) になっている。
上練馬公園
はんの木緑地、花岡養護学校跡
上練馬公園から南に進み光が丘公園の北西端の入口外側にはんの木緑地がある。ここは白子川に向かって開けた谷戸地形になっていて、古来、湧水による湿地帯だった。公園内には金木犀の甘い香りが漂っている。まだまだ、東京は暑いのだが、秋に入ったのだろう。
庚申塔 (94番)、馬頭観音塔 (未登録) 旭町2-9
牛房新宅
仲台寺
庚申塔 (93番)
仲台寺の参道に入ってすぐの左脇に1779年 (安永8年) の宝篋印塔、横には二基の舟形光背型の石仏、さらに奥には三基の石塔が立っている。その内の一つが1668年 (寛文8年) 造立された舟形庚申塔 (93番) になる。庚申塔の多くは青面金剛像が浮き彫りされているのだが、この庚申塔には二臂如意輪観音が浮き彫りされているもので、珍しい。塔の台座に三猿が浮き彫りされ、庚申と刻まれていなければ庚申塔とは分からない。通常、庚申塔には青面金剛は病魔・病鬼を払い除くといわれるので、シュケラ (悪鬼) を踏みつけた像が彫られているのはわかるのだが、何故、如意輪観音になったのかに興味が湧いたが、その理由は不明。調べると天帝、猿田彦や馬頭観音が彫られているものもあるそうだが、まだお目にかかった事はない。
本覚寺
北野神社
馬頭観音 (未登録)
参考文献
- 練馬を往く (1983 練馬区教育委員会)
- 練馬区史跡散歩 (1993 江幡潤)
- 練馬区の文化財 指定文化財編 (2016 練馬区地域文化部)
- 練馬区史 歴史編 (1982 練馬区)
- 練馬区史 現勢編 (1981 練馬区)
- 練馬の寺院 三訂版 [郷土史シリーズ 3-4] (2004 練馬区教育委員会)
- 練馬の神社 三訂版 [郷土史シリーズ 5] (2006 練馬区教育委員会生涯学習部)
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