練馬区 23 (18/10/23) 小榑村 (3) 西大泉
小榑村 西大泉
- 本照寺
- 題目塔
- 子育地蔵
- 馬頭観音 (92番)
- 諏訪神社
- 馬頭観音 (登録番号無し)
- 東伏見神社分霊
- 四面塔稲荷神社
- 常勝院
- 大乗院、馬頭観音 (90番)
- 西大泉町
- 大泉堀 (だいせんぼり)
昨日は練馬区めぐりは休止して、東京都心にある病院で定期健診だった。今日から練馬区めぐりを再開。残りも少なくなってきたので、今日と明日で終了するだろう。
小榑村 西大泉
西大泉は練馬区の北西部に位置し、北は埼玉県新座市野寺、片山、東は大泉学園町、南は東大泉、南大泉、西は西東京市下保谷、北町にせっしており、主に住宅地や農地となっている。
人口の増加が著しくなったのは1950年代後半と思われる。1965年までは毎年20%から30%の増加があり、1970年には1956年に比べて10倍まで膨れ上がっている。その後も、増加率は低下してはいるが、順調に増加し、2010年以降は横ばいか微増となっている。世帯数は今でも増加傾向にある。1981年 (昭和56年) の住居表示実施で、西大泉一丁目~六丁目の構成に変わっている。
埼玉県新座市片山にあった約30m×60mの飛地部は住居表示がされずに「西大泉町」のまま現在に至っている。西大泉六丁目から僅か100m程の所にある。当時は僅か8世帯17人しか住んでおらず、2015年に新たな住宅が建設され、現在では14世帯33人の地域になる。飛地が生じた経緯については練馬区も新座市も把握しておらず、1974年に住宅が建つまでその存在すら把握していなかったそうだ。行政の手続きの漏れの産物と推測される。行政サービスでは上下水道、電気は新座市、ゴミの処理、学校区は練馬区の管轄になっている。練馬区としては新座市へ編入する方針なのだが、特に住民の不満も陳情もなく、そのまま放置状態になっている。
練馬区史 歴史編に記載されている西大泉内の寺社仏閣や民間信仰の塔は以下の通り
- 仏教寺院: 本照寺、大乗院
- 神社: 諏訪神社、東伏見神社分霊、四面塔稲荷神社
- 庚申塔: なし 馬頭観音: 4基 (内1基は旧番地で示されており、現在の町番地は図書館でしあわからないので未訪門)
まちづくり情報誌「こもれび」- 西大泉
西大泉 訪問ログ
本照寺
題目塔
子育地蔵
馬頭観音 (92番)
諏訪神社
馬頭観音 (未登録)
諏訪神社照の西の都道24号線 (練馬所沢線) を渡り、西に道を入ったところはかつての小名 唐澤で、民家の前には馬頭観音が置かれている。1921年 (大正10年) に造られたものだが、かなり摩耗が進んでいるが、正面には馬頭観世音と刻まれている。
東伏見神社分霊
四面塔稲荷神社
常勝院
大乗院、馬頭観音 (90番)
西大泉町
大泉堀 (だいせんぼり)
小泉橋
大泉堀にはかつては幾つもの橋が架かっていた。その橋の一つに小泉橋がある。明治22年に小榑村と橋戸村が、さらに24年に上土支田村が合併したことはたびたびふれた。三か村が一緒になるから、新しい村名はいろいろ意見があってまとまらない。最後に小泉村という案がでた。三つの村を平等に潤す白子川の源、井頭池からはいつも新鮮な泉が湧いている。それと一番大きい小槫村の一字をとって小泉村としたらというのである。だが、小泉はコイズミとも、オイズミとも読める、いっそ大泉村にということになったそうだ。その小泉の名が大泉堀の小泉橋の名がある。すぐ側の自動車道のしたみち通りには小泉橋交差点があり、名だけが残っている。
参考文献
- 練馬を往く (1983 練馬区教育委員会)
- 練馬区史跡散歩 (1993 江幡潤)
- 練馬区の文化財 指定文化財編 (2016 練馬区地域文化部)
- 練馬区史 歴史編 (1982 練馬区)
- 練馬区史 現勢編 (1981 練馬区)
- 練馬の寺院 三訂版 [郷土史シリーズ 3-4] (2004 練馬区教育委員会)
- 練馬の神社 三訂版 [郷土史シリーズ 5] (2006 練馬区教育委員会生涯学習部)
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