Okinawa 沖縄 #2 Day 173 (17/03/22) 旧浦添間切 (10) Nishihara Hamlet 西原集落
旧浦添間切 西原集落 (にしはら)
- 古島ガー
- おもろの碑
- 陽迎橋
- ドラゴン公園
- にしはらつなひきばし
- 陽迎橋自治会館
- 浦西自治会館
- にしばる公園
- あじさい公園
- でいご公園
- さくら公園
- カトレア公園
- ひまわり公園
- しらゆり公園
- 西原公民館
- つなひき公園
- 西原馬場跡 (ウマィー)
- 浦添小学校西原分校跡
- 三番組砂糖屋跡 (サーターヤー)、発動機屋跡 (ハツドーキヤー)
- 川端門中 (カーバタムンチュー) 神屋
- 西ヌ毛 (イリヌモー、つなひき毛)
- 二番組砂糖屋跡 (サーターヤー)
- 東毛 (アガリモー)
- 村火ヌ神 (ムラヒヌカン、地頭火之神)
- 一番組砂糖屋跡 (サーターヤー)
- 鍛冶屋洞 (カンジャーガマ)、一番組砂糖屋跡 (サーターヤー)
- ふーとやー
- 大城門中屋敷跡
- 石川門中神屋
- ミーヤ門中神屋
- 棚原家屋敷跡
- 平田ガマ、五番組砂糖屋跡 (サーターヤー)
- うがんやま (拝山) 公園
- ビジュル跡
- シマトイモー
- 古棚原之殿
- イビ
- 西原東ガー (アガリガー)
- 西原洗濯ガー
- 一貫ガー
- 後ヌ井 (クシヌカー)
- 古墓
旧浦添間切 西原集落 (にしはら)
人口は現在では浦添市の中で最も多い字になっている。明治、大正、昭和戦前でも人口は多い地域だったが、戦後本土復帰前までは、他の地域の発展のスピードが速く、人口は増加率が低く、人口は市の中で真ん中ぐらいで停滞していた。
人口が増加し始めたのは、住宅地建設にある。まずは1970年前後にその地域の住民が資金を出し合い民間会社により造成した住宅地だ。1980年代には住民の陳情活動で浦西住宅が造成、更に住宅地は陽迎橋地域まで拡大していった。これは住民の行政への働きかけによることが大きい。この結果、昔からの西原集落も人口増加となり、現在では11,000人の人口にまでなった。そのうち元々の集落地域人口が半分、広栄団地、浦西団地、陽迎橋の三つの戦後の住宅地が半分を占めている。
民家の分布を年代別に見ても、その発展がはっきりと見て取れる。
- 御嶽: 古棚原之嶽 (神名: カサモリギミノ御イベ、イビ)
- 殿: 古棚原之殿
西原集落の祭祀は浦添 (仲間) ノロによって執り行われていた。
西原集落訪問ログ
古島ガー
おもろの碑
陽迎橋
浦西中学校の側にあるからか、色々な顔のデザインが欄干の施されている。
ドラゴン公園
にしはらつなひきばし
陽迎橋自治会館
にしはらつなひきばしの北側、住宅地内に陽迎橋自治会館が建っていた。民間ビルの一階が自治会オフィスとなっている。陽迎橋地区は、浦西地区の一部だったが2009年に分離し、独立した自治地区となった。2009年の分離時点では陽迎橋は2,584人もの人口となり、西浦の1,817人を大きく上回っている。その後も陽迎橋地区の人口は増加しており、2021年末現在では3,249人となっている。これだけ人口が増えた地区にしては、自治会館は少しお粗末な感じもする。(この後、立ち寄った浦西自治会館はかなり立派だったので、この印象を持った)
浦西自治会館
その後、その一部だった陽迎橋地区を2009年に分離している。住宅地は綺麗に整備され、街中にはゴミも落ちておらず、歩道には並木や花壇が設けられ、町中花でいっぱいだった。住宅内には幾つもの公園があり、芝生もきれいに刈り揃えられている。町ぐるみで美化運動を行っているようで、気持ちの良い住宅地だった。
にしばる公園
どのような公園があるのかと思い、公園を巡ってみた。一番大きな公園はにしばる公園で、子供向けの遊び台や昆虫のオブジェのトイレなどがある。若い世代向けの住宅地で保育所屋幼稚園もいくつもあった。
あじさい公園
その他の公園は花シリーズになっている。ここはあじさい公園で、華は最低ン買ったがアジサイが植えられていた。
でいご公園
次に訪れたのはでいご公園で、デイゴの木が何本もある。
さくら公園
ここは桜の木が植えられているさくら公園。沖縄で桜の季節は2月なので、桜の花は終わっていた。
カトレア公園
カトレア公園は高台の端にあった。公園からは東にある西原町の町並みが見える。ここも芝生は刈り揃えられ、幼児向けのすべり台が設置されていた。カトレアは見当たらなかったが、季節によって植えられているのだろうか?
