埼玉県 (07/04/23) 蓮田市 (1) 見沼代用水東縁
見沼代用水
東京都足立区
- 見沼代親水公園
- 毛長緑道、神領堀
- 親水緑道
- 舎人諏訪神社
- 舎人橋、舎人堰水門
川口市
- 本郷橋、船着場跡、南前橋、酒盛橋
- 辰井橋、観音橋
- 長毛川との合流点、浅間橋、富士見橋
- 吹上橋、一里塚的場橋、庚申塔
- 板碑、川魚供養塔、おおぎ橋
- 見沼橋
- 見沼大曲公園
- 的場橋
- 諏訪山橋
- 諏訪山下橋
- 瑞穂橋、緑のヘルシーロード
- 神明橋
- 根岸橋
- 松原橋、祠
- 博愛橋
- 台橋
- 妙蔵寺
- 祠、木曽呂南橋、山口橋
さいたま市
- 山口新田稲荷社
- 見沼通船堀
- 木曽呂富士塚
- 見沼新田橋
- 二つ橋、川口自然公園
- 東沼神社
- 宮前橋、妙宣寺
- 北原橋
- 無量寺
- 無量寺橋
- 公園橋、大崎公園、さいたま市園芸植物園、天神橋
- 大崎橋、水神社/今宮大杉神社
- 国昌寺橋
- 見沼龍
- 総持院橋
- 総持院
- 十色の田んぼ
- 五斗蒔橋
- 諏訪橋
- さぎ山橋
- 見沼自然公園
- どんぶり橋、加田屋弁天
- 見沼弁財天
- 筆塚
- 膝子塚
- 膝子橋、七里総合公園
- 神明神社
- 中島橋
- 春岡橋
上尾市
- 坂下橋
- 大島橋
見沼代用水
見沼代用水は1722年 (享保7年)、第8代将軍徳川吉宗の命で、紀の川流域の新田開発に貢のあった見沼代用水路普請奉行の井沢弥惣兵衛によって掘削され、1728年 (享保13年) に完成した関東平野最大の農業用水で、1629年に伊奈忠治が築いた八丁堤によりできた見沼溜井の水を水源として下流の約5,000haの田に水を供給していた。このことにより享保の改革の一環として新田開発が行われた。それまでの八丁堤を壊して見沼溜井に代わるという意味で見沼代用水と呼ばれた。利根大堰近くで利根川から取水し(見沼元圦公園が整備、行田市、久喜市を南下し、元荒川を柴山伏越で越え、蓮田市と上尾市の境を流れる綾瀬川を越え、西縁、東縁に分かれ、見沼たんぼの縁に沿って東西の2本の用水となって流れ、川口市内を流れ、西縁は川口市小谷場で、東縁は足立区で毛長川に合流して舎人堰水門が終点になっている。見沼代用水東縁は全長16km、見沼代用水西縁は全長22kmもある。見沼田んぼでは、見沼代用水西縁-芝川-見沼代用水東縁を結ぶため、見沼代用水と芝川との3mの水位差を閘門式運河で調節する見沼通船堀が1731年 (享保16年) に設置し、見沼田んぼの米を、芝川の舟運で江戸に運んでいた。この様な通船堀は見沼通船堀公園、見沼通船堀東縁、見沼通船堀西縁に整備されている。また、見沼代用水東縁沿いの見沼自然公園、さぎ山記念公園、川口自然公園、川口市立グリーンセンターには、見沼を干拓し見沼代用水を開削した井沢弥惣兵衛の銅像が立っている。
東京都足立区
見沼代親水公園
まずは見沼代用水の東縁でかつての最末端部になる見沼代親水公園 (東京都足立区舎人にある) に向かう。生憎雨なのだが、天気予報では雨はあがるとなっていた。公園に着いた時には雨はあがっていた。この公園は1984年に開設され、延長約1.7kmの公園になる。桜の時期は終わってしまったが、少しだけ八重桜が咲いている。
毛長緑道、神領堀親水緑道
