練馬区 06 (12/01/23) 谷原村 (2) 谷原/高野台
谷原村 谷原 (やはら)
- 清戸道の碑
- ふじ大山道 道標
- 谷原延命地蔵
- 馬頭観音
- 増島家薬医門
- 地蔵堂
- 土支田北野神社
- 三軒寺 (さんげんでら)
- 真龍寺
- 宝林寺
- 敬覚寺
谷原村 高野台 (たかのだい)
- 愛宕神社
- 市杵島神社
- 谷原氷川神社
- 馬頭観音 (高野台1-17) [未訪問]
- 神社 (名称不詳)
- 長命寺
- 南大門
- 仁王門
- 東門
- 書院
- 本堂 (金堂)
- 鐘楼と十三佛
- 木遣地蔵堂
- 弘法大師像
- 木遣塚 (きやりづか)
- 子育て地蔵
- 観音堂
- 奥之院
- 庚申塔 (102番、103番)
- 馬頭観音 (64番、65番、66番、68番)
- 庚申塔 (104番、105番)、馬頭観音 (67番)
- 庚申塔 (106番)
- 御影堂 (大師堂)
- 姿見の井戸
- 閻魔十王
- 徳川家光公供養塔、大猷院殿台霊供養塔
昨日 (1月11日) に沖縄那覇から東京成田に到着し、娘達が住んでいる練馬に移動。今回も定期検診の為の上京で約二週間滞在する。今回のフライトはピーチエアを使ったのだが、プロモーションで那覇-東京往復が4500円と格安だった。成田-東京のリムジンバスより安い。沖縄にはこれほどではなくとも格安航空券が常時出ている。ある意味で、他の地方都市よりも経済的に首都圏に移動ができる。新型コロナに対しての不安が低下したせいもあるのだろう、フライトは、以前はガラガラだったのだが、今回はほぼ満席状態だった。
谷原村 谷原 (やはら、ヤワラ)
谷原は練馬区のほぼ中心部に位置する地域で、北部を光が丘、高松、土支田、南部を高野台、東部を高松、西部を三原台と接している。
谷原村は相模の戦国大名北条氏康 (1515年 - 1571年) が作らせた一族家臣の諸役賦課の基準となる役高を記した分限帳の小田原衆所領役帳に「太田新六郎寄子衆、壱貫七百文、石神井谷原在家、岸分」と登場し、岸という武士が谷原のほか、葛西や田端などの在家も知行していたとある。柳田国男「地名考説」によれば、谷原の地名は、阿原 (あわら =浸水しやすい低地) のアが、谷地 (やち =谷あいの湿地)のヤと混同したものといわれる。
1801年 (文化6年) の谷原村 (谷原、富士見台、高野台) の戸数は110戸だった。人口は書かれてないのだが一世帯5人とすると550人程だったかもしれない。1873年 (明治5年) の人口は647人だったとあり、小さな村だった。1956年の谷原村 (谷原、富士見台、高野台) の戸数は1,819戸で17倍に拡大している。高度成長期前半は高い人口増加率を示している。1965年に大きく人口が増加しているのは、住居表示実施の際に、北田中町、土支田町、高松町のそれぞれ一部を編入されたことによるもので自然増ではない。高度成長期後半は人口増加は低くなり、それ以降現在に至るまで、毎年僅かではあるが人口は増加している。
練馬区史 歴史編に記載されている谷原内の寺社仏閣や民間信仰の塔は以下の通り
- 仏教寺院: 真龍寺、宝林寺、敬覚寺
- 地蔵尊: 谷原延命地蔵、地蔵堂
- 神社: 土支田北野神社
- 庚申塔: なし 馬頭観音: 1基 (無登録)
まちづくり情報誌「こもれび」- 谷原
練馬区がまちづくり情報誌「こもれび」を発行している。その中で区民調査隊という自由に参加できる活動があり、練馬の町を探索し情報を発信している。その地域を知るには非常に良い情報誌となっている。(https://nerimachi.jp/about/komorebi_backnumber.php)
谷原訪問ログ
清戸道の碑
ふじ大山道 道標
