Okinawa 沖縄 #2 Day 185 (22/05/22) 旧宜野湾間切 (5) Oyama Hamlet 大山集落
旧宜野湾間切 大山集落 (おおやま、ウヤマ)
- 大山井泉小 (カーグヮー)
- 前村渠樋川 (メンダカリヒーガー)
- フルティンジャー跡
- カンジャーガー (消滅?)
- 水賀志井泉(ミジカシガー)
- 真境名川 (マジキナガー)
- イジュンガー
- アラナキガー
- 大山小学校、大山の綱引き
- ヤマチジャガー
- 大石之花井泉 (ウーシヌハナガー)
- 大山クンジャンアブシ古道
- うすの花御嶽
- ヒャーカーガー
- ナイシガー
- 沖縄県営軽便鉄道大山駅跡
- 大山洞穴
- 大山平松
- 交通安全の塔
- パイプライン通り
- 青小掘 (オーグムヤー)
- 米国人向け住宅跡
- 上江家の墓
- 友交園 (Friendship Park)
- 普天間飛行場基地大山ゲート
- 醴泉 (れいせん) の塔
- 大山マヤーガマ洞穴遺跡
- 大山御嶽 (未訪問)
- 上具志川之御嶽 (イーグシカーヌウタキ)
- 前本部之殿 (メームトゥブヌトゥン、ヒヌカン)
- 旧宜野湾道 (ジノーンミチ)
- (新)宜野湾道 (ジノーンミチ)
- 伊波の殿 (イファヌトゥン、東上之山)
- 前門原遺跡
- 安仁屋家敷跡
- トリムミチ
- メーフヌトゥン跡、大掟屋之殿跡
- カンザキ毛跡
- 大山貝塚
- 美底御嶽 (ミスクウタキ)
- 大山配水池
- 大山水田の水門
- 大山公民館
- タクグワークェー (兼久毛 カニクモー)
- 宜野湾漁港
- Jimmy’s 本店
- ファニチャー通り
旧宜野湾間切 大山集落 (おおやま、ウヤマ)
外人相手の商売をしていた名残だろう。大山東側は軍用地であるため米人向け貸し住宅がかなりあり、今でもその住宅が残っている。
大山地区の人口は本土復帰以降増加しており、その傾向は今でも続いている。沖縄戦後、1950年に旧集落への帰還許可が下りた後、人口が減少しているのだが、この理由についてはわからなかった。人口の統計がどのようにされたのかは分からないが、この人口が減少している時期は、大山に強制的に住まわされていた宇地泊、真志喜住民が帰還許可で、元の集落に戻っていったことがあるのかもしれない。その後、1960年代にかけて、人口は急増している。
大山は宜野湾間切では比較的人口の多い地域だった。戦後の1946年には最も人口の多い地域になっている。他の地域に比べて、早い時期に大山に戻れたことや、宇地泊、真志喜の住民も大山に住んでいたことももあるのかもしれない。その後、人口は他の地域に比べて増加率は低く、人口ランクは落ちている。集落巡りで出会ったおじいによると、宇地泊、真志喜に住民はほとんど帰っており、残った人はほとんどいないと言っていた。また、人口は真志喜と同じぐらいですねというと、おじいの頭では、真志喜よりははるかに多いと思っていた、確かにおじいの若いことはそうだったのだが、実際は真志喜の方が人口は多くなっている。
集落内の民家の推移を見ると、その経緯がよくわかる。琉球王統時代、明治時代から戦前までは、民家があった場所はほとんど変わっていない。戦後は帰還がかなわず、地域の東側に居住地区があてがわれている。この地域はその後発展していくことになる。本土復帰後、海岸線は大規模に埋め立てが行われ、住宅街、工業地区となっている。
琉球国由来記に、大山には御嶽の記載はなく、殿として謝名具志川里主所之殿、殿四が記載されている。
- 御嶽: 美底御嶽 (ミスクウタキ、神名:不詳)、上具志川之御嶽 (イーグシカーヌウタキ)
- 殿: 謝名具志川里主所之殿、殿四 (中間大比屋、新里大比屋、上具志川大比屋、大山大 比屋)、伊波の殿 (イファヌトゥン、東上之山)
- 門中管理拝所: 伊波の御願小 (大山御嶽)、前本部の殿 (殿小)、メーフの殿、大掟屋の殿
- その他拝所: カンサギ毛、兼久毛 (カニクモー、タクグヮークェーモー)
- 七ヌ井泉 (ナナカー): 井泉小 (カーグヮー)、前村渠樋川 (メンダカリヒーガー、ヒーガ-)、キンガー小、後村渠樋川 クシンダカリヒーガー、クシヌカー)、真境名井 (マジキナガー)、イジュンガー、アラナキガー
資料に記載されていた上の文化財の中には、場所も、その写真も、今でも存在しているのかもわからず、見学できなかったものが多かった。
大山集落での主な年中行事は、3月3-4日はサングッチャーで、女たちは適当な家を借り、前組と後組に分かれ、一晩中踊り明した。 4月1日は、タクグッークェーで、 宇地泊漁夫がその日穫れた海の幸を兼久毛 (カニクモー) に供え、部落民は歌三味線の宴を開き、若者たちは、棒踊 角力をして楽しんだ。 6月には綱引きがある。大山は元々は謝名の一部だったので、この地域の祭祀は謝名ノロによって執り行われていた。
公民館には大山集落の文化財ガイドマップがあった。ここには集落巡りのほぼ最後に訪れたので、資料とこのガイドマップを比較したが、このが度マップの全部巡り終わっていた。
大山集落訪問ログ
大山井泉小 (カーグヮー)
前村渠樋川 (メンダカリヒーガー)
フルティンジャー跡
カンジャーガー (消滅?)
