Ride in Setouchi & San-in Day 122 (15/7/19) Shoryu-ji Castle Ruins 勝龍寺城跡
Yamazaki Batte Fied 山崎合戦古戦場跡
Igenoyama Kofun Tumulus 恵解山古墳
Sakaino Kofun No. 1 Tumulus 境野一号古墳
Shoryu-ji Castle Ruins 勝龍寺城跡
Yodo Castle Ruins 淀城跡
Yodo Old Castle Ruins 淀古城跡
Yamazaki Batte Fied 山崎合戦古戦場跡
羽柴秀吉が備中高松城から中国大返しの後、天正10年 (1582年) 6月13日に明智光秀と雌雄を決した合戦場跡。天王山の戦いとも呼ばれている。両軍は12日頃から円明寺川(現・小泉川)を挟んで対陣していた。
小泉川は今では川幅も狭く、合戦当時はもっと広かったのだろう。天王山がすぐそこに見える。古戦場跡は上を高速道路が走っていて、その下が小さな公園になっている。そこに古戦場跡の碑がひっそりと立っていた。
小泉川 向こうに天王山が見える。
秀吉は男山に本陣を置いていた。ここは淀川と木津川が交わる場所。二つの川共に長いサイクリングロードが整備されて休日はサイクリストでいっぱい。
男山 岩清水八幡宮で有名なところ。
木津川 サイクリングロードは木津川まで続く。以前2回走った。
淀川 サイクリングロードは梅田近くまである。3-4回は走っている。
二つの川の合流点には中洲があり、そこにサイクリストがいつも集まっている。
光秀は本陣を古墳跡の御坊塚に敷いたと言われている。これはまだ議論されているそうだ。古墳跡を利用した事は確かなようだが、この近くには古墳が山ほどあり、どの古墳跡が本陣だったか、それぞれの古墳のある地区 (長岡京市、乙訓郡大山崎町) が、その議論に火花を散らしている。自分の地区の古墳が本陣だったかどうかで、観光に影響があるので、両者譲らない。長岡京市も大山崎町も元は同じ乙訓郡であった。平成の大合併で乙訓郡は3つに分かれて合併した。現在はこの3地区が合併すべきかどうかの議論がある。中には京都府ではなく、大阪府の高槻市との合併の案まで検討している地区もある。この手の合併は色々な考えがあり、難しい。どうも長岡京市は大山崎町との合併には消極的なようだ。決して仲が良いようには見えない。サントリー、アサヒビール、村田製作所といった大企業もあり、合併後の利害関係で意見が一致しない。よく言われるのは、片方が合併の利点がないとして渋るのだが、双方にとって利益があるケースは稀だ。根が深い問題。
Igenoyama Kofun Tumulus 恵解山古墳
長岡京市が光秀の本陣と主張しているのはその市内にある恵解山 (いげのやま) 古墳。綺麗に整備して、観光客の来訪に備えている。
山崎合戦との関係については比較的謙虚に光秀本陣の可能性があるとしている。
Sakaino Kofun No. 1 Tumulus 境野一号古墳
一方、乙訓郡大山崎町の方は境野一号塚を本陣として主張。観光客に見せるような設備にはなっていないが、こちらはしたたかに、光秀本陣跡の石碑を建ててしまっている。
Shoryu-ji Castle Ruins 勝龍寺城跡
光秀は数時間で山崎合戦で敗れ、この勝龍寺城に退却して来ている。よく議論されるのは、何故、光秀は天王山を抑えなかったのか?という事。 私見だが、天王山を抑えたとしても、やはり負けているだろう。時勢は秀吉に傾いていた。秀吉側にはつかないにしても、光秀には呼応しない大名が多かった。光秀は頭も切れ、人柄も良かった。ただ、リーダーとしてのカリスマ性に欠けていた。中間管理職としては信頼できる上司だが、ビジョンで動かすトップの素質にはかけていた事が、味方が出来なかった理由ですあろう。秀光にトップになって欲しいと思っている人が少なかったのではないだろうか。個人的想像だが、光秀は自分がトップになるべきとは思っていただろうが、秀吉の動きを把握できず、中国大返しに驚愕、呼応を求めた大名が集まらない。自分の頭で組み立てたシナリオとは全く違う状況で時が進んでいく。あまりにも思っていた展開と違い、頭が真っ白になったのではないだろうか、それが決断を遅らせて、的確な行動が取れなかったと想像している。天王山もセオリーでは抑えるべきとはわかっていただろうが、抑えた後のシナリオが描けずに、悶々ととしているうちに秀吉に抑えられてしまったのではないか。論理的に動く人は、その論理が最後まで完成し、納得出来ないと動けない。考えがまとまらないうちに動くとその後のシナリオの前提条件が不確定になるからだ。ある資料には天王山、また別の資料は男山には一度は進軍していたが、勝龍寺に戻ったとある。これも、天王山、男山の布陣で勝てるシナリオが描けずに、もう一度考えてみようと気持ちが平静に保てる勝龍寺に戻ったと思う。別の議論は何故兵力に圧倒的な差があるのに野戦を選んだか? 