Ride in Setouchi & San-in Day 119 (12/7/19) Rest due to Sprain 捻挫 休養 6

Rest due to Sprain 捻挫 休養 6
捻挫で福知山に足止めを余儀なくされて今日で6日目だ。昨日の痛みは和らいで、普通に歩けるようにはなっている。徐々に回復はしているのだろう。少し無理をするとまた痛みが出るだろうから、これからは完全に治るまでは無理はできない。勧められたテーピングの為薬局でテープを購入。明日の朝、出発前にガッチリとテーピングする事にしよう。
あまり出歩きができないので、カプセルホテルにいる時間が多い。今泊まっている福知山のカプセルホテルは不思議なところだ。温泉、インターネットカフェ、シェアルーム、介護施設、貸事務所、不動産など雑多な施設が元スーパーのビルを利用して運営されている。とにかく安い。運営がおおらか。通常カプセルホテルは一定の時間帯は追い出されるのだが、ここは一日中いてもよい。飲み物も無料で提供している。今まで泊まった中で最もコストパーフォーマンスが高い。シングルルームもあり、1500円で泊まれる。泊まっている人たちは、様々、ネクタイを締めたサラリーマンから、この近所の工事現場で働いている労働者など。長期滞在に人も多い。その中で数人と知り合うことができた。東京であれば知り合うこともない人達だ。地元の掃除のおばさんたちとも知り合う。皆さん親切な人たち。まだまだ地方では、人との付き合いがまともに行われている環境が残っている。都会のように人を避けることはない。しかし、ここの人たちの生活は決して楽ではない。このホテルに地元の人が寝泊まりをしていることは少し事情がある。60歳の後半の人たちで、日雇いの仕事をしているようだ。仕事がないときはホテルで時間を潰している。アパートを借りるより、ここに寝泊まりしている方が光熱費を考えれば安上がりなのだ。そんな人でも知り合うとビールなど差し入れをしてくれる。人情が残っている。これは旅をしていて、しばしば感じることだ。決して楽ではない生活だろう人たちが、好意で差し入れをしてくれる。心の豊かさは決して経済的な豊かさと比例しない。東京で生活が大変と言っている人たち以上にこちらには貧しい人が多いが、都会の人のような文句はない。文句のレベルが違う。東京の自分が貧しいと思っている人たちはこちらの人たちと比べれば随分とましな方かも知れない。都会は物が溢れて多くの娯楽があり、それが手に入らないことを不幸と思うが、地方にはそんなものは少ない。その中で自分たちの生活をしている。都会人はもっと自分の人生にとっての豊かさが何なのかを考え直す必要があるだろう。
知り合った人に中で、特に意気投合した人がいる。ホテル関係の自営でコンサルタントをしている。以前働いていたプリンスホテルの経験を生かしての独立。50歳前半の人。仕事で各地を転々としている。この福知山には仕事の切れ目に休暇を兼ねて良く滞在しているという。自営業なので、コストにはシビアでこのような安宿に泊まっている。独立して事業をやるのは大変だ。会社勤めのような気楽には行かない。少しでも経費を抑え、その分を仕事に有効に金を回さねばならない。この人はあくせくと働いのではなく、仕事の合間に色々なところを観光し、生活をエンジョイしているように見える。毎日色々な話題を何時間にもわたって話をする。昨日は話が深夜まで続いた。あっという間に時間が過ぎていった。捻挫で足止めだが、それもいい時間を与えてくれる結果になっている。これはこれで面白い。
その他にも22歳の若者や地元の人で福知山の清掃局で働いている爺さんなどとも話が出来た。
明日はいよいよ福知山を出発して大学の友人と集まる。楽しみだ。ワクワクする。会うと大学時代に戻れるかな、何十年と時間が経っているので、変わってしまっているかな、みんなは今の自分をどう見るかなとか 色々と思いが湧いてくる。
多分福知山にはまた戻ってくるだろうと思う。今回は足のダメージで断念した史跡が残っている。やはりいってみたいので、今度はまた福知山に戻ってきて、ここを拠点にして色々なところを見てみたい。


1コメント

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  • sumito dohi

    2019.07.12 22:17

    地方にはまだまだ人情が残っている。本当にそう感じます。ちょっとした気遣い、ちょっとした優しさ、ちょっとした笑顔に心癒されること度々。この人たちのために何かできないかと思い地方のまちおこしなどを考えるとき、たぶんビジネス思考なると、(地元の方々との)距離感が変わる瞬間を感じます。相手のフィーリングが排他的になっていることに気づいて驚いたことがなんどもあります。もっと稼ぎたいけど、外の人間になにがわかる、、、、的な感じでしょうか。まだ福知山はなにかしらの仕事の選択肢があるので成り立っているのだと思いますが、1次産業しか選択肢のない中山間地域ではもっと現実はシビアだと感じます。「まちおこし(むらおこし)≒仕事を創る」というのはその通りだと思いますが、もっとその地域の「幸せの基準」を知らないと駄目なのだろうなと今日の佐伯さんのブログを読んで思いました。