水賀志井泉(ミジカシガー)
真境名川 (マジキナガー)
イジュンガー
アラナキガー
大山小学校、大山の綱引き
雄綱は前組の担当で村屋の前、雌綱は後組が平松の下で準備していたが、現在は、二組とも公民館前で行っている。 綱引き当日は、部落役員が、上具志川の御嶽、綱の神前、本部の殿、伊波の殿、美底山、普天満宮を巡拝する。 綱の準備ができると、夕食の後、各自、所属する組の綱を引き、雄綱の前村渠地区、雌綱の後村渠地区の旗頭を先頭にそれぞれの「道ジュネー」という行列が街を練り歩き綱引き会場に向かう。そして、ガーエーなどをおこなった後、いよいよアギエーと綱引きの勝負となる。綱引きの前には、隣の真志喜と大山の名物のアギエー勝負が行われる。これは綱の先端を六尺棒で高く持ち上げてぶつけ合い、相手を倒すという独特の勝負。アギエー勝負の後に綱引きが行われる。勝負が終わると、カナキを切り取り、前組は前村浜に、後組は後村渠浜にそれを流した。現在、勝負は 昼間行いカナキを流すこともない。
ヤマチジャガー
大石之花井泉 (ウーシヌハナガー)
大山クンジャンアブシ古道
うすの花御嶽
ヒャーカーガー
ナイシガー
沖縄県営軽便鉄道大山駅跡
大山洞穴
大山平松
交通安全の塔
パイプライン通り
青小掘 (オーグムヤー)
米国人向け住宅跡
平屋の企画住宅で、同じ形の家屋が幾つも残っている。現在は一般向けの賃貸物件 (人気があるのか、比較的高い賃料) や、ゲストハウス、カフェなどになっている。
上江家の墓友交園 (Friendship Park)
友交園 (Friendship Park)
普天間飛行場基地大山ゲート
醴泉 (れいせん) の塔
大山マヤーガマ洞穴遺跡
- 昔、ここマヤ―ガマに住む魔物 (マジムン) が猫に化けて、大山村の子供たちを行方知れずにしたそうです。それを見かねた村の力持ちが、化け猫をこらしめ、逃げ込んだ洞穴の中の甕を棕櫚の皮で作った左巻きの縄でくくりつけました。それ以来、マヤ―ガマの化け猫は、二度と村にあらわれませんでした。
大山御嶽 (未訪問)
上具志川之御嶽 (イーグシカーヌウタキ)
前本部之殿 (メームトゥブヌトゥン、ヒヌカン)
旧宜野湾道 (ジノーンミチ)
(新)宜野湾道 (ジノーンミチ)
旧ジノーンミチは、その北側にある (新)ジノーンミチになる。この道は美底山 (ミスク山) に伸びている。道の向こう丘陵の上には、この後訪れる大山配水池の水タンクが見えている。
伊波の殿 (イファヌトゥン、東上之山)
前門原遺跡
この辺りが集落発祥の地といわれており、拝所、御嶽、旧家などが集まっている。 この発掘している場所には大掟屋門中の屋敷があった。
安仁屋家敷跡
トリムミチ
もう一つの大掟屋家の元屋敷も同遺跡内にあったと言い伝えられており、この旧集落に移ってきた。トリムミチと呼ばれる通りにあると古い集落地図に載っていたので探す。
メーフヌトゥン跡、大掟屋之殿跡
カンザキ毛 (モー) 跡
トリムミチ沿いには、もう一つ、大山集落の重要な拝所がある。カンザキ毛 (モー)
大山貝塚
美底御嶽 (ミスクウタキ)
大山配水池
海岸側
大山水田の水門
大山公民館
タクグワークェー (兼久毛 カニクモー)
宜野湾漁港
ぎのわん海浜公園の東に宜野湾漁港がある。そでいか漁業、まぐろ漁業、一本釣り漁業、海ぶどう養殖漁業、活魚養殖漁業がおこなわれている。埠頭には魚の直売店のハッピーモア市場 トロピカル店やダイビング講習を行っているまりりんぎのわんも併設されている。
Jimmy’s 本店
店内には多くの輸入食料が置かれており、沖縄の中のアメリカという感じだ。この大山店がJimmy‘sの1号店で、本社も大山にある。ここがJimmy‘s の始まりの場所。アメリカ独特の甘いジャーマンケーキ、アップルパイ、チーズケーキが人気で、戦後のアメリカテイストが残っている。
ファニチャー通り
今日は集落までの行き帰りには、かつてはFourplayのピアニストだった Bob James の昨年リリースした最新アルバム ” Feel Like Making Live!” と2020年の "On Vacation" を聴いてみた。Fourplay での演奏よりも、随分と落ち着いた曲が多い印象だった。
参考文献
- 宜野湾市史 第5巻 資料編4 民俗 (1985 宜野湾市史編集委員会)
- 宜野湾市史 第8巻 資料編7 戦後資料編 (2008 宜野湾市史編集委員会)
- 宜野湾市史 別冊 写真集「ぎのわん」 (1991 宜野湾市教育委員会)
- ぎのわん市の戦跡 (1998 宜野湾市教育委員会文化課)
- 宜野湾 戦後のはじまり (2009 沖縄県宜野湾市教育委員会文化課)
- 沖縄風土記全集 第5巻 宜野湾市・浦添村編 (1968 沖縄風土記社)
- 市内埋蔵文化財発掘調査報告書 4 (2019 沖縄県宜野湾市教育委員会)
- 宜野湾市文化財調査報告書 第49集 大山前門原第一遺跡 (2012 宜野湾市教育委員会)
- はくぶつかんネット第7号 (2002 宜野湾市立博物館)
- はくぶつかんネット第21号 (2005 宜野湾市立博物館)
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