Okinawa 沖縄 #2 Day 153 (10/12/21) 旧知念村 (2) Umino Hamlet 海野集落

旧知念村 海野集落 (うみの、野津加佐 ヌックヮサ)

  • 竜宮ヌ神
  • 以前の防波堤
  • 海野漁港
  • 海野公民館
  • 村井泉 (ムラガー)
  • 御神 (ウカミ)
  • 獅子小 (シーサーグヮー)
  • 東ヌ神 (アガリヌカミ)
  • ウードーの神
  • 邦守之塔
  • ウフバシ井泉 (ガー)


久原集落に続いて、隣村の海野集落を巡る。



旧知念村 海野集落 (うみの、野津加佐 ヌックヮサ)

海野は昔はヌックワサ (野津加佐)と呼ばれ、知名の屋取 (ヤードゥイ) 集落だった。 知名集落のヌヌクサー (原野の後側) がヌックヮサに訛って、そう呼ばれていた。 また別の言い伝えでは、 北風が海野辺りで弱くなり知名崎より 「ヌクサン (暖かい)」ので「ヌックヮサ」 と呼ばれたともいわれている。

海野集落は、先に訪れた久原集落と共に1920年 (大正9年) に字知名から独立して知名二区となったが、 1937年には久原集落が知名二区から独立し知名三区となった。知名二区は生計が半農半漁だったため、1947年 (昭和22年) に名前を海野と改称されている。

野津加佐 (ヌックワサ) は戦前から漁業が盛んな集落で、集落は海野漁港付近に集中している。現在の字海野地域内では、畑はなく平野のほとんどが民家で占められている。農業は、隣の知名、久原で営んでいるようだ。久原古島で出会った男性も海野住民だが、畑は久原で行っていた。

集落は明治時代の1879年の廃藩置県で、職を失った首里・那覇の旧士族がこの地に移住し、海野海岸近くに集落を造ったことに始まる。国道331号線沿いに東西に集落は広がっており、現在では平野部分はほとんど民家となっている。これ以外は丘陵地となり、これ以上民家地域が拡張する地形ではない。

海野集落の人口は現在では387人と旧知念村では真ん中ぐらいの大きさだが、知念地区自体が南城市では小さいので、南城市全体で見ると、人口は少ない地域のグループになる。

民家を新しく建てる土地が限られていることもあるのだろうが、人口は徐々に減少している。1965年では600人近くあった人口は、現在では387人と35%モ減少している。この現象ン傾向はここ何年の続いており、更に減っていく傾向にある。世帯数もわずかながら減少傾向にある。他の地域では人口は減少傾向でも世帯数は増加しているところが多いので、この海野の過疎化はますます深刻になるだろう。

現在行われている御願行事は下記の通り。屋取集落ということもあって御嶽や殿は存在しない。

公民館の前に海野集落の案内板が置かれている。


海野集落訪問ログ


竜宮ヌ神

久原から防波堤沿いの遊歩道を東に進むと海野漁港に出る。この漁港の西端入り口付近に、竜宮の神が祀られいる。漁港を守り、豊漁や航海安全を御願する拝所になっている。祠はコンクリート造りで、漁港に向けて建てられている 祠の中に「龍宮神」と刻んだ石板が置かれている。この竜宮ヌ神の祠は時期は不明だが、戦後に設けられたそうだ。現在は、海野集落で、1月3日の初御願、5月4日のユッカヌヒー(ハーリーの御願)、 ユッカヌヒー後の日曜日のハーリー、12月24日の御願解きで、酒、線香、花米を供えて、航海安全・豊漁祈願健康と繁栄を祈願している。


以前の防波堤

竜宮ヌ神の前は海野漁港だが、集落側には長い石垣が集落を囲んでいる。おそらくこの石垣はかつての防波堤と思う。砂浜に通じる口が幾つか設けられている。明治時代の地図を見ると、現在の立派な海野漁港は見当たらず、ここが海岸線になっている。


海野漁港

竜宮ヌ神の前は海野漁港になっている。多分この様な、漁港になったのが戦後で、漁港は海野地区から隣村の知名地域にも伸びており、両地域の漁師の拠点となっている。漁港は既に軽石は除去されて、何艘かの漁船が沖に出航しているのが見えた。

この海野漁港では、この地域のメインの祭りであるハーリーが毎年行われている。1904年 (明治37年) に始まり、現在まで100回以上隣続いている。南城市内で現在のハーリーが行われているのは、奥武島馬天 (津波古) とここ海野の三ヶ所。旧歴の五月四日 (ユッカヌヒー) にハーリーが行われていたが、現在ではユッカヌヒーの後の日曜日にハーリーが行われ、ユッカヌヒーの日は御願の未おこ名われている。海野ハーリーでは毎年二十数チームが参加して競漕がくりひろげられるが、開始前には道ズネー (行列) 、御願バーリーが行われている。


海野公民館

海野公民館は国道331号線の丘陵側、その麓にある。331号線の南側は道路近くに丘陵斜面が迫っており、この国道南側には民家は少ない。公民館はその中にある。この公民館は2012年にかつての村屋から移って来て新設されたのだが、昔の村屋は海野漁港の近く、国道331号線沿いにあり、そこにはこの新公民館の場所に移設されている獅子小の拝所もあった。公民館の隣は広場になっている。この地はかつてのサーターヤーだったと思われる。


