Ride in Kyushu Day 4 (19/12/18) Part 2 Fukuoka Castle 2

continued from Part 1
Fukuoka Castle 福岡城 (continued)
Hana Fort 波奈砲台
東御門
武家屋敷屋敷になっていた三の丸、平和台球場跡地から二の丸への入り口。

扇坂

他の門と同様にもう一つ門がある。これは中世の城には多く見られ、防御力の強化のため。この様な二重の門を枡形門と言っている。(出来た空間が枡の形をしている。)
いよいよ本丸に入る。松ノ木坂御門と東御門のどちらから入っても本丸へは表御門をといる事になる。
表御門
写真の上は二の丸から、下は本丸から見たもの。
本丸には天守台があるが、江戸幕府に遠慮して天守閣を造らなかったと定説出会ったが、その後発見された資料では取り壊した説もある。地元の人たちは取り壊し説を信じたいだろうに。CGではこの様な復元をしている
祈念櫓
本丸の隅にある祈念櫓は鬼門封じの為と言われている。一度払い下げられたものを再移設したのだが、大正時代の写真とはかなり異なっている。写真をもとにしてCGは作られている。
CGによる本丸の再現
鉄御門
やっと天守台迄たどり着いた。天守台への入り口は狭い鉄御門(くおがねごもん)のみ。この門をくぐって天守閣に入れるのは一部の家臣に限られていたので、この狭さは問題にはならないだろうし、敵がここまで攻めてきた場合に侵入を防ぐか、脱出のために時間を稼ぐ為もあったのかもしれない。
切腹櫓/埋門
鉄御門を通ると空間に出る。切腹櫓で鉄板や木材で上下左右とも厳重に仕切られていまた。(名前の由来は、敵がここまで攻めてきたら藩主が切腹することを想定していた。) 奥には切り通しに様に、天守閣への石垣を切りとった様な門がある。埋門(うずみもん)という。常時は土壁で遮られていた。鉄御門で敵をくい止めて、脱出するためだろうか。
天守台
天守閣があったのか?それとも、無かったのか? 無かったというのが定説になっていたが、発見された書簡で黒田官兵衛が天守閣を破却予定と言及している事から、天守閣があったという説が出て来ている。確かに天守台には礎石が残っており、少なくとも建設の意志はあった事は確かだろう。
天守閣があったと仮定して、そこからの眺望がCGで提供されている。
大濠公園
現在は大濠公園になっているが、黒田長政が福岡城を建築する時、博多湾の入江であったこの地を外濠として利用した福岡城の西の堀として利用。園内には周遊道、野鳥の森、児童遊園、能楽堂、日本庭園、中の島、浮見堂、ボートハウス等があり、平日にもかかわらず、多くの人が散歩やジョギングをしている。
波奈砲台 Hana Fort
幕末のペリー来航で外国船に対する防衛が急務となり、福岡藩でも砲台建設がすすめられた。この波奈砲台もその一つ。元々は住民に時を知らせる牛砲の役割であった。説明板によると、時間の観念が薄い福岡藩民に時間を守る習慣をつけさせる為に藩が発足して間も無く牛砲台として始まった。現在の福岡県民はこの時間の観念はどうなのか興味はある。ここは城外のものではあるが、城の一部の機能だった。幕末に砲台としての役割に変わった。
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