Okinawa 沖縄 #2 Day 208 (02/09/22) 西原町 (8) Kakeboku & Sakihara Hamlets 掛保久/崎原集落
西原町 掛保久集落 (かけぼく、カキブク)
- 掛保久公民館
- 殿 (トゥン、袖花殿 ソデバナートゥン)
- 火ヌ神
- 當山家拝所
- 拝井泉 (2022年9月20日 訪問)
- 井戸跡
- 後間毛 (クシマモー) の拝所 (2020年6月2日、2022年8月27日 再訪)
- 親川 (ウェーガー) (2020年5月24日 訪問)
- チンガーバル (2022年9月20日 訪問)
西原町 崎原屋取集落 (さきはら、サチバル)
- 上之御井(イーヌカー)、新田之御井 (2022年9月20日 訪問)
西原町 掛保久集落 (かけぼく、カキブク)
現在の公民館周辺にアシビナー、殿、火神、旧家の屋敷跡などがあり、部落発祥の地だといわれている。古くは、掛保久は内間村に包含されており、絵図郷村帳「かけほこ村」と表記されている。琉球千草之巻には、掛保久村の世立始めとして「西原幸地より来る呉屋大主 在所根所」とあり、地祖始めとして「西原嘉手苅より来る古波津子 在所座神」とある。これとは別に地元の伝承によると、掛保久村の創始家は當山家、玉城家、城間家の三家だといわれる。その中で最も古い創始家は當山家で、180年ほど前に絶家したといわれ、公民館前の屋敷跡地には、御神家のみが残っている。その子孫は、大里村真境名、古堅、与那原町与那原、与原などに多く、その子孫は、節日・折目には宗家跡地にある御神家を拝んでいるという。玉城家の宗家は約300年前、中城間切屋宜村から掛保久に移住し、その後、城間家が北谷間切から移って来たという。この三旧家は殿を腰当 (クサティ) にして、城間家、當山家、玉城家と並列に屋敷を構えていた。それらの旧家のあった殿付近から、次第に西側の親川一帯に分家筋が住居を構えるように集落が拡張していった。王府時代には、西原間切の地頭代は、掛福親雲上を名乗り、地頭代を勤めた家は掛福 (カキブク) の屋号で呼ばれた。王府時代、貢租の負担が厳しく、掛保久村はあまり発展しなかったといわれる。
掛保久集落は上の森から下る斜面に形成されている。
掛保久の人口は1879年 (明治13年) では217人、1903年 (明治36年) には279人まで増えたがそれ以降は1980年代までは人口は増えていない。それ以降、2000年頃に480人程まで増え、横ばい状態となったが、2010年からまた人口が増えている。2020年に20% (約100人) も増加しているので、新しく集合住宅がつくられたのか、区割り変更がされたのか? この年に隣村の内間では62人の人口減少があるので、区画が変更されたのではと思う。
西原町の他の地域との比較では、戦前から戦後にかけては人口が少ない地域だった。現在では、ランクは少し上がったが、やはり人口は少ないグループに属している。人口の伸び率も西原町平均の伸び率の半分程になっている。
- 御嶽: なし
- 殿: 袖花之殿 (ソデバナヌトゥン、殿、ビジル)
- 拝所: 掛保久火神 (火ヌ神)
掛保久集落訪問ログ
掛保久公民館 (2020年6月2日 訪問)
殿 (トゥン、袖花殿 ソデバナートゥン)
火ヌ神
當山家御神屋
拝井泉 (2022年9月20日 訪問)
井戸跡
後間毛 (クシマモー) の拝所 (2020年6月2日、2022年8月27日 再訪)
親川 (ウェーガー) (2020年5月24日 訪問)
チンガーバル (2022年9月20日 訪問)
掛保久集落の北東の上ヌ森付近に、チンガーバルとよばれる墓地地帯がある。戦後、そこは一世帯あたり八坪ほどの墓地を割り当て、登記し、個人所有になった。 現在そこには字民らの墓、50~60基が建っている。
西原町 崎原屋取集落 (さきはら、サチバル)
上之御井(イーヌカー)、新田之御井 (2022年9月20日 訪問)
崎原は屋取集落だったので、他の百姓平民村落のようには御嶽や殿、火ヌ神などの聖地はなかった。丘陵斜面の上部に上之御井(イーヌカー) が拝所となっている。
この場所は崎原屋取集落の約260年前にこの地に移り住んで村立てを行った新田家の元屋敷跡にあたり、井戸は、布積みの井壁をもつ円形の掘り抜き方式で、中を覗くと現在でも水が溜まっている。この井戸は崎原集落の産井 (ウブガー) として崇められており、崎原唯一の祭祀行事だった毎年旧暦2月2の腰憩い (クスッキー) には、崎原出身者が多数が集まり祭祀が行われている。上之御井の隣にも井戸がある。新田家と婚姻関係を結んだ崎原家がこの新田家の屋敷を買い取り、ここの住居を構えた。新田家はこの場所から少し西に新しく屋敷を移した。その新屋敷内に造ったといわれるのがこの新田之御井だった。昭和55年から59年にかけて行われた崎原地区の農地整備の際に、この上之御井の隣に移転され、形式保存されている。中を覗いても、やはり砂利だけだった。
今日 (2002年9月2日) はお昼過ぎまでは快晴だったのだが、突如、空に黒い雲が広がり大雨となった。台風11号の影響だろう。風が強く雲がかなりの勢いで移動している。あの黒い雲が過ぎ去るまで、雨宿りで休憩をする。1時間ほどで、雨があがった。集落訪問を再開するが、時々雨が降ってくる。台風が近づいているので、今日は少し早めに切り上げることとした。明日からは本格的に強風、豪雨となる予定で4∼5日は雨で集落巡りはできないだろう。
参考資料
- 西原町史 第1巻 通史 1 (2011 西原町教育委員会)
- 西原町史 第1巻 通史 2 (2011 西原町教育委員会)
- 西原町史 第2巻 西原の文献資料 資料編 1 (1984 西原町史編纂委員会 )
- 西原町史 第4巻 西原の民俗 (1990 西原町役場)
- 西原町史 第5巻 西原の考古 (1966 西原町役場)
- 西原町 歴史文化基本構想
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