Okinawa 沖縄 #2 Day 174 (21/03/22) 旧浦添間切 (11) Jicchaku Hamlet 勢理客集落
旧浦添間切 勢理客集落 (せりきゃく、ジッチャク)
- グスクジョー (コバ森)
- 勢理客之殿 (ジッチャクヌトゥン)、チンガー
- 組踊公園
- 国立劇場おきなわ
- 勢理客集落入り口
- 勢理客公民館
- 勢理客の獅子舞
- ウビガー (産井)
- 井小 (カーグァー) 跡
- 樋川 (ヒージャー) [未訪問]
- 根神 (ニーガン、安里大親の屋敷跡)
- 村屋跡
- 集合拝所
- 勢理客之塔
- 勢理客橋碑
今日は旧浦添間切の10番目の集落で那覇と隣接している勢理客を訪れる。
旧浦添間切 勢理客集落 (せりきゃく、ジッチャク)
沖縄には難解な地名が多いが、この勢理客もその一つ。「じっちゃく」と読める人は殆どいないだろう。この漢字は当て字で、古い時代に「せりかく」、または「ぜりかく」と呼ばれていたので、「勢理客」の漢字を当てていた。沖縄の方言では、母音の「え」は「い」、「お」は「う」と発音する。つまり、母音は「あ、い、う」の三つしかない。また、子音の「k」を、「ch」と発音する事が多い。よって、「ぜりかく」を読むと「じりちゃく」となり、それが「じっちゃく」と変化した。
- 御嶽: コバ森 (神名: ゲライミヤノセジ、消滅)
- 殿: 勢理客之殿 (消滅)
勢理客集落訪問ログ
グスクジョー (コバ森)
勢理客之殿 (ジッチャクヌトゥン)、チンガー
組踊公園
- 万歳敵討 - 田里朝直 (1703-1773)
- 執心鐘入- 玉城朝薫 (1684-1734 組踊の創始者)
- 花売りの縁 - 高宮城親雲上 (1700年代 生没年不詳)
- 伏山敵打 - 作者創作年不明
国立劇場おきなわ
勢理客集落入り口
勢理客公民館
集落に入ったすぐのところに公民館がある。元々の村屋は集落の中心部にあったが、戦後この場所に公民館を建て移されている。
勢理客の獅子舞
公民館入り口に獅子舞の案内が置かれていた。ここ勢理客では古くから、村落の豊年祭や厄払いの行事などで獅子舞が演じられている。 勢理客の獅子舞の由来については明らかではないが、「コーレー具志堅」という人が伝えたと伝わっている。勢理客の獅子舞は、11種類もの舞の型があり、芸が非常に細かく、足の踏み込みが大きく勇壮という特徴がある。現在では、勢理客の獅子舞は、旧暦の八月十五日に演じられている。
ウビガー (産井)
公民館の敷地内一画に産井 (ウビガー) 跡がある。 若水 (ワカミジ) ガーとも呼ばれ、産水や若水を汲んだ井戸で飲料水にも利用されていた。初御願、旧8月8日の島腐らし (シマクサラシ)、8月15日の十五夜、12月24日の御願解き (ウガンブトウチ) で拝まれている。
井小 (カーグァー) 跡
公民館の裏にも井戸跡がある。公民館建築の際に埋められてしまった。先程のウビガーは飲料水用だったが、この井戸は洗い水に利用されて、使い分けがされていた。井小 (カーグァー) もウビカーと同じ祭祀で拝まれている。
樋川 (ヒージャー) [未訪問]
公民館は少し高台にありその傾斜地に樋川 (ヒージャー) があると資料にはなっていた。地図で示された場所はフェンスで入れなかった。資料の写真を合わせて掲載しておく。
根神 (ニーガン、安里大親の屋敷跡)
公民館から西に進んだ集落の中心部には、勢理客村の村立てを行ったと伝わる安里大親の屋敷があった場所で、その住居跡を拝所にして根神として祀っている。
村屋跡
根神 (ニーガン) の裏が以前の村屋があった場所。
集合拝所
勢理客之塔
勢理客橋碑
参考文献
- 浦添市史 第1巻 通史編 浦添のあゆみ (1989 浦添市史編集委員会)
- 浦添市史 第3巻 資料編 2 民話・芸能・美術・工芸 (1982 浦添市史編集委員会)
- 浦添市史 第4巻 資料編 3 浦添の民俗 (1983 浦添市史編集委員会)
- 浦添市史 第5巻 資料編 4 戦争体験記録 (1984 浦添市教育委員会)
- うらそえの文化財 (1983 浦添市教育委員会)
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