Okinawa 沖縄 #2 Day 181 (13/05/22) 旧真和志村 (14) Yogi Hamlet 与儀集落
旧真和志村 与儀集落 (よぎ、ユージ)
- 東ヌ御嶽(アガリノウタキ)
- 東ヌ井泉 (アガリヌカー)
- 与儀ヌ村井戸 (ユージヌムラガー)
- 与儀ヌ大川 (ユージヌウブガー)
- タンク跡の拝所
- 与儀公民館
- ヨリノ御嶽(ヨリノウタキ)
- 根屋ヌ御殿
- 根家ヌ井 (ニーヤヌカー)
- 合祀拝所
- 竹葺 (ダキブチ) ヌ神屋
- 骨神ヌ御嶽
- 唐・今帰仁・先樋川ヌ通し拝所
- ウラン毛下の井戸(ウランモーシチャヌカー)
- 地頭火ヌ神
- 与儀橋
- 那覇日本政府南方連絡事務所跡
- わら墓
- トックリキワタ通り
旧真和志村 与儀集落 (よぎ、ユージ)
樋川は1928年 (昭和3年)、寄宮は1946年 (昭和21年)、壺屋は1979年 (昭和54年) に与儀から独立行政区となっている。
与儀の人口は戦前に比べると10倍以上に増えているのだが、与儀地区土地区画整理事業が実行されたが、その効果は与儀では見られない。近年は人口が徐々に減少している。これは旧真和志村全体についても共通の傾向だ。
元々の集落の地域は戦前までそれ程は拡張していない。戦後は、集落は米軍の接収対象外であったことで、以前の集落に人が戻っている。与儀の南側には小波蔵にまたがってタンクファームが見られる。このタンクファームが返還された1972年までは、その北側に民家が見終始、返還後、跡地は儀地区土地区画整理事業にて住宅地へ開発されている。現在は地期のほぼ全土に民家が密集している。
与儀の自治会 (八三会) で行われている祭祀は以下の通りで、かつて行われていた祭祀の主要な行事が続けられていることが判る。
かつてこの与儀村、国場村、小波蔵村の祭祀は楚辺ノロによって執り行われていた。
与儀集落訪問ログ
東ヌ御嶽(アガリノウタキ)
東ヌ井泉 (アガリヌカー)
与儀ヌ村井戸 (ユージヌムラガー)
与儀ヌ大川 (ユージヌウブガー)
タンク跡の拝所
与儀集落の南側に拝所があった。タンク跡の拝所と書かれていた。この辺りから、古波蔵の熊本鎮台分営所跡あたりまでには、戦後、1952年に造られた米軍の燃料基地があり、与儀タンクファームと呼ばれ、那覇港から燃料を汲み上げてここで貯蔵し、パイプラインで嘉手納基地に供給していた。与儀タンク地が、永年の撤去運動の結果、1972年に沖縄返還の前日に開放され、1973年~1997年にかけて返還跡地に与儀地区土地区画整理事業が行われて住宅地として開発された。
この区画整理の時に道路となり、拝所がここに移された。その後、地域が開発され、2020年に沖銀与儀支店の移転に伴い、駐車場の中央近くにあった拝所を、更に綺麗にして移築している。
与儀公民館
ヨリノ御嶽(ヨリノウタキ)
根屋ヌ御殿
根家ヌ井 (ニーヤヌカー)
合祀拝所
竹葺 (ダキブチ) ヌ神屋
骨神ヌ御嶽
唐・今帰仁・先樋川ヌ通し拝所
ウラン毛下の井戸(ウランモーシチャヌカー)
地頭火ヌ神
ウラン毛下の井戸の近くに、火ヌ神を祀った拝所がある。嘉手納から赴任した地頭が住んでいた所と伝わる。
与儀土帝君堂
与儀橋
那覇日本政府南方連絡事務所跡
わら墓
トックリキワタ通り
このトックリキワタの花を見たくて11月27日に再訪した。トックリキワタまつりは先週に終ってしまったのだが、通りには花を咲かせたトックリキワタが並んでいる。花が散ってしまったものもあって満開時は既に過ぎてしまったようだ。
参考文献
- 真和志市誌 (1956 真和志市役所)
- 那覇市史 資料篇 第2巻中の7 那覇の民俗 (1979 那覇市企画部市史編集室)
- 沖縄風土記全集 那覇の今昔 (1969 沖縄風土記刊行会)
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