練馬区 15 (20/04/23) 田中村 (2) 三原台

田中村 三原台

  • 馬頭観音 (70番)
  • 三原台稲荷神社
  • 庚申塔 (107番)
  • 八幡神社

今日は東京滞在の最終日になる。前回巡った旧田中村のもう一つの村の旧田中新田 (三原台) から巡っていく。

田中村 三原台 (旧田中新田、旧北田中町)

三原台は練馬区の中西部に位置し、東部は谷原、南部は石神井町、西部は東大泉、北部は土支田などに接している。

江戸時代の中ごろ、田中村 (現在の南田中) の人たちが、新天地を求め開墾を行い、武蔵野の雑木林の台地は数年後には畑となった。新墾地は田中新田と呼ばれた。

新田は本村の田中村に属していた。1889年 (明治22年) に町村制が布かれ、石神井村大字田中の一部となった。田中新田は、1932年 (昭和7年) に石神井が板橋区になったときに本村の田中村から独立し、田中村の本村は南田中町、新田は北田中町となった。 1946年 (昭和22年) に練馬区が板橋区から分離独立した際に北田中町を中心に、東大泉町、土支田町の一部が合併して、住民アンケートで町名を三原台と変更している。この地名の背景には地域内に北原、中原、西原という三つの原の付いた小字があったとか、三方が台地となっていからという二つの説明があった。三原台の民家の分布地図を見ると、戦前までは殆ど変化はなく、水田や畑の近くに集落が点在している。三原台の発展は戦後の高度成長期に多くの集合団地が建設されている。現在では民家が全域に広がり密集している。

1949年 (昭和24年) には板橋区北田中町から 練馬区北田中町と町名変更が行われている。1971年 (昭和46年) に住居表示が実施され、北田中町は三原台一丁目 ~ 三丁目となっている。この時に、2,704人 (767戸) が前年から増加している。これは 83%の増加率で、三原台三丁目のほぼ全域に当たる。この増加の背景については調べたがわからなかった。


練馬区史 歴史編に記載されている三原台内の寺社仏閣や民間信仰の塔は以下の通り

  • 仏教寺院: なし
  • 神社: 三原台稲荷神社、八幡神社
  • 庚申塔: 1基  馬頭観音: 1基


まちづくり情報誌「こもれび」- 三原台


三原台訪問ログ



馬頭観音 (70番)

昭和60年10月に全線が開通した関越自動車道の起点の練馬インターチェンジまで行く。ここは三原台二丁目の南端で交通の要所で一般道も道幅が広く、商業店舗も多く見られる。自動車沿いに少し西に進んだ所に馬頭観音があった。1798年(寛政10年) 11月に建立された馬頭観音塔で、少し変わった構成で、正面上部に馬頭観音座像が浮彫りされ、その下の正面大部分にはメインメッセージの「奉勸請馬頭觀世音菩薩」「天下泰平 國土安穏」の文字が刻まれている。また、側面には「講中二十三人 願主篠源右衛門」、「講中十四人 願主朝比奈平右衛門と刻まれており、二つの講により建立されている。背面の下部には「小日向水道町石工勘助」と二つの講により江戸の石工に依頼して建立されたことが刻まれている。

三原台稲荷神社

馬頭観音から自動車道を渡って南に進むと三原台稲荷神社がある。この稲荷神社は江戸時代の享保・元文年間 (1716-1741) 頃に田中村 (現在の南田中) の人々が当地に移住し、田中村北原新田 (通称北田中) を開拓し、その鎮守として創祀したと伝わる。新田開拓に当った十数軒の子孫を中心に、多くの人々に崇敬されている。この稲荷神社を土地の人は「北田中の稲荷」という。以降、立て替えられているようで、境内石造物で最も古いのは鳥居と燈籠で大正期に造られている。社殿は1959年 (昭和34年) の改築で、拝殿内には幕末からの絵馬、奉納額が幾つも掲げられている。
境内の右手には三つの赤鳥居がある。右側の鳥居の奥には、熔岩を配した築山があり、氷川神社の神社名碑 (下左) や末社の御嶽大神 (下中)、三笠山大神、八海山大神、一山霊神等の神名碑が建てられている。
左側の二つの鳥居の奥にも小丘があり、1876年 (明治9年) に造られた末社となっている富士山浅間神社の神名碑 (下中)、光明霊神 (上左) が建っている。更に、境内には社殿改築記念碑 (1926年 大正15年 写真右下の左)、大東亜戦争記念碑 (1971年 昭和46年 写真右下の右) もあった。

庚申塔 (107番)

稲荷神社の南側の大泉街道沿いに祠があり、そこに1761年 (宝暦11年) 9月)に造立された舟形の庚申塔がある。上部には日輪・月雲、その下に青面金剛像が浮き彫りされ、六臂の内二つは合掌し、右の二本には矛と矢、左の二本はは宝輪と弓をもっている。 下部には邪鬼が踏みつけられ、邪鬼の左右には二鶏、その下には三猿も浮き彫りされて、オーソドックスの庚申塔の形になっている。側面には庚申待供養敬白と記されている。庚申塔の左右には「庚申」と記された石燈篭と「大乗妙無…」の文字が刻まれた石碑も置かれている。

八幡神社

大泉街道を少し東に進んだドラックストアの駐車場の中に、鳥居と祠が置かれている。祠には八幡神社とある。その隣には石碑があり、お隣の石碑は山岳信仰のものだね。
御嶽、八海山、三笠山の文字が刻まれている。先程訪れた稲荷神社にもあった。この地域でこの山岳信仰が広まり、講中が組織されていたと思われる。


三原台には、以上四つの史跡しか見当たらず、次はその南側の地域の石神井町の史跡を見ていく。その訪問レポートは別途。


参考文献

  • 練馬を往く (1983 練馬区教育委員会)
  • 練馬区史跡散歩 (1993 江幡潤)
  • 練馬区の文化財 指定文化財編 (2016 練馬区地域文化部)
  • 練馬区史 歴史編 (1982 練馬区)
  • 練馬区史 現勢編 (1981 練馬区)
  • 練馬の寺院 三訂版 [郷土史シリーズ 3-4] (2004 練馬区教育委員会)
  • 練馬の神社 三訂版 [郷土史シリーズ 5] (2006 練馬区教育委員会生涯学習部)

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