Okinawa 沖縄 #2 Day 203 (13/08/22) 旧中城間切 (03) Kitahama Hamlet 北浜集落
旧中城間切 北浜集落 (きたはま)
- 潮垣道 (スガチミチ)
- 仲松カー神
- 中通り (バシャミチ)
- 北浜公民館
- 竜神宮
- ナントガー
- 津覇のテラ (津覇)
- 龍宮 (当間) [2022年9月23日に訪問]
旧中城間切 北浜集落 (きたはま)
北浜は屋取集落なので、御嶽や殿などはなく、ノロが祭祀を行う拝所などは存在しなかった。
沖縄戦では4月9日から21日に行われた南上原・和宇慶の戦闘 (スカイラインリッジの戦闘) では4月9日に米軍がこの北浜集落を通過し、南に侵攻している。この沖縄戦での戦没者は242人と報告されている。当時の北浜集落の人口がどれぐらいだったのかはデータがなく、集落の何割の人が犠牲になったのか分からないが、人口は500人程とすると約50%が犠牲になっているのかもしれない。
北浜集落訪問ログ
潮垣道 (スガチミチ)
サーターヤー跡
仲松カー神
ナントガー
中通り (バシャミチ)
潮垣道 (スガチミチ) を進むと集落の中心部を走る中通りに交差する。中通りは和宇慶川 (ヲーキガーラ、現在は暗渠で道路になっている) 沿いを和宇慶集落まで続いている。この中通り沿い西側に集落の中心部で、村では往来の多い道だった。道幅は馬車が通れるほどの広さがあったことから、バシャミチとも呼ばれていた。
北浜公民館
竜神宮
津覇のテラ (津覇)
潮垣道を津覇集落に向かい進んだ道沿いに津覇の寺 (テラ) と呼ばれる拝所があり、北浜集落住民がハチウクシー (旧暦1月2日) に拝む拝所になる。津覇集落では大切な拝所で、この拝所の説明板が置かれている。それによると、「現在のコンクリート製 (1991年改修) の祠内には霊石と崇められている8つの自然石が置かれ、 霊石の手前に3つの香炉と自然石が1つ置かれている。このテラは琉球国由来記に記載のある御嶽で、神名は、ヨヤゲセジョヤゲヅカサ、スデル君ガナシ、押明キヤウ笑キヤウ、スンキヤウ笑キヤウで、約四百年前 (16世紀末~17世紀初になり第二尚氏王統第7代目尚寧王の時代にあたる) に竈 (カマドゥ) 勝連の先祖が霊石を権現として崇め、宮を建立したのが始まりとされている。(水の神・火の神・海の幸の神・子孫繁栄の神の四つの神が祀られている。琉球国由来記の四つの神がこれにあたるのだろう。なぜ崇める) ようになったかについては不明で、竈勝連には子どもがいなかったため、養子のミチケ桃原が祭祀を受け継いだと記されている。津覇集落の人たちは戦前から現在まで集落の年中行事として旧暦の正月2日及び3日 (ハチウクシー、四体の 神がもどってくる日)、2月9日 (菊酒、別の解説板では旧暦9月19日十二支廻り 各家庭では旬の葉を酒につけ 菊酒飲むと健康と長寿 になると言いったえられているとなっている)、12月24日 (御願解き、四体の神は一年中の出来ごとを報告するために天に昇天すると言われている。) 等に拝んでおり、 字外村外からも参拝者が訪れる。」 とある。
龍宮 (当間) [2022年9月23日に訪問]
これで、今日の訪問予定は終了。帰りも与那原バイパスを通り自宅に帰る。このバイパスだと、随分と楽だ。
参考文献
- 中城村史 第1巻 通史編 (1994 中城村史編集委員会)
- 中城村の文化財 第5集 中城村の拝所 (2004 中城村教育委員会)
- 中城村の文化財 第7集 中城村の屋取 (2004 中城村教育委員会)
- 中城村地域散策 (中城村教育委員会)
- 戦前の中城 (2022 中城村教育委員会生涯学習課)
- 中城村 戦前の集落 シリーズ 16 浜 北浜 南浜 (2016 中城村教育委員会)
- ガイドブック 中城村の戦争遺跡 (2020 中城村教育委員会生涯学習課)
- 百年の軌跡 (2009 中城村役場企画課)
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