Ride in Kyushu Day 51 (4/2/19) Museum of the Meiji Restoration 維新ふるさと館
Museum of the Meiji Restoration 維新ふるさと館
昨日から鹿児島市内を散策し始めたが、鹿児島市が前面におしだしているのは幕末、明治維新の薩摩出身の人たちの偉業だ。市内には相当の数の偉人の誕生地、生い立ち地、銅像などがあるが、実際に見るものはなく、その偉業を説明しているパネルがあるのみ。形で見れるのは桜島と集成館くらいだろう。あまり観光地として見せられるものが乏しいからか、維新の鹿児島の貢献を最大限にPRしている。個人的にはこのやり方は気に入っている。その偉人の誕生地を回りながら当時何があったのかを知るのは楽しい。自分が知っている歴史や偉人とつながっていく。その事で鹿児島という所が理解できるような気がする。今日も数カ所その様な誕生地や銅像を見たが、これはいずれ、自分の中で消化して整理した形で紹介する予定。今日見たところで、面白かったところを載せる。
Museum of the Meiji Restoration 維新ふるさと館
幕末から維新の出来事を紹介している。それほど多くの展示をしているのではないのだが、ほとんどの展示が、映像と音声で紹介しているので、一つづつ見て回るにはかなりの時間がかかる。2時間以上いたのだが、結局時間足りず半分ぐらいしかみられなかった。
印象に残ったのは、鎖国中の江戸時代に、幕府に内緒でイギリスに留学生を送った事だ。20分ほどのドラマ仕立てで映画を上映していた。面白い。鹿児島中央駅に若き薩摩の群像という銅像があった。この人たちのことだ。一番若いのは13才の長澤鼎でスコットランドの中学校に留学、その他のメンバーはロンドン大学でそれぞれの専門分野を学んだ。感心したのは、薩摩藩が薩英戦争で西欧の軍事力や技術力の差を目の当たりにして、敵国であったイギリスと友好を結びその国から学ぼうとの決断がすぐになされたこと。薩摩のリーダー国父島津久光の時だ。久光は斉彬と常に比較され、斉彬より劣る様なイメージを持たれているが、いくら側近が優秀であったとはしても、最終の責任は自分にかかる事はわかっており、この留学が幕府に問題視されると、密航として処罰される。その危険を犯してまで、実行したのは大きな決断だ。それも薩英戦争から2年も立っていない。ほぼ即断だ。久光の力量は斉彬に劣るわけでは無いと思う。同じことが15名の留学生と4名の同行者にも言える。この留学は当時は命がけだ。行く決心は大変であっただろう。ひとりの渡航費用が今のお金で2500万円という。渡航費だけで5億円だ。それだけの価値を見出していたという事。これは薩摩の風土なのか、技術と同じく人に価値を見出している。技術を支えるのが人である事が分かっていたのだ。凄い藩だ。
若き薩摩の群像
少し話が脱線するが、斉彬の時代に集成館という技術工業団地を造った。ここで、製鉄や蒸気機関など西欧技術を、自分たちで作り上げた。藩士に学ばせ、それにより技術を生み出す。あらゆるものを薩摩で作ろうとした。工業品だけで無い、農産物も絹も色々なものを作ろうとした。昆布作りなどは、気候が適せず失敗したが、何でもやらせる風土が培われ、それが久光にも受け継がれた。この風土が、幕末維新で多くの偉人、要人を輩出したのだろう。薩長政府と言われているが、この両藩には結果的に多くの優秀な人材が育っていた。必然的に薩長政府になるしかなかっただろう。この事を考えると、先に述べた鹿児島市観光に人を全面的に出しているのが頷ける。日本の中でユニークな歴史、風土を持った地域だ。ただ惜しいのは、現在の鹿児島の状況だ。これ程素晴らしい環境があったにもかかわらず、現在の停滞は何がいけなかったのか、何を成すべきなのか? ひょっとして島津家がまだ力を持っているからかもしれない。以前は薩摩自体が島津家だった。だから藩の全て、領民の事を考えた行動決断をした。今は個人としての島津家しか頭にないだろう。強いリーダーがいないのだ。大阪市長をやった橋下さんなどがやれば、鹿児島の潜在能力が引き出せるのではなどと無責任に考えた。鹿児島県、鹿児島市には幕末維新のスピリットを出して頑張ってもらいたいものだ。
集成館で製造していたものの展示 後日、集成館には行く予定。
話を戻す。15人の留学生は帰国しなかったものもいるが、戻ったメンバーの中で明治に発展に大いに貢献した人たちがいる。それについては、その所縁の地を訪れた際に触れたい。この博物館は川沿いの公園の中にあり、公園自体が博物館にもなっている。歴史ロード、維新ふるさとの道と言う。散歩しながら、維新に関わるパネルを見ていくことができる。パネルの洒落た作りになっており、フリーWifiで7つのテーマのドラマを見ることができる。このテーマ区分はすっきりしてわかりやすい。旅日記もこのくくりで書いてみる。
歴史ロード 維新ふるさとの道
甲突川沿いに緑地があり、薩摩の歴史を紹介するパネルが立っている。幕末の武士の典型的な屋敷の復元展示もしてある。この地域は加冶屋町という地区で幕末は下級武士が住んでいた。明治維新の多くの偉人がこの地域出身だ。西郷隆盛、大久保利通、大山巌、東郷平八郎など。
歴史ロード 維新ドラマの道
維新ふるさとの道からこの維新ドラマの道になる。綺麗な洒落たパネルが7つあり、それぞれがフリーWifiに接続し、簡単なドラマを見ながら薩摩の歴史を学ぶことができる。この形態の展示は初めてだ。展示方法がどんどん進化している。パネルが綺麗なので写真を撮って編集したものを載せておく。旅日記もこのテーマで書いていこう。
島津斉彬と集成館事業
大山巌と薩英戦争
薩摩英国留学生
五代友厚とパリ万国博覧会
大久保利通と岩倉使節団
西郷隆盛と西南戦争
東郷平八郎/山本権兵衛と日露戦争
夕方になり桜島が煙を吐き出している。毎日のことだそうだ。風向きによっては市内に火山灰が降る。自動車の清掃や洗濯物が面倒だそうだ。鹿児島の嫌なところは火山灰と言っていた。
街中でひとりの男性から声をかけられて、意気投合、長い話になった。現在57才で貿易商社を辞めて、地元で障害者支援施設で働いている。若い頃は自転車で九州、四国、関西まで旅をしたそうで、懐かしくて声をかけてくれた。仕事上や家庭で色々なストレスがある。色々な話をして、思い悩んでいたが、話ができて、勇気をもらえたと言ってくれた。嬉しかった。フェイスブックに載せたいと言って写真を撮ってくれた。少しは役に立ったかな。
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