Okinawa 沖縄 #2 Day 219 (06/11/22) 那覇 泊区 (02) Maejima Area 前島地区
那覇 泊区 前島 (まえじま)
- 前島町民会館
- 前島御願所 (前島塩神、ぐぼうの御嶽)、公園小ヌ井(コウエングァーヌカー)
- 前島焚字炉、泊塩田之跡碑 (前島中公園)
- 泊港、泊港橋
- 泊緑地、バジル・ホール来琉200周年記念碑
- 泊高橋
- 潮渡橋海中道路 (兼久大通り 国道58号線)
- 中橋
- 新道小 (ミーミチグヮー) 跡
- 兼久クラブ跡
- 若松国映館跡
- 前島二丁目拝所 (前島北公園)
那覇 泊区 前島 (まえじま)
前島は1913年 (大正2年) に泊前島と名称変更されたが、同年に前島一丁目と二丁目に再度変更されている。1921年 (大正10年) には那覇区と泊村が合併され、「那覇市」が誕生し、町名が祟元寺町、高橋町、前島町に変更されている。かつては宗元寺と高橋町は内島、前島町は仲伊保 (ナケーフ) と呼ばれていた。戦後は三町とも商業地域として急速な発展している。1933年 (昭和8年)、兼久と前島2丁目をつなぐ新道ができる。これによって現在の前島3丁目と前島1丁目/2丁目が終日濡れずに行き来できるようになった。この一帯には前島潟原、兼久潟原、那覇潟原の塩田があり長い間製塩業が行なわれていた。昭和の初期迄は、奥武山の競技場ができる迄は全琉の陸上競技大会、野球大会、三大節における競馬や、サーカス、自動車練習場としてこの塩田が活用されていた。1907年に塩が専売制になり、製塩高が年々減少していき、1944年についに製塩業が終了した。
前島での戦前の祭祀
前島集落訪問ログ
前島町民会館
前島御願所 (前島塩神、ぐぼうの御嶽)、公園小ヌ井(コウエングァーヌカー)
前島焚字炉、泊塩田之跡碑 (前島中公園)
泊港、泊港橋
泊緑地、バジル・ホール来琉200周年記念碑
潮渡橋
海中道路 (兼久大通り 国道58号線)
中橋
新道小 (ミーミチグヮー) 跡
兼久クラブ跡
若松国映館跡
前島二丁目拝所 (前島北公園)
国道58号線の西側、海側は前島三丁目になり、その中にある前島北公園の一角に拝所が置かれていた。前島二丁目拝所と書かれている。二丁目の住民が作った拝所になるのだろうか? ここは前島三丁目で、琉球王統時代には兼久と呼ばれていた地域だ。当時は前島からは海によって隔てられていた場所だった。戦前の地図を確認すると、ここは前島二丁目となっていた。まだ三丁目は存在していない。戦後、前島潟原が埋められて前島二丁目となり、旧前島二丁目が三丁目と変わったのだ。つまりこの拝所は旧兼久の人々の拝所という事になる。これでスッキリした。この公園がある所は兼久潟原と呼ばれた塩田で、兼久に移り住んだ人達が製塩業を営んでいた。祠の中には三つの石が置かれている。火ヌ神を祀っている。その横には井戸、更に隣のガジュマルの根元には香炉が置かれている。
参考資料
- 那覇市史 資料篇 第2巻中の7 那覇の民俗 (1979 那覇市企画部市史編集室)
- 沖縄風土記全集 那覇の今昔 (1969 沖縄風土記刊行会)
- 泊誌 (1974 とまり会)
- 青い目が見た「大琉球」(1987 ラブ オーシュリ)
- 泊前島町誌 (1991 真喜志駿)
- 泊前島今昔物語 (2007 島袋文雄)
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