地元の坂本城で籠城も考えられたのでは? これはいずれ負けるシナリオと光秀は判断していただろう。籠城戦は援軍が期待できる場合は良いが、光秀の場合は、味方を要請した大名からはそっぽを向かれ、援軍は期待できなかった。だから野戦しかなかった。おそらく負ける可能性が高いとは知っていただろう。本能寺の変の前から、山崎合戦で敗走するまでの心理状態はかなり不安定であっただろう。いずれにせよ、光秀ではその後の歴史は作れなかっただろう。リーダーの大きな役割の一つは決断だ。それも決断すべきタイミングを分かっている必要がある。その時期がくれば、結論が出ていようがいまいが、その時の材料で決断をする必要がある。光秀にはこの山崎合戦では、それが欠けていた。やはり国のトップとしてのリーダーにはなり得ない。来年の大河ドラマで光秀をどう描くのか興味のあるところだ。
この城は南北朝時代に北朝の細川氏が築城したとされている。戦国時代末期には松永弾正、三好三人衆の勢力下であった。織田信長がこの城をはじめ周辺の城を落とし、三好三人衆を阿波に追いやり、細川藤孝が城主となり改修をした。細川藤孝の嫡男の忠興と明智光秀の娘の玉がこの城で婚礼を行い、新婚生活の場所で、場内には二人の像が立っている。この城を居城としていた時はまだ、玉はキリシタンではなくガラシャとは名乗っていなかったが、ここ長岡京市には城から長岡京駅までの通りをガラシャ通りとし、毎年ガラシャ祭りが開催されている。細川藤孝(幽斎)と明智光秀は共に足利義昭に使え親交も深かったが、藤孝は光秀の呼応には応じず、剃髪をし幽斎と名乗った。最も近いと思っていた藤孝も味方に付かなかった。藤孝の心の中も複雑だっただろう。秀吉勢が有利と見ていただろうが、あからさまの光秀を攻めるわけにもいかず、剃髪して、このゴタゴタからのがれた。この藤孝と忠興親子は、足利義昭、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と主君を変え、生き延びた。時勢を読むに長けていたのだろう。
この勝龍寺にはボランティアガイドに案内をしていただいたのだが、大河ドラマの効果を非常に気にしていた。勝龍寺城がどれだけ取り上げられるのかが気になって仕方がない。軍師官兵衛の時は姫路市がリーダーシップを取り、ドラマに関係のある市町村と話をしていた。三木市も三木合戦がドラマ内で大きく取り上げられるように働きかけをしていた。半年以上前にどのような場面に三木の別所長治が出てくるかは分かっていた。この勝龍寺がどれぐらい取り上げられるのかはまだ話が来ていないと言っていたので、あまり期待できないとは思う。大河ドラマで紹介されるかどうは観光に随分と影響があるので、各市町村はしたたかに動いている。
大手門
北門
沼田丸への通路/沼田丸 本丸の土塁を上がると、真下に公園になっている沼田丸跡がある。向こうには天王山が臨める。沼田丸は細川藤孝の妻の実家の沼田氏が住んでいたのではないかと考えられている。
神足屋敷跡 (土塁、神足神社)
大門
Yodo Castle Ruins 淀城跡
前述で淀川と木津川が合流している所を紹介したが、この合流点には中洲が出来ている。淀城はその中洲に築城されていた。中洲とは言っても小さなものではなくかなり大きな中洲で中には街があり 多くの人が住んでいる。この淀城だが、二つあった。一つは秀吉の淀君の居城であったもの。これは淀古城と呼ばれている。もう一つは江戸時代のもの。こちらが淀城と呼ばれている。まずはこの淀城を訪れた。
江戸時代に、木幡山にあった徳川氏の伏見城の廃城により、その代わりとして江戸幕府が松平定綱に命じて新たに築かせた。以降は、山城国唯一の大名家の居城として明治に至った。現在は公園になっている。
CG復元図
Yodo Old Castle Ruins 淀古城跡
城の始まりは、山城守護 畠山政長が応仁の乱に西軍の畠山義就に備えるため、守護所を勝竜寺城から当城に移したとされている。その後、細川氏が掌握。豊臣秀吉がこの城を改修して淀君の居城とする。 遺構は全く残っておらずこの妙高寺は古城の城下町の一角にあったというだけ。秀吉が側室茶々の産所として築城した淀古城の碑が建っているがここに城があったわけではない。秀吉の評価されない晩年はこの淀君ののめり込みすぎた事が大きな原因だ。男は時に女で人生をダメにしてしまうが、これはどの時代でも同じだ。淀君の存在が無ければ秀吉の晩年は歴史は少しはマシになったかもしれない。前述の勝龍寺城の石垣や木材が淀城築城に使われた。
ちなみに、この一帯は幕末に鳥羽伏見の戦いがあった場所。京都と大阪の中間点にある。
足が少し痛むので、今日の訪問は切り上げて休めるところで休憩をして、宿の向かう。当分山登りは控えなければならないだろう。
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2019.07.18 08:19