埼玉県 (09/04/23) 蓮田市 (4) 黒浜地域 川島
蓮田市 黒浜地域 川島 (かわじま)
- 馬頭観音 (7番)
- 馬頭観音 (6番)
- 庚申塔 (26番)
- 馬頭観音 (5番)
- 庚申塔 (27番)、板碑
- 元荒川
- 馬頭観音(一覧になし)、橋場跡
- 地蔵院跡
- 馬頭観音 (3番、4番)
- 富士塚、庚申塔 (28番)
- 川島久伊豆神社
蓮田市 黒浜地域 川島 (かわじま)
字川島の人口推移は下のとおり。1981年に人口が2倍になっているがこの背景についてはわからなかった。1989年には行政区変更で、川島の3分の2の人口を持つ地域と馬込の一部が新しくできた桜台に移管されている。人口データから見ると桜台二丁目と三丁目が川島から移管された地域と思われる。その後、旧川島 (新川島+桜台2・3丁目) の人口は 2004年までは順調に増えピークとなる。その後は人口は減少に転じ、現在でもその傾向は続いている。2022年の高齢化率を見ると、川島と桜台では大きく異なっている。川島の19.9%に対して桜台2・3丁目は53.6%とかなり高い数値を示している。現在の川島は比較的新しく民家が建てられ若い層が住んでおり、桜台は古くから住民が住み続けている地域と推測される。
- 仏教寺院: 地蔵院跡
- 神社: 川島久伊豆神社
- 庚申塔: 3基 馬頭観音: 6+1基
黒浜地域 川島 訪問ログ
馬頭観音 (7番)
馬頭観音 (6番)
庚申塔 (26番)
馬頭観音 (5番)
庚申塔 (27番)、板碑
元荒川
元荒川に架かっている川島橋を渡ると黒浜になる。元荒川はかつては荒川の本流で秩父山地からの水を集めて大河となって蓮田台地、黒浜台地の下を流れ、かなり蛇行した流路だった。1629年 (寛永6年) に伊奈忠治により熊谷市久下で荒川が締め切られ、本流からは切り離され、入間川に繋がれた。同時期に流路も整備されている。ここで荒川の流れを見ながら昼食をとる。対岸に昨日訪れた娘の婚約者の実家が見える。
馬頭観音(一覧になし)、橋場跡
川島橋を渡った元荒川の土手の上に馬頭観音が置かれていた。川島地区ではないのだがここで掲載しておく。この川の袂にはかつては橋場があったという。橋の袂の家は問屋場で江戸時代から明治の終わりまで元荒川の舟運の地で川を登り下りする船の荷あげや荷おろしで賑わっていた、人の乗り降りもあり川の両岸には居酒屋や茶屋が店を開いていたそうだ。この文字型の馬頭観音は蓮田市発行の文化財情報サイトにもなく詳細は不明だが、当時は荷を馬で運んでこの船場で荷物を降ろしたり、積んだりしていたので、馬に対しての感謝、供養の為に造られたのかも知れない。
地蔵院跡
馬頭観音 (3番、4番)
- 馬頭観音 (3番 写真左): 江戸時代 1808年 (文化5年) 2月吉日に造立され、角柱形の石材に「馬頭観世音」の文字が刻まれている。この庚申塔は道しるべにもなっており、左側面に「東 志おんじ道」、右側面に「西かうのす道」と記されている。
- 馬頭観音 (4番 写真右): この庚申塔は表面の剥落が進んでおり、造立年月日は不明。
富士塚、庚申塔 (28番)
川島久伊豆神社、三宝荒神
いまから200年も昔のことです。そのころ日本中がうちつづく日照りや大雨による洪水がおきたり、寒さでお米も麦もとれない年が長く続きました。たくさんの人が飢えや寒さのために亡くなりました。ある日、川の上流のほうから役人におわれて盗人とが逃げてき ました。盗人は自分のために盗みを働くのでなく困っている人たちを見かねて、裕福な長者や因業者から金品を掠めとり貧しい人々に与えてなにくわぬふりをして、昼は仕事に精をだしていました。誰いうとなく義賊といわれるようになっていましたが、役人の知るところとなり追われる身となってこの地まで逃げてきたのです。いよいよ追いつめられ捕まりそうになったとき、盗人の耳に「この森に隠れよ」という声が聞こえ、盗人は急いで森の中に隠れました。 追っ手の役人たちが森の中をいくら探しても見つからず、とうとう引き上げていきました。盗人がおそるおそる頭をもたげてあたりを見まわすと、そこは久伊豆社の森だったのです。 この話を聞いて、この後、土地の人々は「ぬすっと宮」と呼 びいよいよ信仰あつい神様としてお参りをたやさなかったといいます。
昔、この地方に毎日毎日雨が振り続き大洪水が起こりました、久伊豆神社も水没してしまった。 一か月も水が引かずようやく水が引いたので、村人は家に帰り、自分の家や田畑の手入れに夢中になり神様のことなどみんながすっかり忘れていました。 秋のお祭りの日が近づいて村人は神社に集まって社の中に入ってみて驚きました。社の中の御神体が見当たらないのです。さっそく村人たちはお坊さんにこの事を話しました。 お坊さんは大変徳の高いひとでしたから、「早速、占ってあげよう」と、いって仏様を拝みはじめました。 しばらくして「これこれお前たちよ、これはお前たちが日頃信心深かいので神様が身代わりになって大水に流されていらっしゃったのだ、お前たちを救ってくれたのだ。お陰で村の人はみんな助かったではないか。大水が神様をもっていかれたのだ」と、伝えました。それ以後、村人は神様をいままで以上に大切にしお供えやお参りをかかしませんでした。霊験あらたかな神様として近郷近在の人々もお参りにやってきました。そのうちに誰となく、「ぬすっと宮」というようなったと言うことです。
これで、今日の予定の馬込と川島地区の史跡巡りは終了。今回の蓮田の旅では日中は史跡を巡り、終わると図書館で資料をチェック、図書館に閉館後はショッピングモールで夕食と訪問記編集。夜は宿泊費節約の為、インターネットカフェでシャワーを浴びて就寝の日課になる。
参考文献
- 故郷歴史探訪 (1992 中里忠博)
- 蓮田市地名誌 (1992 中里忠博)
- 蓮田の歴史 (2015 中里忠博)
- 蓮田の歴史をしろう (中里忠博)
- 蓮田市史・石造物調査報告書一覧
- 蓮田市史 通史編 I (2002 蓮田市教育委員会)
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