Okinawa 沖縄の旅 Day 12 (13/08/19) Former Chokotei Causeway 長虹堤

Former Chokotei Causeway 長虹堤 
Grave of Tokashiki Sanraa 渡嘉敷三良の墓
Grave of Cho Ken Ko 張献功の墓
Legends of Nanatsu Baka & Jikkanji 七つ墓 (ナナチバーカー) / 十貫瀬

Former Chokotei Causeway 長虹堤

昨日に続き再度長虹堤のルートを走り、何かそれらしきものが無いか探してみた。
当時の明の文献に出ている那覇の地図にも長虹堤がある。泉崎橋も書かれている。この地図は当時の那覇が浮島であった事や橋で首里とつながっていたことがわかり興味深い。
当時の様子を想像して描かれた。新城喜一「長虹堤」
長虹堤の起点 (終点?)の宗元寺橋 (旧安里橋)から、昔の長虹堤のルートを走る。都市開発で全く同じルートではなく、ところどころ道路がその場所に該当する。
安里橋跡
1451年の長虹堤築造当時に架けられたらしい。何回か損壊し架け替えられ、石橋から木橋に、そして、約72mの三連アーチの石造橋となる。崇元寺で冊封使が諭祭行う際には、国王がこの橋のたもとで冊封使を迎えた。1945年 (昭和20) の沖縄戦の際、米軍の進攻を遅らせるため日本軍により爆破。戦後、元あった場所より50m程上流に崇元寺橋として架け替えられた。崇元寺橋の欄干は、戦前の安里橋の欄干がモチーフになっている。

牧志長虹橋

長虹橋と呼ばれているくらいだから長虹堤と関係があるのだろう。
結局、これぐらいしか長虹堤の史跡は見つからなかった。

Legends of Nanatsu Baka & Jikkwanji 七つ墓 (ナナチバーカー) / 十貫瀬

中国皇帝の使者冊封使の記録には、この岩山を七星山と記している。明の地図にも長虹堤の側にこの山が記されている。地図から見ると、写真をとっているところが長虹堤の場所に相当するように思える。
子どもの為にアメを買う幽霊の伝説が残る岩山で幽霊伝説がある。この岩山には七つの墓が並んであったことから、「七つ墓」と呼ばれている。昔、この岩山近くのお店に子供のお菓子を買う女性がたびたび現れた。その女性が置いていくお金が翌日には紙銭 (カビジン) に変わるので、不思議に思った店の主人が、ある日女性の後をつけていくと、墓の中に入っていった。墓の中を覗いてみると、驚いたことに死んだ母親の側で赤ん坊がアメをしゃぶっていたという。子供を思う母親の気持ちが現れた幽霊話。また、かつての美栄橋から崇元寺橋の間の通りは十貫瀬の前 (ジックヮンジヌメー) といわれた。これは岩の上に十貫の銭を置き忘れたが、五~六年後、戻ってみると元の通り岩の上に残っていたので、この岩を「十貫瀬」と呼ぶようになったという。七つ墓の岩山の一部が十貫瀬といわれている。

Grave of Tokashiki Sanraa 渡嘉敷三良の墓 / Grave of Cho Ken Ko 張献功の墓

Okinawa 沖縄の旅 Day 11 (12/08/19) に訪問記を含めている。


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