Okinawa 沖縄 #2 Day 203 (13/08/22) 旧中城間切 (03) Kitahama Hamlet 北浜集落

旧中城間切 北浜集落 (きたはま)

  • 潮垣道 (スガチミチ)
  • 仲松カー神
  • 中通り (バシャミチ)
  • 北浜公民館
  • 竜神宮
  • ナントガー
  • 津覇のテラ (津覇)
  • 龍宮 (当間) [2022年9月23日に訪問]


南浜集落から北浜集落に移動する。


旧中城間切 北浜集落 (きたはま)

北浜は中城村の東南に位置し、北側は津覇、南側は南浜、西側は和宇慶が隣接し、東側は中城湾に面する。地形は平坦で、集落内を南北に村道潮垣線が縦断する。
北浜は、元々は字津覇に属していた和宇慶北浜原 (ワウケキタハマバル)、新田原 (ミイタバル)、湊川原 (ミナトガワバル) と、字和宇慶に属していた津覇南浜原 (ツハミナミハマバル)、検地原 (ケンチバル) の5つの小字から成り立っている。北浜に屋取集落が形成された時期は明確ではないが、1879年の廃藩置県後に首里から仲松門中 (洪氏)、 宮平門中 (阿氏)、伊集門中 (翁氏、最初は伊集へ、その後北浜へ) が移住してきたと伝わっている。 戦前は仲松姓が多かったことから仲松屋取とか、津覇のはずれに集落が位置していることから津覇ヌ下とも呼ばれていた。戦前の北浜は、現在に比べると戸数も少なく、畑や田が多くあっ た。海岸一帯は護岸もなく、排水設備も普及しておらず、大雨や台風の際には海水が流れ込み、台地部から流れて来る水で田畑が冠水し、作物が全滅するといったことも度々あったという。 このような環境下、食物にも苦労し、 津覇から芋を買って飢えをしのいだという話も伝わっている。このように、海岸沿いの住みにくい地域に、首里から生活の場を求め移住してきて、自然災害と闘いながら根気強く荒れ地を開墾し集落地を作ってきている。

1935年 (昭和10年) 頃には隣接する安里屋取(字南浜) と共に、仲松屋取の「仲」と安里屋取の「里」をとって「仲里」という集落をつくるが、数年後に再び分かれている。 その後、1937年 (昭和12年) に、南浜とともに和宇慶から分離独立し行政区となっている。
北浜の人口データは揃っていないのだが、1919年 (大正8年) には408人で、屋取集落としては、比較的、大きな集落だった。沖縄戦後は登録人口は激減しているが、その後は元の人口に戻り、少し増えて500人ほどになっている。世帯数はコンスタントに増えており、その傾向は現在でも続いている。一方、人口は伸び悩んでおり、横ばい状態が続いている。
中城村の中では、人口の少ないグループに属している。

北浜は屋取集落なので、御嶽や殿などはなく、ノロが祭祀を行う拝所などは存在しなかった。

沖縄戦では4月9日から21日に行われた南上原・和宇慶の戦闘 (スカイラインリッジの戦闘) では4月9日に米軍がこの北浜集落を通過し、南に侵攻している。この沖縄戦での戦没者は242人と報告されている。当時の北浜集落の人口がどれぐらいだったのかはデータがなく、集落の何割の人が犠牲になったのか分からないが、人口は500人程とすると約50%が犠牲になっているのかもしれない。


北浜集落訪問ログ




潮垣道 (スガチミチ)

南浜の村屋だった公民館から北浜へはサトウキビ畑の中に通る潮垣道 (スガチミチ) で向かう。この道はトロッコ軌道だった。南浜の潮垣道はサトウキビ畑の中を走ったが、北浜に入ると、道の両脇には民家が建ち並んでいる。

サーターヤー跡

道沿いには、戦前までは四つあったサーターヤーのうち三つが置かれていた。収穫されたサトウキビはここを通っていたトロッコ軌道を利用して西原製糖工場 (現サンエー西原シティ)へ運搬していたそうだ。北浜集落が始まる所には伊集殿地小のサーターヤー跡 (写真左上)、更に、潮垣道 (スガチミチ) を進むと、加那仲松のサーターヤー (写真左上)、仲松小のサーターヤー (写真左下)、道から外れた海岸側には東リ小のサーターヤー (写真右下) の跡地がある。いずれも畑か空き地になっている。

仲松カー神

中通りの和宇慶集落方向、北浜集落を抜けた畑の中には祠がある。戦前からある井戸の拝所で、仲松カー神と呼ばれ、ハチウクシー (旧暦1月2日)  やフトゥチウガン (旧暦12月24日) の際に集落で拝まれている。正月の若水 (ワカミジ) や、産水 (ウブミジ) もここから汲んでいた。 

ナントガー

中通りを越え、潮垣道 (スガチミチ) を津覇方面の道沿いにも、民家が並んでおり、饒波川 (ヌハガーラ) を越えたところまで続いていた。集落北側を抜けた潮垣道 (スガチミチ) 沿いにある個人敷地内にナントガーが残っている。 戦前からある井戸で、ハチウクシー (旧暦1月2日) やフトゥチウガン (旧暦12月24) で拝まれている。屋号 宮平 (ナーデーラ) が近くにあったことから、宮平井 (ナーデーラーガー) とも呼ばれている。ナントガーの隣には大きなガジュマルの木があり、住民の憩いの場となっていたそうだ。