村井泉 (ムラガー)

公民館の前には村井泉 (ムラガー) 跡が拝所になっている。イーベー井泉 (ガ-) とも呼ばれている。  この井泉の北側にサーターヤー (製糖場) があったそうだ。この井戸の水は海水混じりの湧水だったそうで、若水だったそうだ。飲料水には適しておらず、もっぱら生活用水に使用されていたのだろう。祭神は男神といわれ、正月、 1月3日のウチャナク、 ハーリー、フトチ御願 (12月24日) に、酒、線香、花米を供え、健康と村や家庭の繁栄を祈願している。

村井泉 (ムラガー) の向こう側にある広場には幾つかの拝所が置かれている。


御神 (ウカミ)

広場には、コンクリート造りの小さな平屋の御神 (ウカミ) の拝屋がある。 ここに公民館が移ってきたのに伴って、この御神 (ウカミ) も移設されている。元々は「外間按司様」という、海野集落の草分けの人物の屋敷跡にあり、村の守護神だった。拝屋の中には神棚があり、いくつもの香炉が基置かれているが、これらの香炉がどのような神を祀っているかは不明だそうだ。 現在は1月3日の初御、5月4日のユッカヌヒー、ユッカヌヒー後の日曜日のハーリー、7月16日のヌーバレー、12月24日の御願解きで、酒、線香、花米を供えて御願が行われている。

獅子小 (シーサーグヮー)

御神 (ウカミ) に向かって右には獅子小 (シーサーグヮー) の拝所がある。 祠の中には陶器製のシーサーが置かれている。ここも、海野の守り神とされている。 獅子小は山手にある隣村の久原の墓に向いてい る。かつては、国道331号沿いにあったのをここに移設している。正月、1月3日のウチャナク、 ハーリー、ヌーバレー、フトチ御願 (12月24日) で、酒、線香、花米を供えて拝まれている。

獅子小 (シーサーグヮー) は、ここに同じく移設されている東ヌ神 (アガリヌカミ)、ウードーの神と合わせ、三つの拝所を示しているようだ。かつての村屋に置かれていた三つの拝所と御神の写真が残っている。(シーサー [左上]、東ヌ神 [右上]、ウードーの神 [左下]、御神 [右下])


東ヌ神 (アガリヌカミ)

獅子小 (シーサーグヮー) の隣には東の神 (アガリヌカミ) が祀られて、ウサチューとも呼ばれている。 かつて、旧公民館側の敷地に、獅子小, ウードーヌ神とともにあったものを、ここに移設している。東ヌ神は東世 (アガリユー) の神で、高島を造ったアマミキ神、アマミキョ神が住みついたミントン グスク、 久高島に五穀の種子をもたらしたニライカナイ神、ニライカナイ神が降臨する斎場御嶽、アマミキョ神が降りた知念杜グスク、久高から出てくるティダ神などを表している。この東ヌ神に家庭繁盛を祈願している。字知名の集落への遥拝所ともいわれているのだが、なぜ知名を遙拝するのか、知名に御願対象の何があるのかは書かれていなかった。

ウードーの神

御神 (ウカミ) の敷地の奥にウードーの神の拝所がある。知名の須久名森 (スクナムイ) にある天の神であるウードーへの遥拝所で、山の恵みに感謝し、健康と幸せを山の神に祈願している。この拝所も新公民館建設時に移設されている。

邦守之塔

公民館の裏には、沖縄戦で犠牲になった村民を弔った邦守之塔がある。かつては裏山の中にあったもの (写真右下) を、新しく作り直し、ここに移設されている。元の邦守之塔は昭和28年に造られ、犠牲となった35柱が祀られていた。毎年ハーリーが行われる前、5月16日には慰霊祭が行われている。沖縄戦後、本島北部の避難民収容所にいた村民は1945年末に帰還したが、集落の家屋敷は更地となっており、各家の位置が判別できず、 一戸あたり約80坪で土地を分け合い現在の碁盤目状の集落を造りなおしている。


ウフバシ井泉 (ガー)

国道331号沿いの排水路 (かつてのニシンジャガーラ) の上にウフバシ井泉 (ガー) があり、その跡地には祠が建てられている。シチャベー井泉 (ガー) とも呼ばれている。かつては飲料水として使われていた。現在では、正月、1月3日のウチャナク、 ハーリー、フトチ御願 (12月24日) に、酒、線香 花米を供え、健康と村や家庭の繁栄を祈願されている。

これで、久原、海野の二つの集落巡りは終了。


参考文献

  • 南城市史 総合版 (通史) (2010 南城市教育委員会)
  • 南城市の沖縄戦 資料編 (2020 南城市教育委員会)
  • 南城市の御嶽 (2018 南城市教育委員会)
  • 南城市見聞記 (2021 仲宗根幸男)
  • 知念村の御嶽と殿と御願行事 (2006 南城市知念文化協会)
  • 知念村文化財ガイドブック (1994 知念村史編集委員会)
  • 知念村史 第一巻 (1983 知念村史編集委員会)
  • 知念村史 第二巻 知念の文献資料 (1989 知念村史編集委員会)
  • 知念村史 第三巻 知念の文献資料 (1994 知念村史編集委員会)

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