Ride in Setouchi & San-in Day 47 (1/5/19) Iwami Ginzan Silver Mine 石見銀山

 Iwami Ginzan Silver Mine 石見銀山
少々遠出になるのだが、石見銀山に行こうと思っていた。出雲に移動してきた際に大田(おおだ)から10キロほど内陸部に入ったところにある表示があった。世界遺産に登録されている。その日は長丁場で合計20キロの寄り道は余裕が無かったので断念。出雲からは大田まで30キロ戻り10キロで石見銀山に行けるので一日潰せば行ける距離だ。
朝早く出発しようと宿を出ると雨が降っている。天気予報は曇りだったのだが....
雨の中の約100キロの走行は気が重い。決行するかどうか悩んでいるうちに雨が上がった。また降るかもしれないが、それはその時と思い石見銀山に向かい出発。
霧雨に所々に遭遇。地形に関係なのか、雨が全く降っていない所と霧雨、それも強く降る所や少しのところが数キロごとに入れ替わる。その度に雨合羽を着たり脱いだり。石見銀山と聞くと険しい山奥のイメージを持っていたが、標高130〜150mぐらいのところにあり、上り坂は比較的なだらかだった。
到着。代官所跡や宿場町のような街並みがある。昔の建物群は保存地区に指定されている。昔ここに訪れる旅人はいたようには思えない。そこに働く人夫や役人相手の宿や店があったのだろうか? それにしては規模が大きい。
山の中の天気は変わりやすい。強い雨が降ったり弱まったり。いる間はほとんど雨が降っていた。鉱山は岩山の杉林に覆われている。坑道から出ている間歩(まぶ = 坑道)の入口(出口?)が杉林に覆われた岩面にいくつもあり番号がふられている。
見学ができるところは龍源寺間歩のみ。600mあるのだが観光用に1/4を公開している。このほかにも最長の870mの大久保間歩がある。ここは公開していない。間歩内には小さなひおい坑と呼ばれる採掘跡がいくつもある。龍源寺間歩は主に銅の採掘が中心で銀はそれほど採掘はしていなかった。大久保間歩は銀が主体。石見銀山の開坑は1526年でそれから400年続き、1923年に休山となる。16世紀には世界の銀の生産の1/3をしめたといわれ。ヨーロッパで当時作られた地図に載っているほど。
戦国時代は毛利の支配下であった。毛利の財政を支えたものだ。毛利が減封になりこの石見を失った事は毛利にとって大きな出来事であった。江戸時代は幕府直轄となり、悪名高い(有能すぎた)大久保長安が管理していた。どこまで本当か解らないが、大久保長安は金に絡んだスキャンダルで失脚し、亡くなった。金はどの時代も人を狂わす。ちなみに、大久保間歩はこの大久保長安から名がついた。
見学はここだけなので早速いくと、料金所で新年号のキャンペーンで令和の一字が姓名に入っていれば無料。和が名前に入っているので、免許証を見せて無料になった。それまで新年号には関心がなかったが、思わぬところで恩恵にあずかる。ここ以外に予約すれば見学が出来るところもあるのだが、知らなかった。そちらの方が圧巻のようだ。
3時間ほどここで見学をして、また出雲市に帰る。ついた時には足がぱんぱん。

1コメント

  • 1000 / 1000

  • sumito dohi

    2019.05.09 04:40

    悪天候の中、よく走りましたね!そりゃぁ、足もパンパンになりますよ(笑)。ところで、、、、写真にある宿場町のような街並み風景は、ある程度再興されたものなのでしょうけど、あれらは何かのお店だったり、なにかの体験ができるようなイベントスペースだったり、はたまた当時の面影を残す旅籠だったりするのでしょうか?それともただの民家?普通に人が住んでるだけの家なのでしょうか?いずれにしても、場所を考えると、相当異様に見えるのですが。。。普通の生活圏ではないですよね??