Ride in Setouchi & San-in Day 61 (15/5/19) Wakasa Onigajo Castle Ruins 若桜鬼ヶ城跡
Wakasa Post Town 若桜宿
Wakasa Onigajo Castle Ruins 若桜鬼ヶ城跡
今日は鳥取砂丘か若桜鬼ヶ城に行くか迷ったが、鳥取砂丘は観光客でいっぱいの様で、若桜鬼ヶ城はほとんど行く人はいないだろう。どうも、性格上人が行かない所の方が魅力がありそうな気がするので若桜鬼ヶ城城に行くことにした。
若桜はここから63キロの所なので往復約70キロの長丁場になりそうだ。若桜は標高200m、鬼ヶ城は標高460mで、260mの山登りになる。若桜目指して出発。兵庫県の戸倉、姫路への国道で半分からは人家も少ない山間部を走る。
若桜宿場町
若桜に到着。わかさと読む。山陰には結構読めない字が多い。ここへのルートで八東、八頭を通った。それぞれは「はっとう」「やず」と読む。ここに宿場町があった理由が山に登って良くわかった。
小さな町で宿場があった距離が今でも町の境界になっている。街道沿には多くの古い建物があった。城下町として発展したのだが、江戸時代は一国一城令で城は既に廃城だったが、宿場として存続した。
街を出ればこんな感じだ。
若桜鬼ヶ城跡
因幡三名城 (鳥取城、鹿野城) のひとつに数えられる名城で、標高452mの鶴尾山山頂に築城されていた。麓が標高200mなので約250m登る事になる。
登り口/山道
登り口は二つある。一つを選んで登り、下山時にもう一つの登り口へのルートで行く。250mを1000mで登るので急坂続きとなる。子供や女性には少しきついかな。
北の端にある曲輪跡
城が築かれた当初はここが中核部分であったと推測されている。古城と呼ばれている。鶴尾山山頂に三の丸、二の丸、本丸が築城された後も城の北の守りとして機能していた。
三の丸へ向かう 途中いくつもの段になっている。鶴尾山尾根部分に曲輪群を設けている。
三の丸に到着。ほぼ頂上になる。三の丸、二の丸、本丸は連続して階段式になっている。それぞれはさほど広くは無い。三の丸への入り口は石垣が崩れているが、城特有のの枡形になっているのが確認できる。石垣が至る所で崩れているが、これは一国一城令の時に破城された跡。ここに案内板があった。この城は正治2年(1200年)に矢部暉種が築城。城主は戦国時代に矢部氏代々から、尼子氏の家臣の山中鹿之助幸盛、豊臣秀吉の因幡攻めで吉川元春が入城し尼子勢が退去し、城主には秀吉の家臣の八木豊信、木下重堅と続き、関ヶ原の戦いのあとは山崎家盛、山崎家治となる。江戸時代には水野家が伯耆/因幡を拝領しその傘下になり、一国一城令で元和3年(1617年)に廃城となった。
若桜の街が見渡せる。
二の丸 入り口は石垣で狭くなっている。ここに門があったのだろう。すぐ向こうに本丸が見える。
本丸 本丸への入り口も石垣で囲まれているので門があったのだろう。本丸の先に天守台が見える。
天守台 15m四方ぐらいの小さな天守台。ここに天守閣が建っていた。
天守台からの下界の様子。右と左に平坦地が見えるが、右は播磨 (姫路の辺り) 左は但馬 (豊岡の辺り) への街道が走っている。戦争時は敵が鳥取に攻め入るにはこの街道を進軍するので、敵の動きがはっきりと見えた筈。その意味で要所で、戦国時代にこの城の争奪戦が何度も起こっている。ここで、持参した弁当でお昼。誰一人とも合わず、この景色を独り占め。贅沢なお昼だ。(弁当はツナとポテトサラダのサンドウィッチで質素なのだが....)
馬場
本丸から下に二の丸/三の丸と反対側に馬場と呼ばれているところがある。ここには駐車場があり自動車で来ることができる。坂もそれほど急でないので、自転車でも来れるが、それでは面白くないので、麓からの登山とした。本丸から馬場への道には二つの枡形がある。石垣は崩れてはいるが、枡形の跡は、はっきりと見える。
六角石垣 石垣の形でこう呼ばれている。後は下山するのみ。
下山後、暫く休憩し、鳥取への帰路につく。あまり知られていない城だが、期待以上に立派な城だった。
2コメント
2019.05.15 23:35
2019.05.15 23:20