大山道は主要なものに8道あり、青山通り大山道、府中通り大山道、八王子通り大山道、柏尾通り大山道、田村通り大山道、羽尾通り大山道、六本松通り大山道、蓑毛通り大山道がある。ここに通っている大山道 (現在は池袋谷原線) はふじ大山道と呼ばれて、下練馬村から、田無 - 押立の渡し - 長沼 - 図師 - 府中通り大山道を経て大山へ向かう。富士山への参詣者も通ったため、ふじ大山道と呼ばれ、明治期に入って富士街道と呼ばれるようになった。谷原交差点近くを通るふじ大山道には道標が残っている。「西田無二里、府中五里、東練馬宿」と刻まれている。
谷原延命地蔵
馬頭観音
増島家薬医門
地蔵堂
土支田 (どしだ) 北野神社
三軒寺 (さんげんでら)
真龍寺
宝林寺
敬覚寺
谷原村 高野台 (たかのだい)
高野台は練馬区の中央よりやや南西部に位置し、北部を谷原、東部を富士見台、南部を南田中、西部を石神井町と接している。
高野台の明治期からの民家分布の変遷を見ると1927年 (昭和3年) には長命寺辺りが寺前となり少し民家が増えている。それ以降、戦前はそれ程の変化は見られず、戦後になって高野台の西側地域に民家が多くたち始めている。1994年に練馬高野台駅が設置されてからは東側に民家が建設されはじめ、現在でほぼ全域に民家が立ち並んでいる。
かつての谷原2丁目が谷原と高野台に分かれてからは、両地域とも順調に人口、世帯数は増加しており、今後もこの傾向が続くと思われる。
練馬区史 歴史編に記載されている高野台内の寺社仏閣や民間信仰の塔は以下の通り
- 仏教寺院: 長命寺
- 神社: 市杵島神社、谷原氷川神社、神社 (名称不詳)
- 庚申塔: 5基 馬頭観音: 8基
まちづくり情報誌「こもれび」- 高野台
練馬区がまちづくり情報誌「こもれび」を発行している。その中で区民調査隊という自由に参加できる活動があり、練馬の町を探索し情報を発信している。その地域を知るには非常に良い情報誌となっている。(https://nerimachi.jp/about/komorebi_backnumber.php)
高野台訪問ログ
愛宕神社
市杵島神社
神社 (名称不詳)
谷原氷川神社
馬頭観音 (高野台1-17) [未訪問]
長命寺
南大門
仁王門
東門
書院
本堂 (金堂)
鐘楼と十三佛
木遣地蔵堂
弘法大師像
木遣塚 (きやりづか)
木遣塚(きやりづか) は、元禄年間に江戸城普請の時に歌い始めた木遣節を後世に伝えるため多くの神社に建てられたそうで、この長命寺にもあった。
子育て地蔵
観音堂
奥之院
庚申塔 (102番、103番)
馬頭観音 (64番、65番、66番、68番)
庚申塔 (104番、105番)、馬頭観音 (67番)
庚申塔 (106番)
御影堂 (大師堂)
門には立派な彫刻が施されていた。
姿見の井戸
昔からこの井戸の水に顔が写れば長生きすると伝えられている井戸が残っている。井戸を覗いてみる。残念ながら顔はうつらなかった。
閻魔十王
徳川家光公供養塔、大猷院殿台霊供養塔
これで谷原と高野台の史跡巡りは終了。長命寺は見どころ満載だったので、日暮れまでの見学となった。
参考文献
- 練馬を往く (1983 練馬区教育委員会)
- 練馬区史跡散歩 (1993 江幡潤)
- 練馬区の文化財 指定文化財編 (2016 練馬区地域文化部)
- 練馬区史 歴史編 (1982 練馬区)
- 練馬区史 現勢編 (1981 練馬区)
- 練馬の寺院 三訂版 [郷土史シリーズ 3-4] (2004 練馬区教育委員会)
- 練馬の神社 三訂版 [郷土史シリーズ 5] (2006 練馬区教育委員会生涯学習部)
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