Ride in Setouchi & San-in Day 48 (2/5/19) Cotton Road 木綿街道

Cotton Road 木綿街道
Hirata Castle Ruins 平田城跡
平田本陣記念館
今日は松江市を最終地点として宍道湖沿岸を通って行く。出雲を出発して宍道湖の手前に出雲市の平田というところがある。昔の街並みが残っているらしいので立ち寄った。

Cotton Road 木綿街道

木綿街道と呼ばれた場所がある。 島根県の東部に位置する出雲市平田町がそうだ。
宍道湖と船川を水路として古くから商家の荷を運ぶ市場町として栄えた。江戸末期から明治初期にかけて、平田木綿は、大阪や京都で高く評価されていた。この平田の一画は綿花流通の道として使われたため、「木綿街道」と呼ばれた。
平田の街に入って直ぐに目についたのが奇妙な人形。街にある市役所や商店、博物館に飾ってある。昔の物語から現代の題材まである。平田一式飾りと呼ばれている。身近な生活用具である陶器、仏具、金物、茶器、自転車部品等その“一式”(一種類のみ)を使って独特な発想・技巧を凝らして飾り競う平田地域の民俗芸術です。材料に穴を開けたり、色を塗ったり、変形せずに作り、解体すると元通りに使用できなければならないという決まり。この始まりは宝暦2年(1752年)に悪疫が流行した際に、天神の御神幸(おたび)の祭典が行なわれることにより退散した。寛政年間、ここの表具師の桔梗屋十兵衛が、平田天神の御神幸の祭典が恒例になるよう祈願し、これがかなったので、茶道具一式で「大黒天」を考案し、奉った事から一式飾りが始まったと言われている。
古い家の表の格子窓にニスか何かを塗っている男性にこの一式飾りの事について聞いてみた。ここにある平田天神の祭りが毎年7月20日から3日間あり、この期間に各町が一式飾りを奉納、審査員が優勝作品を選ぶそうだ。江戸時代の一式飾りは残っていますかと聞いたところ、祭りが終わるとバラして日常で使うので残念ながら、古いものは全く無い。最近は観光の為に残している。今年は令和をテーマにして何か作るそうだ。今アイデアを練っている最中。この人が塗っていたのは柿渋でニスでは無かった。未だに柿渋を使っているとは伝統を大切にしている。保存地区でもないのに、住民が自発的に古い町並みを守っていこうとしている。この男性に平田天神まで案内してくれた。境内にも10体の一式飾りが隠れているのだが、8体までしか見つけられなかった。(写真に撮ったのは6体)

Hirata Castle Ruins 平田城跡

城の遺構など何もないのだが、ここの城には毛利勢が尼子氏のこの城から南に10キロほどにある高瀬城からの攻撃に対して布陣した城という事で登ってみた。公園になっており東には宍道湖が見える。宍道湖の直ぐ先に尼子氏の拠点の月山富田城がある。数日後には行く予定。山陰の旅では、この月山富田城が一番行きたい所。

平田本陣記念館

出雲、松江は江戸時代には松江藩だった。出雲大社に詣でるには松江から50キロある。その中間地点の平田に本陣が置かれた。藩専属のものではなくこの地域の有力商人の本木佐家屋敷の一画を本陣として使用していた。家屋の一部が現存していたので、それをここに移築し、残りは江戸時代の図面に沿って復元している。総工費15億円。無料で開放している。館長さんがつきっきりで本陣を説明してくれた。とても親切な方だった。
圧巻は大広間から見る枯山水の庭園。これも本木佐家から移築したもの。観光客は座椅子に座り、抹茶を注文してしばしこの庭園を楽しむ。写真ではわからないが、庭と大広間とは一枚ガラスで仕切られている。重さ1トン。建築には、まず1トンガラスをクレーン車で設置してその後から家屋の工事という段取りで、ガラスが割れると同じように修復出来ないので非常に気を使っていた。
平田町は面白かった。もう少しいたかったが、松江に向かうことにする。国道を走るのはつまらないので、今日はリラックスして景色を楽しめるサイクリングロードを走っている。出雲から平田、そして宍道湖迄は出雲路自転車道。宍道湖の北側を宍道湖湖北自転車道で行程のほぼ90%は自転車道。信号もなく時速30キロで飛ばす。快晴で風が気持ちいい。
明日は天気であれば宍道湖一周を計画している。

2コメント

  • 1000 / 1000

  • Kazu Saeki

    2019.05.14 08:36

    この連携が難しい。近隣地域はお互いに張り合っていて仲が悪い。県レベルで考える期間が必要。会社の組織と同じ。
  • sumito dohi

    2019.05.09 04:32

    宍道湖のサイクリングロードは、ほんとうに気持ちよさそうですね~。うらやましい!コメントの順番が逆順になってしまっていますが、木綿街道のようなひなびた観光地(名所として独立した観光収入を豊富に得ることができない土地)は、周囲との連携による(佐伯さんがよくおっしゃっている)「ストーリー」が必要ですね。殊、山陰地方はそのストーリーが重要なカギだと感じています。