埼玉県 (10/04/23) 蓮田市 (5) 黒浜地域 笹山、黒浜 (1)
黒浜地域 黒浜・笹山
旧笹山村
- 馬頭観音 (1番)
- 庚申塔 (4番)
- 稲荷神社
- 馬頭観音 (2番)
- 庚申塔 (5番)
- 馬頭観音 (3番)
旧黒浜村
伊豆島
- 元荒川
- 黒浜土地改良記念碑
- 伊豆島の大蛇
- 馬頭観音 (10番)
長崎
- 黒浜沼 (下沼)
- 諏訪神社
- 庚申塔 (21番)、天神、荒神
- 馬頭観音 (12番)
- 黒浜沼 (上沼)
新井
- 弁天社
- 馬頭観音 (5番)
- 弁財天石塔
- 地蔵尊、道しるべ
- 真浄寺
- 庚申塔 (20番)
南
- 馬頭観音 (7番)
- 馬頭観音 (8番)
黒浜馬場 (くろはまばんば)、藤ノ木
- 黒浜久伊豆神社
- 甲子塔 (23番、24番)、子育て地蔵尊
- 竹内神社
- 馬場公園、大日如来
- 子育て地蔵尊、地蔵尊、馬場自治会館
- 秋葉神社
- 馬頭観音 (11番)
- 庚申塔 (19番)
- 地蔵尊
- 新井堀の内遺跡
宿上
- 天神 (29番)
- 山王神社
- 稲荷大明神
- 阿弥陀如来
- 阿弥陀如来 (2番)
- 庚申塔 (22番)
- 黒浜貝塚
- 宿浦遺跡
- 庚申塔 (未登録)、辨天御霊神
- 椿山遺跡
- 庚申塔 (未登録)、坂東秩父西国百箇所供養塔、力石
- 蓮田市文化財展示館
黒浜地域
黒浜地域は元荒川の東側に位置しており、南と東にはさいたま市、北には白岡市に隣接している。この白岡市とは新合併特例法の期限の2010年 (平成22年) 迄に、2005年から二度も合併協議が行われたが住民投票で反対票が過半数となり、実現しなかった。黒浜は土地利用区分では黒浜市街地 (緑町・桜台・椿山・西新宿・西城)、黒浜調整地 (黒浜・笹山・江ヶ崎・川島・南新宿・城) に区分されている。
黒浜村は1889年 (明治22年) の町村制施行より黒浜村、城村、南新宿村、笹山村、江ヶ崎村が合併し南埼玉郡黒浜村が誕生している。この時には綾瀬村と平野村も発足した。1940年 (昭和15年) に黒浜村大字江ヶ崎の一部が慈恩寺村および日勝村に編入され、慈恩寺村大字鹿室の一部が黒浜村に編入された。1951年 (昭和26年) に黒浜村大字江ヶ崎、南新宿、黒浜の各一部が日勝村に編入され、日勝村大字実ケ谷の一部が黒浜村に編入された。1934年 (昭和9年) に綾瀬村は蓮田町と名称変更し、1954年 (昭和29年) に蓮田町に黒浜村、平野が編入されている。1956年 (昭和31年) に岩槻市の一部を蓮田町に編入し、1972年 (昭和47年) に現在の蓮田市となっている。
- 専用住宅地ゾーン - 戸建て低層住宅
- 住商複合地ゾーン - 住宅と商業施設
- 集落地ゾーン - 集落と緑地や農地
- 工業・流通業務系ゾーン - 高速自動車交通の利便性を生かした工場や流通業務施設区域
- 農業系ゾーン - 地域の東側一帯に広がる一団の水田や畑、農業基盤の整備、耕作放棄地の計画
- 公園・緑地・レクリエーションゾーン - 黒浜貝塚、黒浜公園、日野手緑地周辺、黒浜沼を、スポーツや文化・芸術活動、生涯学習やボランティア活動の拠点として整備・活用の計画。
- 蓮田サービスエリア(上り線)周辺ゾーン - 蓮田スマートインターチェンジを生かし市の活力を育成する機能の集積を目指す区域としているが全く意味不明な定義でこのゾーンの機能は検討中としている。
- 公共公益施設ゾーン - 東埼玉病院と隣接する学校。
旧笹山村、旧黒浜村 訪問ログ
旧笹山村
大字笹山の人口推移は下のとおり。蓮田市内では4番目に人口の少ない地域になる。
- 仏教寺院: なし
- 神社: 稲荷神社
- 庚申塔: 2基 馬頭観音: 3基
馬頭観音 (1番)
庚申塔 (4番)
稲荷神社
- 稲荷明神 (写真上) - 1831年 (天保2年) と1835年 (天保6年) に稲荷神社氏子により寄進された稲荷明神石塔が祠の中に納められ、村の豊作祈願、一家繁栄祈願している。 初午、4月、7月、8月の例祭では供物と御輿が奉納されているそうだ。
