練馬区 23 (18/10/23) 関村 (1) 関町南
関村 関町南
- 千川上水緑道
- 伊勢橋跡
- 御嶽神社
- 竹下稲荷神社
- 竹下橋
- 久山 (きゅうやま) 橋
- 田中橋
- アイメイト発祥地
- 吉祥寺橋
- 東北浦橋
- 千川上水施餓鬼亡霊供養塔
- 桂橋
- 北裏橋
- 西北浦橋、三ツ塚けやき緑地
- 更新橋、庚申塔
- 関村分水口
- 西窪橋
関村
関村の由来は豊島氏が石神井に在城のころ、関所を設けたからと伝わっている。別の説では、川の堰に由来するともある。1784年 (天明4年) の村絵図は溜池 (今の富士見池) の川下に大堤が描かれている。堰は古来には井関、井口と言われており、関村の開発者で、本立寺の開基である井口氏とこの関を表す地名の井口との結びつきも考えられる。
新編武蔵風土記稿によれば、関村には大関、小関、本村、三ツ家新田、関原 (せきっぱら)、葛原、小額 (こびたい)、札野、二ツ塚、鉄砲塚の小名があったと記されている。
- 大関、小関は石神井川の北側で現在の関町北4丁目。大関は川上、小関は川下で、隣の上石神井村の小字の小関と接していた。
- 本村は現在の関町東一帯にあたる。村で一番早く開けたところだった。
- 三ツ家新田は本村近くで、文字通り3軒が新家 (しんや) に出て開墾した土地だった。
- 関原は現在の立野町。関村の内でも新しく開かれたところで、上石神井村の飛び地、立野と交錯していた。
- 葛原、小額は青梅街道の北に面した現在の関町北1~3丁目にあたる。葛原は植物のクズ (葛) が繁茂していたと思われる。小額は地形的に山の頂に近い正面をいうので本村から見て台地を登った所だった。
- 札野は江戸時代に幕府御用のカヤなどを刈るために高札を立て、立ち入りを禁止した場所だった。1669年 (寛文9年)、関村の名主八郎右衛門が自ら開発請負人となり、それまで札野であった所を開拓した。関前新田 (現在の武蔵野市) も、その一つだった。
- 二ツ塚は青梅街道の南側で、現在の関町南4丁目に不動塚と物見塚という二つの塚があった。不動塚には不動尊が祀られ、物見塚は関の番所か見張所だったと思われる。
- 鉄砲塚のテッポウは真っすぐという意味で付けられた。石神井西中学校の所にあって、南北に細長かったという。明治時代には二ツ塚を合わせて「三ツ塚」といった。
- 竹下新田は、もとの関村のうちの幕府の御用林だった。1784年 (天明4年) に竹下忠左衛門という浪士が願い出て開墾したのでその名が付いた。竹下新田は下竹 (現 関町南1・2丁目) と、上竹 (現 関町北3丁目) に分かれていた。新編武蔵風土記稿には竹下新田には久保、千川付 (せんかわつけ)、前野、淵崎の小名が記されている。下竹の久保は隣村上石神井の久保に接し、上竹の淵崎は富士見池の縁で高台の先端付近をいう。
関村 関町南
関町南は東京都23区の西端で、練馬区の南西部にも位置しており多摩の境界に位置する。東は杉並区上井草に、南は立野町、杉並区善福寺、武蔵野市吉祥寺北町と緑町、西は西東京市東伏見に、北は関町北、関町東、上石神井、上石神井南町に接している。青梅街道沿いに郊外型小売店の立地が見られる他は、多くが住宅街となっている。千川上水沿いには畑作地も見られ、武蔵野の面影が残っている。
江戸時代は関村と呼ばれて、戦国時代に置かれていた関所か石神井川の堰が村名の由来と考えられている。青梅街道は運搬の道として開かれ、武州御嶽への参詣道としても賑わっていた。関村はその街道沿いの宿場まちとして栄えていた。現在の関町南となっている地域は江戸時代には武蔵国豊島郡関村の小名二ツ塚、鉄砲塚、および竹下新田の小名久保、千川付あたりに相当する。1784年 (天明4年) に、竹下忠左衛門が中心となって、関村の中の林を耕して新田を開拓した。新田は開拓者の名をとって「竹下新田」と呼ばれた。新田は上竹 (かみたけ 現 関町北3丁目) と下竹 (しもたけ 現 関町南1・2丁目) の2か所あった。1879年 (明治12年、竹下新田は関村に合併され、1889年 (明治22年) の町村制施行により関村と竹下新田は東京府北豊島郡石神井村大字関甲と関乙となり、関町南は字三ツ塚 (現在の三丁目・四丁目)、下竹 (現在の一丁目・二丁目) にほぼ相当する。
練馬区史 歴史編には記載されている関町南内の寺社仏閣や民間信仰の塔は掲載されていないのだが、巡って見ると神社や千川上水沿いに庚申塔があった。
- 仏教寺院: なし
- 神社: 竹下稲荷神社、御嶽神社
- 庚申塔: 0+2基 馬頭観音: なし
まちづくり情報誌「こもれび」- 関町南・立野町
関町南 訪問ログ
千川上水緑道
伊勢橋跡
御嶽神社
竹下稲荷神社
竹下橋
久山 (きゅうやま) 橋
田中橋
アイメイト発祥地
吉祥寺橋
東北浦橋
千川上水施餓鬼亡霊供養塔
桂橋
北裏橋
西北浦橋、三ツ塚けやき緑地
更新橋、庚申塔
関村分水口
西窪橋
参考文献
- 練馬を往く (1983 練馬区教育委員会)
- 練馬区史跡散歩 (1993 江幡潤)
- 練馬区の文化財 指定文化財編 (2016 練馬区地域文化部)
- 練馬区史 歴史編 (1982 練馬区)
- 練馬区史 現勢編 (1981 練馬区)
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