Ride in Setouchi & San-in Day 126 (19/7/19) Return to Tokyo 東京へ

Return to Tokyo 東京へ
大阪梅田のバスターミナルで出発まで時間をすごしていると、大阪で働いている大学時代の同級生から電話があった。この近くに住んでいる。今日の仕事が終わり、時間あればということでの連絡だったが、中途半端な時間しか残っていないので、バスターミナルまで来てもらい話をした。東京出張から今日帰ってきて、顧客接待の後で疲れているだろうに、有難い。
バスは定刻11:00に出発朝7時前には東京八重洲に着く。高速道路でいくようだ。実際の走行時間は5時間半ぐらいだろう結構飛ばして走るのだ。4ヶ月前に東京から大阪に来た時にログを取っていたとルートとは違う。この時はもっと時間がかかっていた。出発時間によって高速道路のルートが違うのかもしれない。
これで今回の瀬戸内/山陰の旅は終了。どんどん旅の期間が延び、旅のスタイルも随分変わって来た。何より、色々とやりたい事が見つかったのは大きな収穫だ。
今回の旅のテーマは色々とあった。好きな歴史では毛利氏、山中鹿之助、黒田官兵衛、羽柴秀吉の中国攻め、三木合戦所縁の地を訪れた。一般の観光客が行かないような所も数多く回った。以前は史跡を見る事が目的であったのが、今回は史跡はその当時の様子や背景、そしてそれに関わった歴史上の人物の意図、思い、動機など何故そうしたのか、何故そうなったのかを推し量る事が主体となった。1ヶ所に滞在する期間も長くなった。その地の図書館に行きテーマに関して徹底的に調べる時間も取った。以前より深く、そして自分なりの解釈を持てるようになった。これが兎に角、面白い。紀行録を書く時間も増えた。以前は書くことは苦手だったが、今は全く苦にならない。書くことにより、まだまだ解っていない事や新しい疑問が出てくる。その時はもう一度訪問して、謎解きをやる。書くことが楽しくなって来た。

別のテーマは瀬戸内海と山陰地方との違いだ。山陰はほとんど行った事が無かった。瀬戸内は何度となく行ったのだが。この比較を通して、地方が抱えている課題やそれに対しての、行政、住民、企業の考え方や対応を見て比較した。想像していたより、複雑な問題があることに気づく。地域により大きな違いがあった。真剣に取り組んでいる所、諦めている所、無関心な所と様々だった。行政と企業の対応には大きな疑問を持った。大半は次の世代への布石が打てていない。と言うよりは、根本的な問題には蓋をして、形だけやっているふりをしている様な印象を持った。これに対して、今後役に立てるかもしれないと思った。色々なアイデアが湧いてくる。挑戦して見たい衝動に駆られる
もう一つは、やはり人との出会いだ。旅の中で多くの人と知り合った。その中には強い印象を与えてくれた人もいる。一期一会の出会いだが、この出会いが自分の財産の様な気がする。人との話も苦にならなくなり、自分から話しかける機会も多くなった。内気だった以前からは随分と変わった。これは地方の人たちが、都会の人に比べ、他人に関心を持っており、目が合うと自然な感じで話しかけてくれる。都会の人は他人を構う余裕がない。東京に来ると気が付くのだが、街では不機嫌そうな人が多い。けっして、幸せそうではない。物も溢れ、良い仕事もある都会だが幸せ度合いとは比例しない。やりようによっては、幸せになれるはずの地方が過疎化という問題でその幸せ度合いはを台無しにしている。守るべきは地方かもしれない。
この後、7月31日に沖縄に行く。そこに暫く滞在して、今後何が出来るかを考え、計画を立てる。沖縄は初めてなので、日本周遊の旅の一つでもある。沖縄に行くと日本周遊は紀伊半島を残すのみとなる。日本周遊が終わると、海外にも行ってみたい。気になる所は、台湾、韓国、それとヨーロッパ。いつか自転車の旅をやるのだろう。
今回の旅も充実して楽しかった。こんな贅沢な旅が出来るのは、家族の犠牲の上で成り立っているのだが、敢えて犠牲になってくれた家族に対しても悔いのない旅にしたい。その日本周遊もゴールが見えて来ている。


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