Ride in Setouchi & San-in Day 16 (31/3/19) Hiroshima Castle Ruins 広島城

Hiroshima Castle Ruins 広島城
Sukkeien 縮景園
今日は自転車でなく徒歩で広島市内を巡る。

Hiroshima Castle Ruins 広島城

広島城は、毛利輝元によって1589年に築城。それまでは毛利氏の本拠地は現在の安芸高田郡の山上にある郡山城だったが、豊臣秀吉の統一政権後、居城を広島城に移す。居城を山城から平城に移した理由については諸説ある。広島城は攻めやすい城と言われており、秀吉に強いられたとか? 黒田官兵衛をこの城の普請には派遣している。広島城は昔の海岸線の三角州にあった。今とは随分と地形が異なる。
天守閣の歴史館にこの安芸の国の領主、領土を開設したパネルがあった。わかりやすいので載せておく。毛利が武田を滅ぼし、福島、浅井と移って行く。
広島城の復元したモデルがインターネットにあった。復元されなかった小天守閣ふたつもありイメージがつかめる。ただ、小天守閣は明治維新以後、廃城令で破却されて天守閣のみとなっていた。
毛利輝元が関ヶ原の戦いに敗れ、広島から追放された後は、福島正則が新たな広島城主となる。1619年からは浅野長晟(ながあきら)へと替わり、浅野氏が幕末まで城主を務めた。19世紀後半以降、陸軍の用地となったが、原爆により倒壊。場内にはその陸軍広島大本営跡の礎石が残っている。
中国軍管区司令部の防空作戦室跡もあったが危険ということで、中へは入れないようになっている。
原爆で破壊された後、実際に復元されたのは天守閣と二の丸の表御門、多聞櫓、平櫓、太鼓櫓。
掘を渡るとまずは二の丸。
表御門
平櫓
太鼓櫓
多聞櫓
本丸は内堀に囲まれて、二の丸から入る。
広島城の遺構は石垣のみ。
現在の天守は1958年に再建されたもので、歴史博物館になっている。今は桜が咲きはじめているので、お花見客が出始めている。

Sukkeien 縮景園

広島藩主浅野長晟が、元和6年 (1620年) から別邸の庭園として築成した。宝暦8年(1758年)の宝暦の大火で広島の街が灰燼に帰したがその復興を7代藩主重晟により行われ、この庭園も大幅に改造される。ここも原爆で破壊されたが復元をしている。その復元の元になったのが重晟の時代の庭園。
観光客で一杯、広島城の近くなので、セットで観光している外国人観光客が多くいる。今の時期は桜やその他の花が咲き、庭園に花を添えている。多くの観光客が花のアップを写真に撮っている。
この季節は落ち着いた庭園に華やかさを出している。
ゆっくりと庭園を散歩。気持ちが良い。その中で、ここにも原爆の爪痕が残っている。
庭園を後にして、自転車を停めているところまで、もう一度広島城の堀端を歩く。日も暮れかけている。今日はこれにて宿に向かう。

1コメント

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  • sumito dohi

    2019.04.01 00:37

    広島城がこんなに壮大なスケールのお城だとは知りませんでした。恥ずかしい。なるほど今となっては市民の方々の憩いの場所兼観光名所なのでしょうが、当時の歴史的背景を紐解くと江戸前期から近代にかけての広島はいろんな意味で激動の中心になっていたことがわかりますね。 近々広島県庁の方との面談(新年度体制が落ち着いた頃ですが)が予定されていますので、佐伯さんのブログでしっかり事前勉強しておきます。(笑)