見沼代親水公園からは毛長緑道 (写真上) が舎人橋まで整備されている。途中で神領堀親水緑道 (写真下) が分岐していた。御神領堀は見沼代用水支流の用水で、 江戸時代には流域の伊興・鹿浜・加賀皿沼・堀内・沼田・高野・舎人などの村々によって用水組合が作られ、地域の人々によって用水を管理・運営していた。
舎人諏訪神社
舎人橋、舎人堰水門
見沼代用水はこの舎人橋で毛長川に流れ込んでいる。ここが見沼代用水の東縁となっている。見沼代用水は日本あり西縁と東縁になり、蓮田市から分かれている。今回は見沼代用水東縁を走っていく。
川口市
本郷橋、船着場跡、南前橋、酒盛橋
辰井橋、観音橋
長毛川との合流点、浅間橋、富士見橋
吹上橋、一里塚
的場橋、庚申塔
板碑、川魚供養塔、おおぎ橋
見沼橋
見沼大曲公園
的場橋
諏訪山橋
諏訪山下橋
瑞穂橋、緑のヘルシーロード
神明橋
根岸橋
松原橋、祠
博愛橋
台橋
妙蔵寺祠、木曽呂南橋、山口橋
祠、木曽呂南橋、山口橋
さいたま市
山口新田稲荷社
見沼通船堀
木曽呂富士塚
見沼新田橋
二つ橋、川口自然公園
東沼神社
宮前橋、妙宣寺
北原橋
無量寺
無量寺橋
公園橋、大崎公園、さいたま市園芸植物園、天神橋
大崎橋、水神社/今宮大杉神社
国昌寺橋
見沼龍
将軍吉宗の命を受けた井沢弥惣兵衛為永は、この辺りの見沼を干拓し、利根川から代わりの水を引く工事をしていまし た。ある晩のこと、為永は夢をみました。 見沼の主である龍神という美しい娘が現れ、「私の住むところがなくなる、新しい住処を探すまで工事を中止してほしい・・ ・」といいます。 来春の稲の作付けに間に合わせるため工事は一日も休めません。そのうち工事に負傷者や障害が続出し、為永も病に倒れてしまいました。するとまた夢に先ほどの美女が現れ、「おまえの病を治してあげるから、私の頼みも聞いて欲しい。 」 毎夜やってきては、夜明けに姿を消します。為永の病気はにわかに良くなりましたが、家来が為永の部屋を覗くと、蛇身の女が為永の体をなめまわしていました。家来の者もそれには気を失い、為永もその話を聞くと肝を冷やしました。 為永は、詰所を萬年寺 (見沼区片柳) に移しました。萬年寺でも、棺が門をくぐろうとすると中に舞い上がるというようなことが起こったため、人々は、龍神が為永の仕打ちを怨んでの仕業に違いないといいあったといいます。
総持院橋
総持院
十色の田んぼ
五斗蒔橋
この五斗蒔橋は、この付近の人が見沼たんぼの耕作に通うのに利用していました。
むかし、近くの野田に住むおばあさんが、幼い孫娘を背負って、たんぼの見回りに出かけました。橋に近づくと、人のいびきのような音が聞こえ、背中の子が突然、ものにおびえたように激しく泣き出しました。
橋に近づくほどいびきは大きくなり、腹にひびくようなものすごさです。それはどうやら橋の下から聞こえてくるようすでした。泣く子をなだめながら、おそるおそる橋の下をのぞくと、そこには、耳の生えた大蛇が昼寝をしていました。びっくりしたおばあさんは、青くなって家へ逃げ帰りました。話を聞いた村の暴れものの男の子たちが、大蛇退治に行って蛇を傷つけ、後にそのたたりに苦しんだという。
諏訪橋
さぎ山橋
見沼自然公園
どんぶり橋、加田屋弁天
見沼弁財天
筆塚
膝子塚
昔農夫の妻が懐妊して異形児を産んだ。その体は人の膝のようだった。その後にその亡骸を塚に埋めて祀ったという。
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