Ride in Setouchi & San-in Day 66 (20/5/19) Kurashiki Biken Zone 倉敷美観地区

Kurashiki Biken Zone 倉敷美観地区
Kanryu Ji Temple 観龍寺
Achi Shrine 阿智神社
今日は一日中雨の予報だがまだ雨は降り始めていない。雨が降り始めるまで、倉敷の美観地区を見ることにする。数年前にも自転車で瀬戸内海を旅した時にここに来たので2回目の訪問となる。

Kurashiki Biken Zone 倉敷美観地区

これ程古い建物が集中して残っている地区はここぐらいだろう。中山道の馬籠宿や妻籠宿も古い建物が集まっているが、ここの方が広範囲になっている。資料館の館員さんと話した。新たに古い建物に似せて造った物は少なく、残っていた建物を修理している。倉敷は空襲がなかった。米軍のターゲットリストに載ってはいたが、その前に終戦となった。一説ではここにある大原美術館には世界的な名画が数多くあり、裏では空襲をしない様な交渉があったのではとも言われている。数キロ先の瀬戸内沿岸の水島や岡山市は空襲でことごとく破壊されたのに、倉敷が無傷だったのは奇跡かもしれない。

子ずれの白鳥
この倉敷市は岡山では2番目に人口が多い市だ。歴史的には岡山市は備前国の中心で倉敷市は備中国になるのだが、備中国の中心は総社市で倉敷は天領で江戸幕府の直轄地だった。天領となった経緯は確かな事は不明だが、ここは港町で米の積み出し港として重要であったとか、ここには多くの荒くれ者がおり、幕府でしか管理できなかったとか..... 現在は町村合併でかなり大きな市になっている。それにしてみ総社市がかなり小さいのは寂しい限りだ。美作国の中心であった津山市にもかなわない。(平成29年の人口)
古い町並みだけでなく、ホテル、レストラン、美術館なども集中しており、観光客は一日中楽しめる観光地となっている。大原美術館とセットになるとここに泊まりとなるのが、観光地としては成功している理由だろう。

Kanryu Ji Temple 観龍寺

倉敷本町・東町(現在の倉敷美観地区東部)は門前町として発展、さらに港町としても栄えており、多くの商家が建ち並んだ。そのため多くの裕福な商家が増えた為か墓地には立派な墓が立ち並んでいた。

Achi Shrine 阿智神社

この地域は天領として栄えており、裕福な氏子が増え、旧倉敷村の総鎮守として、倉敷市内でも有数の大社に発展。現在も多くの氏子を抱え、倉敷美観地区とともにたくさんの観光客・参拝客が訪れる。
時々小雨が降り始めた。これぐらいなら備中高松城に行けるかもしれないと思い準備をして出発しようという時に雨が少し強くなり始めた。急ぎの旅でも無いので、高松城は明日にして午後はどこかでゆっくりする事にする。


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