Okinawa 沖縄 #2 Day 205 (24/08/22) 旧中城間切 (05) Tuha Hamlet 津覇集落
旧中城間切 津覇集落 (つは、チファ)
- 馬場跡 (ンマイー)
- 津覇の寺 (テラ)
- トーチカ
- 潮垣道 (スガチミチ)
- 津覇公民館 (サーターヤー跡)
- クバニー (勝連) 門中の拝所
- クバニーガー
- ウェーグンガー (2022年9月23日 訪問)
- 喜友名井戸 (チュンナーガー)
- 呉屋 (グヤ) 門中御神屋 (ウカミヤー)
- 中道 (ナカミチ)
- 山小 (ヤマグワー)
- 安里小井 (アサトゥグヮーカー)
- 糸満門中 獅子屋 (シーシーヤー)
- 津覇の獅子舞
- 殿小 (トゥングヮー) の火ヌ神、村屋跡
- シーサー
- 念仏エイサー
- 前道 (メーミチ)
- 前川 (メーガーラ)
- ヤナジガー
- 産井 (ウブガー)
- 津覇集落のサーターヤー跡
- ケンドー (県道)
- 津覇尋常高等小学校 (津覇小学校)
- 津覇龕屋 (ガンヤー)
- 九年廻り (クニンマール 、コーヌイケー)
- 富里ヌ嶽 (フサトゥヌタキ)
- 富里ヌ神井戸 (フサトゥヌカミガー)
- 上原道 (イーバルミチ)
- 上津覇ヌ嶽 (イーチファヌタキ)
- 後原井 (クシバルカー) (未訪問)
- 南上原にある拝所 (未訪問)
- 中城龍宮神
旧中城間切 津覇集落 (つは、チファ)
津覇集落を巡って、気が付いたのは、多くの家が自前の井戸を持っている。井戸を掘るにはその深さによって大きく経費が変わり、通常は裕福な家しか自前の井戸を持っていなかった。この津覇集落には、驚くほど多くの井戸を見かけた。それほど深く掘らずに水が出たのだろう。水の便は良い地域だったと思われる。
水の便が良いからなのか、集落内に幾つか古い消火栓が置かれていた。
集落には古い石垣塀や沖縄伝統の家もいくつも見られた。
津覇の人口については、明治時代から、それほどの増加は見られない。現在の人口は沖縄戦の直前とほぼ同じとなっている。沖縄戦後人口は激減したが、その後回復し2004年には1300人を超えたが、これがピークで、それ以降、減少に変わり、その傾向は現在でも続いている。
中城村の他の地域と比較すると、人口は多い地域にはなり、大正時代、戦前、戦後1980年代までは、最も人口の多い地域だった。それ以降は人口が減少し、現在は4番目に人口の多い地域となっている。
- 御嶽: 上津覇ノ嶽 (神名 津覇コダカネモリノセジ御イベ)、糸カマノ嶽 (神名 糸掛カネ森ノセジ御イべ)
- 殿: 富里之殿 (富里之御嶽)
- 拝所: 古隠根所、里主根所
津覇集落訪問ログ
馬場跡 (ンマイー)
津覇の寺 (テラ)
トーチカ
このトーチカを調査した際の写真が掲載されていた。津覇のトーチカは六角形で、6面のうち4面に銃眼と思われる小さな開口部がある。ります。 トー チカの開口部は周囲の平野部や南上原側の斜面地を向いており、米軍を攻撃するためではなく、平野部を進攻する米軍を監視監視哨だった可能性が高い。当時、津覇のテラを管理していた屋号 新屋敷へ日本軍がトーチカ構築の意向が示され、住民は聖域ということで一度は断ったが、軍には逆らえず最終的には構築を認めたという。弾痕などは無く、沖縄戦でどのように使われたかは不明。当時はコンクリートの屋根部分も土で覆って隠されていた。出入口が見当たらないので地下にトンネルを掘って出入りしていたと考えられる。
4月1日に上陸した米軍は、海兵隊を沖縄本島北部へ、陸軍部隊を沖縄本島南部へ進撃させた。南部侵攻軍は、日本軍が布陣している丘陵上部と、海岸線の2ルートを取っていた。戦車などは海岸線の平坦地を進むのだが、丘陵上にいる日本軍の攻撃で進むことは容易ではない、そのため、丘陵上の北上原の161.8高地 (ピナクル) の日本軍陣地を4月6日に攻略し、平坦部を進む米軍主力戦車部隊への日本軍攻撃を最小にするため丘陵部に陣を敷く日本軍を激しく攻め立てていた。この様にして、4月6日に米軍が津覇に侵攻し、4月8日には集落を越えて、155高地攻略をしている丘陵上を侵攻していた米軍に、155高地下からの攻撃に参加し、もう一帯は海岸線を進み北浜まで進んでいる。
沖縄戦では津覇集落住民は398人が犠牲になっている。当時の津覇集落の人口のデータがないのだが、1200人程だったとすると集落住民の33%が犠牲になっていると考えられる。
潮垣道 (スガチミチ)
津覇公民館 (サーターヤー跡)
クバニー (勝連) 門中の拝所
クバニーガー
ウェーグンガー (2022年9月23日 訪問)
喜友名井戸 (チュンナーガー)
呉屋 (グヤ) 門中御神屋 (ウカミヤー)
中道 (ナカミチ)
山小 (ヤマグワー)
安里小井 (アサトゥグヮーカー)
糸満門中 獅子屋 (シーシーヤー)
津覇の獅子舞
殿小 (トゥングヮー) の火ヌ神
シーサー
念仏エイサー
前道 (メーミチ)
前川 (メーガーラ)
ヤナジガー
産井 (ウブガー)
津覇集落のサーターヤー跡
ケンドー (旧県道、現国道329号)
津覇尋常高等小学校 (津覇小学校)
津覇龕屋 (ガンヤー)
九年廻り (クニンマール 、コーヌイケー)
富里ヌ嶽 (フサトゥヌタキ)
富里ヌ神井戸 (フサトヌカミガー)
上原道 (イーバルミチ)
上津覇ヌ嶽 (イーチファヌタキ)
後原井 (クシバルカー) (未訪問)
南上原にある拝所 (未訪問)
- 合同遥拝所 (ウトゥーシ) : かつて糸蒲集落があった場所にある。
- 糸蒲寺 (イトカマデラ)
- 糸蒲ヌ嶽
- シージマタノ嶽 (シキマタヌ嶽)
津覇海岸
中城龍宮神
参考文献
- 中城村史 第1巻 通史編 (1994 中城村史編集委員会)
- 中城村の文化財 第5集 中城村の拝所 (2004 中城村教育委員会)
- 中城村地域散策 (中城村教育委員会)
- 戦前の中城 (2022 中城村教育委員会生涯学習課)
- 中城村 戦前の集落 シリーズ 9 津覇 (2016 中城村教育委員会)
- ガイドブック 中城村の戦争遺跡 (2020 中城村教育委員会生涯学習課)
- 百年の軌跡 (2009 中城村役場企画課)
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