Ride in Setouchi & San-in Day 125 (18/7/19) Arioka Castle Ruins 有岡城跡

Arioka Castle Ruins 有岡城跡
今日が今回の瀬戸内/山陰の旅の最終日となった。125日間の旅であったが、本当はまだまだ行きたいところがあり、旅を継続したいのだが、病院の三カ月毎の定期健診を一カ月延期しておりこれ以上は延期できないのと、住民税の支払いの請求書が区役所から届いているだろう。多分支払期限を超えているので、旅を続けると、延滞金の支払いが増していくのだろう。
昨日は、荒木村重の家臣であった高山右近と中川清秀の居城であった高槻城と茨城城を訪れた。その主君であった荒木村重の有岡城にはどうしても行ってみたい。天気予報は午後から雨でそれも1時間に24mmの降水量になるとなっている。そのほかの時間もかなりの雨量になるそうだ。午前中に有岡城に行って、午後はどこかのショッピングモールで深夜バスの時間まで雨宿りするしかなさそうだ。

Arioka Castle Ruins 有岡城跡

今回の旅にテーマの一つの黒田官兵衛所縁の地巡りの一つ。黒田官兵衛は荒木村重とは親密な関係であった。三木城攻めには二人とも参加していた。荒木村重は摂津から三木へのルートの防備を担当していた。この任務に対して不満を持っていたかもしれない。その頃は、荒木村重は石山本願寺との交渉を担当していたが、うまくいっていなかった。村重が急に三木城攻めに参加するように命じられたことを、交渉の失敗に対する懲罰的な意味合いがあると思い込んだのかもしれない。突如、村重は信長に反旗を翻す。確かに信長のやり方は、恐怖心で部下を従わせる専制的なリーダーシップのウェイトがどんどん増してきていた期間で、その重圧に押しつぶされそうな家臣は多くいたと思う。決して信長はサディストではなく、思った通りにしており、特に恨みがある訳ではない。彼にとってはごく自然な行動だ。これは常識人にとっては最も理解しがたい人種で、真意が読めない。これは現代の会社の中でも時々見受けられる事だが、この信長からの重圧で、現代では鬱と呼ばれるが、荒木村重もその鬱状態に近い症状であったのではないか。村重の一連の行動はそうではないかと思われるふしがある。優秀な戦国武将であったにしては少し変だ。交渉していた敵であった石山本願寺と組んだ。これで重圧から解放される。そして、
毛利とも組んだ。足利義昭とも。地図では信長を挟み撃ちにできる。勝ち目が決してなかった訳ではないだろうが、援軍を期待した毛利、本願寺、義昭の優先度を見誤ったと思う。村重は彼らにとって捨て駒でも良かった。その様な状況で、人は追い込まれると、都合よく考えたくなり、周りが見えなくなる。その結果、高山右近や中川清秀の最も信頼していた家臣からも裏切られることになった。これは更に、村重を追い込んだ。
信長は村重の離反が信じられなかったので、明智光秀を説得に向かわせた。これは信長にはまだ村重を使い続けたい意思があったと思う。信長も人を評価する目を持っていながら、画一的な恐怖政治を誰にでも行った。家臣の個性や性格は分析はするが、動機付けは苦手だったのだろう。人はそれぞれ感じ方が違い、耐えれる人間と耐えれない人間がいる。それは能力の高い低いとは関係ない。信長は能力の高い人間はプレッシャーに耐えれるはず、いや、耐えるべきと考えていたのではないか。その考えが唯一正しいと思っていたのだろう。これが信長が村重や光秀を追い込んだと思う。これは信長の欠点だ。本能寺の変がなかったとしても、誰かに暗殺されていてもおかしくない。信長を排除する事で楽になりたい人間が多くいたと思う。
光秀の娘は村重の嫡男の村次に嫁いでいた。その関係で光秀が説得に向かうが失敗。村次は明智光秀の娘を離縁した。この後、黒田官兵衛が説得に有岡城に行くが、説得は失敗し、監禁されてしまった。この監禁された土牢から見た藤が官兵衛に生き抜くことに勇気を与えたという。藤の何が刺激したのかはっきりとは分からないが、同じ劣悪な環境で蔓を伸ばし成長を続け、綺麗な花を咲かせる。究極の環境で生命を感じ、綺麗な花で感動を受けた。自分の生命の事、今後、咲かせなければならない花を考えたのではないかと思う。旅行中、植物や動物の自然という生命を感じる機会はどんどん増えてきた。増えてきたというよりは、感じることができる様になった。これは不思議だ。都会で必死に働いていては多分感じられなかっただろう。何となく官兵衛の気持ちが理解できる様に思える。
官兵衛所縁の藤が植えられている。ここが官兵衛が幽閉されていた土牢では無いだろうが、この近くだろう。牢屋から救い出された後、官兵衛はこの時を忘れないため、藤を黒田家の家紋とした。
ほぼ城を見終わる時に、小雨が降ってきた。予報より少し早い。どうするか迷った。ここで少し雨宿りをするか、今夜乗る予定のバス停近くまで行って雨宿りをするか。小降りのうちにバス停近くのショッピングモールまで行くことにした。ショッピングモールで休憩して、夕飯を済ませた。この間もどんどん雨足が強くなってきている。移動して正解だった。バス停までは距離は2-3キロだが、大雨の中の走行は辛い。雨足が衰えた時に早すぎても構わないのでバス停まで行って待機することにした。
出発1時間程前にこの近くに住んでいる友人 (先日草山の狂宴者の一人) から連絡があり、バス停まで来てくれ、出発まで付き合ってくれた。有難い。
狭いバス席なので、ちゃんとは寝れないだろう。7時間ほどの我慢だ。これで瀬戸内/山陰の旅の終わりだ。


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