Okinawa 沖縄 #2 Day 163 (05/02/22) 旧知念村 (10) Shikiya Hamlet 志喜屋集落
旧知念村 志喜屋集落 (しきや、シチャ)
上志喜屋地区 (カンチャ)
- 大上志喜屋山 (ウフガンチャヤマ)、上志喜屋 (カンチャ) 公園
- 大上志喜屋殿 (ウフガンチャトゥン)
- 大上志喜屋神屋 (ウフガンチャカミヤ)
- 拝所
- 上志喜屋大川 (カンチャウッカー)
- 古間殿 (フルマドゥン)
- 古間門中の根屋
- イビの前 (メー)
- 古間 (フルマ) グスク (カンチャグスク)
- 共榮泉
志喜屋地区 (シチャ)
- 志喜屋グスク
- アジシー墓
- チチンジャー井泉 (ガー)
- 親川井泉 (エーガーガー)
- 殿内山 (トゥンチヤマ)、志喜屋農村公園
- 志喜屋公民館 (村屋跡)
- 殿 (トゥン)
- 靖魂之塔
- カンジャー堂 (ドー)
- 大屋門中墓
- 前城山の墓 (メーグスクヤマヌハカ)
- 前城山の井泉 (メー グスクヤマヌガー)
- 大屋 (ウフヤ) の神屋
- 前城井泉 (メーグスクガー)
- 産井泉 (ウブガー)
- 上前田の前の井泉 (ウィーメーダーヌメーヌガー)
- 親川 (エーガー) の神屋
- 大前 (ウフメー) の神屋
- 前 (メー) の神屋
- チジンモー
- マジクの墓
- ナカフンダ後方の岩にある墓
- 井泉跡
- 水道井泉 (シードーガー)
- 志喜屋漁港、志喜屋海浜
- アドチ島
先日、2月1日に山里集落を訪問した翌日から3日続きで雨だった。今日は晴れ間も広がり、山里の隣村で旧知念村の最南端の志喜屋集落を訪れる。
旧知念村 志喜屋集落 (しきや、シチャ)
志喜屋は地元方言でシチャ (下) と呼ばれる。シチヤのチはキの方音で、シキヤとなり、琉球国高究帳では「志きや村」と書かれ、その後、志喜屋と書かれるようになった。現在の字志喜屋は元々は二つの独立した村が合併した。丘陵の上部にはカンチャ村、その下にはシチャ村があった。カンチャ村は上志喜屋村で、カミ (上) シチャが、カンシチャ、更にカンチャと転訛している。研究者はカンチャの先住家が垣花村の或る門中からの分家で、シチャは本家を意味するシチャ (下) と呼ばれたと推測している。
字志喜屋人口は旧知念村の中では知名、知念に次いで三番目に多い字となっている。
琉球国由来記に記載された拝所 (太字は訪問した拝所)
- 御嶽: なし
- 殿: フルマ根所 (古間殿)、根所火神 (下志喜屋)
志喜屋集落走行ログ
上志喜屋地区 (カンチャ)
大上志喜屋山 (ウフガンチャヤマ)、上志喜屋 (カンチャ) 公園
大上志喜屋殿 (ウフガンチャトゥン)
大上志喜屋神屋 (ウフガンチャカミヤ)
拝所
上志喜屋大川 (カンチャウッカー)
カンチャ公園のすぐ北側、標高78mの所に上志喜屋大川 (カンチャウッカー) がある。後方には標高100~130m の琉球石灰岩の丘があり、そこを水源とする井泉。この井泉については球陽の尚泰王「十四年辛酉、知念郡人民十八名をして爵位を賞す」の項に「知念村の人民七名、知名村の人民一名、安座真村の人民三名前城村の人民五名、志喜屋村の人民二名有りて、同心協力、自ら資財を捕して堅く該井を築く。」 とあり、1861年に石垣を積み上げての井泉の整備が行われている。現在も水流はあり、灌漑のための取水用ホースが設置されている。現在は、古間門中の人々が正月に祭祀を行っている。
上志喜屋ヌ産井泉 (カンチャヌウブガー)
上志喜屋大川 (カンチャウッカー) の向かいの畑地に降りる階段のそばに上志喜屋ヌ産井泉 (カンチャヌウブガー) がある。現在、湧水はない。正月に古間門中が祭祀行事を行う。
古間殿 (フルマドゥン)
