Okinawa 沖縄 #2 Day 204 (16/08/22) 旧中城間切 (04) Iju Hamlet 伊集集落
旧中城間切 伊集集落 (いじゅう、ンジュ)
- 伊集ウガン (伊集ノ嶽)
- 和宇慶ウガン (未訪問)
- イーントーカー (未訪問)
- ターチマーチュー (未訪問)
- ターチマーチュークサイガー
- シルドゥングヮー (地頭火ぬ神)
- チュクサイヌカー (未訪問)
- 世持殿 (ユージドゥン、與儀之殿)
- 前ヌ井 (メーヌカー、上ヌ井 イーヌカー) (未訪問)
- カンナガー (未訪問)
- 伊集公民館 (伊集構造改善センター)
- 山小ヌ御嶽 (ヤマグワーヌウタキ)
- ナカスージ
- 船倉 (フナングヮ、フナグラノ殿)
- ウマクンジャー
- 馬場跡 (ンマイー )
- ジーシヌメー
- ユージヌモー
- 前川 (メーガーラ)
- 後川 (クシガーラ)
- 津喜武多井 (チキンダガー) (未訪問)
- 大前 (ウフメー) 門中
- 前森 (メームイ) 門中
- 後前森 (クシメームイ)
- 與儀 (ユージ) 門中
- 産井 (ンブガー 、ムラガー)
- 前ヌ毛 (メーヌモー)
- 上ヌサーターヤー、下ヌサーターヤー
- アシンモー
- ノロ殿内 (ヌンドゥンチ)
- アシビナー
- 伊集の打花鼓 (ターファークー)
- 新屋門中 (ハナリビチ)、新垣之井 (アラカチヌカー)
- アンディガー (ヌールガー)
- 東利門中 (ユージビチ)
- 東利前ヌ井 (アガリメーヌカー)
- クサイガー
- 與儀ヌ毛 (ユージヌモー)
- ウスクンダ原
旧中城間切 伊集集落 (いじゅう、ンジュ)
2021年末現在の人口は735人となっており、1903年の800人に及ばない。2010年には810人とピークに達し、それ以降は減少に転じ、その減少は現在でも続いている。その一方で、世帯数は増加傾向にある。
中城村の他の地域と比較すると、人口は真ん中より少し下に位置している。
- 御嶽: 伊集ノ嶽 (神名 和宇慶ウラソデバナノセジ御イベ)、シキマタノ嶽 (神名 シキ森ノセジ御イベ)
- 殿: フナグラノ殿 (船倉)、與儀之殿 (世持殿)
- 拝所: 與儀根所、伊集巫火神 (ヌン殿内)
いずれも伊集ノロ (伊集ではサンカヌルと呼ばれていた) が祭祀を行っていた。伊集ノロは、伊集、和宇慶、津覇の3 つのムラの祭祀を行っていた。伝承によると、伊集ノロには2人の姉がおり、長女は久高ノロ、次女は棚原ノロであったと言われている。
伊集集落訪問ログ
伊集に到着し、まずは伊集集落が始まった場所と伝わり、現在の伊集集落の奥に広がる丘陵地から訪れる
伊集ウガン (伊集ノ嶽)
和宇慶ウガン (未訪問)
イーントーカー (未訪問)
ターチマチュー (未訪問)
ターチマーチュークサイガー
シルドゥングヮー (地頭火ぬ神)
チュクサイヌカー
世持殿 (ユージドゥン、與儀之殿)
ここからは集落西側の原野で、集落で一番高い場所になっているヒータテモーが見える。この場所ではタントゥイの時に松明を焚たいて害虫駆除を行っていた。ヒータテモーはタントゥイモー、またはモーエーチヂとも呼ばれている。
前ヌ井 (メーヌカー、上ヌ井 イーヌカー) (未訪問)
カンナガー (未訪問)
伊集公民館 (伊集構造改善センター)
山小ヌ御嶽 (ヤマグワーヌウタキ)
中筋 (ナカスージー)
船倉 (フナングヮ、フナグラノ殿)
ウマクンジャー
言い伝えでは、かつて伊集には比嘉 (ヒジャ) ナビーという17 才の美しい女性がおり、それを聞きつけた尚灝王が比嘉 (ヒジャ) ナビーに会い来ていたという。その度にこのウマクンジャーに馬をつないでいたという。妃、夫人 (側室)、妻 (妾) を10人、子は26人ももうけた好色で知られる尚灝王ならではの話だ。妃、夫人 (側室)、妻 (妾) 以外にも、その悪癖は広がっていたのだ。首里から、ここまで通っていたのか… この比嘉ナビーらしき名は10人の妃、夫人、妻にない。ナビーは妻になる前に、翌年18歳の若さで病気で亡くなっている。尚灝王はねんごろにナビーを葬り、ナビーの両親に世帯道具一式を形見として贈った。この下賜品の一部陶器類はナビーの生まれた比嘉家に家宝として戦前まで保存されていたが、戦争で消滅してしまった。
ンマイー (馬場跡)
ジーシヌメー
前川 (メーガーラ)
後川 (クシガーラ)
津喜武多井 (チキンダガー) (未訪問)
大前 (ウフメー) 門中
前森 (メームイ) 門中
前森 (メームイ) 門中
與儀 (ユージ) 門中
伊集の木の花や
あがきよらさ咲きゆり
わぬも伊集やとて
真白さかな
産井 (ンブガー 、ムラガー)
前ヌ毛 (メーヌモー)
上ヌサーターヤー、下ヌサーターヤー
アシンモー
ノロ殿内 (ヌンドゥンチ)
アシビナー
伊集の打花鼓 (ターファークー)
新屋門中 (ハナリビチ)、新垣之井 (アラカチヌカー)
アンディガー (ヌールガー)
東利門中 (ユージビチ)
東利前ヌ井 (アガリメーヌカー)
クサイガー
ユージヌモー
ウスクンダ原
沖縄戦では伊集集落住民は316人の犠牲者を出している。当時の伊集の人口データが見つからないので、犠牲者の割合は不明だが、戦後1946年は435人とある。移ってきた南浜住民も含まれているかもしれないが、この数字を生存者と考えると、集落の40%以上が犠牲になったと考えられる。
これで伊集集落巡りは、なんとか終了した。見つからない拝所も多くあった。先に書いたとおり、終盤で肉離れが起こり、ゆっくりと脚に負担がなるべくかからないように自転車で帰る。
参考文献
- 中城村史 第1巻 通史編 (1994 中城村史編集委員会)
- 中城村の文化財 第5集 中城村の拝所 (2004 中城村教育委員会)
- 中城村地域散策 (中城村教育委員会)
- 戦前の中城 (2022 中城村教育委員会生涯学習課)
- 中城村 戦前の集落 シリーズ 6 和宇慶 (2016 中城村教育委員会)
- ガイドブック 中城村の戦争遺跡 (2020 中城村教育委員会生涯学習課)
- 百年の軌跡 (2009 中城村役場企画課)
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