ひまわり公園
ひまわり公園は小中学生向けなのだろうバスケットボールのゴールネットが置かれ、ゲートボール場にもなっている。沖縄ではひまわりは年中見られるのだが、この公園では見られなかった。
しらゆり公園
縦に長い公園で、多分子供たちがサッカーなどで遊んでいるのだろう。ブランコや鉄棒などもある。数えるとこの住宅街には7つもの公園があり、どれもきれいに整備されている。新しくできた街で、子供がいる若い世代の世帯が大きのだろう。子供たちのために綺麗に整備していると思う。昔名からの集落を巡ると、荒れ果てて草が生え放題の公園が多い。それは昔からの集落は過疎化が進み、子供の数も少なくなっており、手入れをするのも老人で、手が回らないのが理由だ。この様な、戦後にできた住宅街は、それと対照的な様相だ。
次に、昔からの西原集落に移動する。集落には西原バイパスを越えることになるのだが、片道三車線の広い道路で、このバイパスを抜ける道路が少なく、歩道橋を自転車を担いで渡ることになった。歩道橋上からの写真がこれで、左側 (北側) が昔からの西原集落 (写真左下) 、右側 (南側) が、先ほどまで見てきた浦西地区 (写真右下) になる。写真を見てわかる通り、西原集落は少し高台にあり、更に東に向かって高くなっている。バイパスの先に森が見えるが、そこが集落の聖域として御嶽があったウガンヤマになる。
西原公民館
バイパスの上に架かった橋を渡った所に西原公民館がある。かつての村屋は集落の中心部にあったが、戦後、この地の分校跡地に公民館が建てられて現在に至っている。この建設資金は廃止された砂糖屋 (サーターヤー) の土地や、溜池 (クムイ) の土地を売却して充てたそうだ。
つなひき公園
西原馬場跡 (ウマィー)
浦添小学校西原分校跡
三番組砂糖屋跡 (サーターヤー)、発動機屋跡 (ハツドーキヤー)
川端門中 (カーバタムンチュー) 神屋
西ヌ毛 (イリヌモー、つなひき毛)
二番組砂糖屋跡 (サーターヤー)
東毛 (アガリモー)
村火ヌ神 (ムラヒヌカン、地頭火之神)
一番組砂糖屋跡 (サーターヤー)
鍛冶屋洞 (カンジャーガマ)、一番組砂糖屋跡 (サーターヤー)
ふーとやー
大城門中屋敷跡 (ウフグスクムンチュー)
石川門中神屋
新屋 (ミーヤ) 門中神屋
棚原家屋敷跡
平田ガマ、五番組砂糖屋跡 (サーターヤー)
うがんやま (拝山) 公園
ビジュル跡
青年毛 (シマトイモー)
古棚原之殿
イビ (古棚原之嶽)
西原東ガー (アガリガー)
西原洗濯ガー
一貫ガー
後ヌ井 (クシヌカー)
古墓
西原集落からの帰り道は先日訪れた伊祖集落経由とした。伊祖集落で少し見落としていた場所があったので、そのスポットを訪れた。(伊祖集落訪問レポートに追加記載している)
参考文献
- 浦添市史 第1巻 通史編 浦添のあゆみ (1989 浦添市史編集委員会)
- 浦添市史 第3巻 資料編 2 民話・芸能・美術・工芸 (1982 浦添市史編集委員会)
- 浦添市史 第4巻 資料編 3 浦添の民俗 (1983 浦添市史編集委員会)
- 浦添市史 第5巻 資料編 4 戦争体験記録 (1984 浦添市教育委員会)
- うらそえの文化財 (1983 浦添市教育委員会)
- うらおそい散策マップ 西原地区 (2007 うらおそい歴史ガイド友の会)
- 浦添市西原字誌 上巻 (2018 浦添市字西原自治会)
- 浦添市西原字誌 下巻 (2018 浦添市字西原自治会)
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