ウフカンチャ山の西にコンクリートブロック造りの拝屋があり、古間殿 (フルマドゥン) と呼ばれている。現在の拝屋は志喜屋区民の寄付金によって1990年 (平成2年) に造り替えられたもの。拝屋正面入り口床面中央に、黒褐色の砂岩の楕円形状の平たい石 (写真中) がある。ノロの馬乗り石であったとの伝承もあるが、確かではない。この石を前にして内側から外側に向かって拝む。遙拝所と推測されているが詳細は不明。殿の横には井泉跡らしき水溜りもある。拝屋の奥には石灰岩の三つ石 (火ヌ神) が置かれている。琉球国由来記には「フルマ根所 志喜屋村 稲二祭三日間の神への祈願の時、ミキ半分 (同村の百姓中が準備すある)。五月ウマチー、六月ウマチーの稲二祭の日は、酒六合、ミキー つを地頭が準備し、ミキ二つを百姓が準備して供える。志喜屋村のノ ロ (フルマノロ) の祭祀である。且つ、二祭の時、三日間の神への祈 願の日より、祭の日まで、日に二度ずつ、一汁一菜で、巫、根神、根人に、百姓中から賄いを奉仕する」と記されているフルマ根所に相当すると考えられている。この様に、古間殿は志喜屋村 (カンチャ) の根屋 (村の創始者の家で祭祀を中心に行なう所) とされるが、カンチャ村に最初に住み着いたのはウフガンチャと伝わり、その人たちがウフガンチャの神屋と殿を守護神として造ったとされている。フルマの根屋も古間殿もウフガンチャの神屋や殿より後に作られたと考えられている。ただ、昔のカンチャは古間門中の人々が多くいたので、もともとは古間門中の根所であった古間殿が志喜屋村 (カンチャ) の根所となったと推測されている。古間殿では、正月 (1月1日)、五月ウマチー (5月15日)、六月ウマチー (6月15日) で祭祀行事が行われている。
古間門中の根屋
古間殿の西側には、古間門中の根所・根屋である古間がある。 古間には、 志喜屋部落でただ一人の古間ノロがいる。
イビの前 (メー)
古間殿の東、道を隔てて向かいにイビヌ前がある。このイビの前 (メー) には、高いクバの木が二本生えた所に香炉が置かれ、そこに古間ノロの神が鎮座しており、航海安全の神を祀る場所とされ、ウフガンチャ山の方に向かい拝まれている。
古間 (フルマ) グスク (カンチャグスク)
共榮泉
古間グスクの南側から坂道を下り上志喜屋集落へ入ると、共榮泉と記されたコンクリートブロックで造られた拝井泉がある。井泉の左側には祠が設けられている。コンクリートで固められた井泉は水道管らしきホースが設置され、現在でも使用されているようだ。
志喜屋地区 (シチャ)
志喜屋グスク
アジシー墓
チチンジャー井泉 (ガー)
親川井泉 (エーガーガー)
殿内山 (トゥンチヤマ)、志喜屋農村公園
志喜屋公民館 (村屋跡)
殿 (トゥン)
靖魂之塔
親川栄蔵氏頌徳碑
カンジャー堂 (ドー)
大屋門中墓
前城山の墓 (メーグスクヤマヌハカ)
前城山の井泉 (メー グスクヤマヌガー)
大屋 (ウフヤ) の神屋
前城井泉 (メーグスクガー)
産井泉 (ウブガー)
上前田の前の井泉 (ウィーメーダーヌメーヌガー)
親川 (エーガー) の神屋
大前 (ウフメー) の神屋
前 (メー) の神屋
チジンモー
マジクの墓
ナカフンダ後方の岩にある墓
井泉跡
水道井泉 (シードーガー)
志喜屋漁港、志喜屋海浜
アドチ島
参考文献
- 南城市史 総合版 (通史) (2010 南城市教育委員会)
- 南城市の沖縄戦 資料編 (2020 南城市教育委員会)
- 南城市の御嶽 (2018 南城市教育委員会)
- ぐすく沖縄本島及び周辺離島 グスク分布調査報告 (1983 沖縄県立埋蔵文化財センター)
- 南城市のグスク (2017 南城市教育委員会)
- 南城市見聞記 (2021 仲宗根幸男)
- 知念村の御嶽と殿と御願行事 (2006 南城市知念文化協会)
- 知念村文化財ガイドブック (1994 知念村史編集委員会)
- 知念村史 第一巻 (1983 知念村史編集委員会)
- 知念村史 第二巻 知念の文献資料 (1989 知念村史編集委員会)
- 知念村史 第三巻 知念の文献資料 (1994 知念村史編集委員会)
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