中通り (バシャミチ)

潮垣道 (スガチミチ) を進むと集落の中心部を走る中通りに交差する。中通りは和宇慶川 (ヲーキガーラ、現在は暗渠で道路になっている) 沿いを和宇慶集落まで続いている。この中通り沿い西側に集落の中心部で、村では往来の多い道だった。道幅は馬車が通れるほどの広さがあったことから、バシャミチとも呼ばれていた。


北浜公民館

中通りを海岸方面に進むと、浜辺近くに北浜公民館がある。公民館は正式には「世代交流人材育成防災避難拠点施設」という長いが、なるほどそういう所かと思える名になっている。公民館の海岸側は北浜児童公園の広場になっている。
海岸には地元の人だろう、子供連れのグループが何組か来ており、何か岩についたものを取っている。海岸には何本も竹が建てられている。海藻の畑のようだ。
海の向こうに島が見える。地図で調べると、津堅島という島のようだ。うるま市に属しており、集落もある島だ。定期船もあるようなので、いつかは行ってみたい。

竜神宮

北浜児童公園の広場の隅に祠が見える。竜神宮で、村ではハチウクシー (初起し 旧暦1月2日) やフトゥチウガン (解御願 旧暦12月24日) で拝まれている。戦前は今の場より北側にあったと言われている。
北浜では漁業も小規模ではあるが行われていた。海にある岩礁には名前が付けられ、漁する場所の目安としていたそうだ。


北浜にある拝所としての文化財は以上で少ないのだが、北浜集落で拝んでいた拝所は村の外にもあった。

津覇のテラ (津覇)

潮垣道を津覇集落に向かい進んだ道沿いに津覇の寺 (テラ) と呼ばれる拝所があり、北浜集落住民がハチウクシー (旧暦1月2日) に拝む拝所になる。津覇集落では大切な拝所で、この拝所の説明板が置かれている。それによると、「現在のコンクリート製 (1991年改修) の祠内には霊石と崇められている8つの自然石が置かれ、 霊石の手前に3つの香炉と自然石が1つ置かれている。このテラは琉球国由来記に記載のある御嶽で、神名は、ヨヤゲセジョヤゲヅカサ、スデル君ガナシ、押明キヤウ笑キヤウ、スンキヤウ笑キヤウで、約四百年前 (16世紀末~17世紀初になり第二尚氏王統第7代目尚寧王の時代にあたる) に竈 (カマドゥ) 勝連の先祖が霊石を権現として崇め、宮を建立したのが始まりとされている。(水の神・火の神・海の幸の神・子孫繁栄の神の四つの神が祀られている。琉球国由来記の四つの神がこれにあたるのだろう。なぜ崇める) ようになったかについては不明で、竈勝連には子どもがいなかったため、養子のミチケ桃原が祭祀を受け継いだと記されている。津覇集落の人たちは戦前から現在まで集落の年中行事として旧暦の正月2日及び3日 (ハチウクシー、四体の 神がもどってくる日)、2月9日 (菊酒、別の解説板では旧暦9月19日十二支廻り 各家庭では旬の葉を酒につけ 菊酒飲むと健康と長寿 になると言いったえられているとなっている)、12月24日 (御願解き、四体の神は一年中の出来ごとを報告するために天に昇天すると言われている。) 等に拝んでおり、 字外村外からも参拝者が訪れる。」 とある。


龍宮 (当間) [2022年9月23日に訪問]

更に調垣道を北に進み、当間集落まで行くと当間の龍宮という拝所があるそうで、そこも北浜集落住民に拝まれていたそうだ。北浜からは、少し距離があり、近々、当間も訪問予定なので、見学はその時にする。この拝所は当間集落資料には出てこない。当間では御願の対象になっていないようだ。多分、北浜の拝所なのだろう。北浜にも竜宮神が祀られているのに、何故、こんなに離れた所の龍宮を拝んでいるのだろう?龍宮なので海の神を祀っている。北浜の漁師たちはこの付近まで漁場として漁を行っていたことに関係があるのかもしれない。北浜ではハチウクシー (旧暦1月2日) に拝んでいるそうだ。 
この後、9月23日に当間集落訪問時に訪れた。崎浜の井戸の近く、村道吉野浦線沿いには戦前から龍宮神として当間の人たちが拝んでいた龍宮を祀った祠が置かれている。Google Map では当間神社となっている。


これで、今日の訪問予定は終了。帰りも与那原バイパスを通り自宅に帰る。このバイパスだと、随分と楽だ。



参考文献

  • 中城村史 第1巻 通史編 (1994 中城村史編集委員会)
  • 中城村の文化財 第5集 中城村の拝所 (2004 中城村教育委員会)
  • 中城村の文化財 第7集 中城村の屋取 (2004 中城村教育委員会)
  • 中城村地域散策 (中城村教育委員会)
  • 戦前の中城 (2022 中城村教育委員会生涯学習課)
  • 中城村 戦前の集落 シリーズ 16 浜 北浜 南浜 (2016 中城村教育委員会)
  • ガイドブック 中城村の戦争遺跡 (2020 中城村教育委員会生涯学習課)
  • 百年の軌跡 (2009 中城村役場企画課)

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