- 天満宮 (写真下) - 建立時期は不明だが、祠の中には丸彫の菅原道真坐像が祀られている。台石に「笹山村 筆子中」と刻まれていることから、寺子屋の筆子たちによる造立と考えられている。
- 佐太比古の大神 (写真上中) - 1889年 (明治22年) に富士講によって建立され佐太比古 (猿田彦) を祀っている。
- 浅間大神 (写真中左) - 1880年 (明治13年) 建立で富士山を神格化した浅間大神を祀っている。
- 小御嶽神社 (写真上右) - 造立時期は不明だが、富士山5合目にある神社を勧請したもの。
- 経ヶ岳 (写真下左) - 造立時期は不明だが、富士山6合目にある経ヶ岳を祀っている。
- 三国第一山 (写真中右) - 造立時期は不明だが、富士浅間神社を祀っており、三国第一山は平城天皇が富士浅間神社に贈った称号。
- 烏帽子岩 (写真中右) - 造立時期は不明だが、冨士講の巡礼地の食行身禄の入定地だった富士山の烏帽子岩を祀っている。
馬頭観音 (2番)
庚申塔 (5番)
馬頭観音 (3番)
旧黒浜村
大字黒浜の人口推移は下のとおり。蓮田市内では面積も広く最も人口の多い地域になる。2017年には黒浜から、その3分の1の人口が藤ノ木が分離独立し大字になっている。
資料に記載されている黒浜の寺社仏閣や民間信仰の塔は以下の通り
- 仏教寺院: 真浄寺 (新井)
- 神社: 諏訪神社 (長崎)、弁天社 (新井)、黒浜久伊豆神社 (南)、竹内神社 (南)、秋葉神社 (馬場)、山王神社 (宿上)、稲荷大明神 (宿上)
- 庚申塔: 4基 馬頭観音: 10+2基
罵倒観音 (3番、9番) については城訪問レポートに記載
伊豆島
元荒川
黒浜土地改良記念碑
伊豆島の大蛇
馬頭観音 (10番)
長崎
黒浜沼 (下沼)
諏訪神社
庚申塔 (21番)、天神、荒神
- 庚申塔 (21番 右) -1756年 (宝暦6年) と古い時代に造られ、駒角柱形の正面上部には瑞雲を伴う日輪・月輪、その下に餓鬼を踏む青面金剛立像、更にその下には二鶏三猿が浮き彫りされている。左側面には「奉造立庚申尊石像塔」と刻まれている。
- 天神 (中) - 1841年 (天保12年) に諏訪神社氏子により造立されてた切妻唐破風角柱形の石塔に菅原道真坐像と梅の木が浮き彫りされている。
- 三宝荒神 (左) - 1784年 (天明4年) に諏訪神社氏子により造立の寄棟破風角柱形の三宝荒神塔で正面に「荒神」の文字が刻まれている。
馬頭観音 (12番)
黒浜沼 (上沼)
新井
弁天社
馬頭観音 (5番)
弁財天石塔
地蔵尊、道しるべ
真浄寺
天文年間にこの地域に疫病が流行し、村の人々は毎日神仏に祈り、仕事も手につかない状態で恐れおののいていた。寺の和尚もこれは困ったことだ。何とか村人を救うことはできないかと御仏に香を毎日寝ずに祈り続けていた。 ある日、疲れた和尚がうたた寝をしていると御仏が夢枕にたち「西方の沼の中で御仏が寒がっている。一日もはやくお助けして供養をおこたらなければ疫病はなくならないだろう」と告げて立ち去った。さっそく夜の開けるのを待って、信心深い若者に夕べの話をして、西方の沼に網をうたせたが、網をいくらうっても御仏は現われなかった。和尚さんは「そんなことはない」と言って、これは村の衆が半信半疑 でいるためだと思い、みんなでお祈りをしようではないかと沼の辺りに祭壇をつくり一心にお祈りした。日も傾きかけ、あきらめかけたとき若者の網に仏像がかかった。それを見て村人は手に手を取り合い喜びさっそく仏様をきれいな水で洗い、沼の辺りに堂を建て盛大な法要を行った。すると村中に流行していた疫病もうそのように治っていった。このときから西の沼を堂沼 (黒浜南小学校の校庭あたり?) と呼ぶようになったそうだ。 水の中から現れたということで誰いうとなく竜宮仏と言うようになった。その後、暫くは村も平和な日々が続き村人たちは畑仕事や薪木集めに精を出していたが、何年もたって仏様のことを忘れかけていたとき、高熱にうかされるという病気が起こった。またたく間に病気は村中に広がり、誰いうとなく何かの祟りではないかと言いふらす者が出てきた。村役で相談し、旅の年老いた修験者に頼み、祭壇をつくって祈祷を行った。修験者は「仏様が寒さで困っていらっしゃる」 というお告げがあり、探し出して手厚く祀りなさい」と告げて立ち去っていった。村人は昔に堂沼からあがった仏様ではないかと言うことで和尚にこの話をすると、和尚はしばらく考えてから小さな仏様で寒いといわれるのだからもっと大きな仏様を作ってお腹の中に納めてはどうかと言って、大きな仏像のお腹の中に納め、村中に流行していた悪病も治たそうだ。
永正年間 (1504 ~ 1521年) の頃、周文禅師という高僧が旅をしていた。 そして風光明媚なこの地が気に入り、堂を建てしばらく住むことにした。 数年後、東の方にある沼に、毎夜怪しい光を放つものがあり、村人は気味悪がってよりつかなかった。禅師は、村人の恐れているものを取り除いてやろうと、沼の水際で一心に座禅を組むと、不思議な声が聞こえてきた。「この沼の底に沈んでいる仏像をお堂に祀れば、村人は幸福になるだろう。」禅師は、翌日この話を村人に聞かせ、沼の中を捜してもらった。 沼は広く深いので、なかなか見つかららず、捜し疲れ休んでいると、すうっと、水の上に仏像が現われた。 お釈迦様の像で、禅師は、水で洗い清め、お堂に祀った。村人は、この仏像を、沼底から現われたので「竜宮仏」と呼び、仏像の見つかった沼を「堂沼」と呼ぶようになった。この話を聞いて、前から禅師の徳を慕っていた館林城主の赤井氏信公が訪ねて来て、竜宮仏を祀る立派な堂を建て、宝蓮山真浄寺と名付けた。それから約200年後、元禄年間の頃、村中に悪疫が流行した。そこで雄厳という和尚が、村人を救ってくれるように と竜宮仏にお願いをすると、ある夜、「竜宮仏を裸のまま祀ってあるからだ」と、お告げがあった。和尚は、さっそく、別に大きなお釈迦様を造り、その胎内に竜宮仏を収めた。すると、不思議なことに、はやり病は無くなったという。
庚申塔 (20番)
南
馬頭観音 (7番)
馬頭観音 (8番)
黒浜馬場 (くろはまばんば)
黒浜久伊豆神社
甲子塔 (23番、24番)、子育て地蔵尊
- 子育て地蔵 (中) - 造立は1819年 (文政2年) で舟形の石塔に右手に錫杖、左手に子供を抱きかかえた地蔵菩薩立像が半彫りされている。
- 甲子塔 (23番 向かって右) - 黒浜村氏子講中により1752年 (宝暦2年) に建てられた甲子塔で角柱状の石塔に「奉納 甲子待講諸願成就」の文字が刻まれている。甲子塔は十干と十二支それぞれの最初である甲と子を組み合わせた甲子の日に行う講行事で大黒天を祀っている。大黒天は大国主と習合しており、野火で焼き殺されそうになった大国主を鼠が助けたという『古事記』の逸話から、子 (鼠) は大黒天の使いとされている。
- 甲子塔 (24番 向かって左) - 甲子塔 (23番) と同じ時期、同じ講中により造立されたもので、角柱状の石塔に「奉納 甲子待講諸願成就」の文字が刻まれている。
竹内神社
馬場公園、大日如来
子育て地蔵尊、地蔵尊、馬場自治会館
秋葉神社
馬頭観音 (11番)
庚申塔 (19番)
地蔵尊
新井堀の内遺跡
宿上
天神 (29番)
山王神社
稲荷大明神
阿弥陀如来 (2番)
庚申塔 (22番)
黒浜貝塚
宿浦遺跡
庚申塔 (未登録)、辨天御霊神
椿山遺跡
庚申塔 (未登録)、坂東秩父西国百箇所供養塔、力石
蓮田市文化財展示館
この時点で5時半を過ぎており、日も暮れ始めている。まだ、黒浜地区の史跡は予定していたものすべては見れていないのだが、時間が来たので、残りは明日に持ち越しとする。
参考文献
- 故郷歴史探訪 (1992 中里忠博)
- 蓮田市地名誌 (1992 中里忠博)
- 蓮田の歴史 (2015 中里忠博)
- 蓮田の歴史をしろう (中里忠博)
- 蓮田市史・石造物調査報告書一覧
- 蓮田市史 通史編 I (2002 蓮田市教育委員会)
- 蓮田市都市計画マスタープラン (2021 蓮田市)
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