Ride in Setouchi & San-in Day 121 (14/7/19) Kameyama Castle Ruins 亀山城跡

Kameyama Castle Ruins 亀山城跡
朝みんなで朝食をし、

Kameyama Castle Ruins 亀山城跡

織田信長の命で丹波攻略の為に、明智光秀が、天正6年 (1578年) に築城。丹波平定後は丹波経営の拠点であったが、本能寺の変の後は秀吉の重要拠点として、羽柴秀勝、豊臣秀勝、小早川秀秋、前田玄以などが入城。
秀吉の死後は、徳川家康もこの城を重要視し、譜代大名の岡部長盛が入封し、丹波亀山藩が始まり明治まで続く。1889年 (明治22年) に市町村に払い下げされ転売されるたが、放置され荒廃。1919年 (大正8年) 宗教法人大本が購入。
城は殆どが大本教の本部になっており、自由には見学は出来ない。大本教の受付で見学の許可を取り、石垣だけを見ることができる。この石垣も教徒たちで修復されたものらしい。大本教の本部になっているので、亀岡市は手出しは出来ない。来年大河ドラマは明智光秀が主人公だが、多分、この亀山城が観光のメインにはならないだろう。大本教本部には亀山城のパネル展示やビデオ上映があるが、内容は大本教のPRが多く入っている。
堀跡
大本教が所有する城跡の外には門や番所の跡地の立札はあるが遺構も無い。それも形だけの物の様に見受けられた。城下町としての古い建物はチラホラ見受けられるが、それ程多く無い。亀岡市としても亀山城を観光の目玉としては使えなく、悩んでいるのではないだろうか。
余談なのだが、大本教について少し触れる。他の信仰宗教とは少し変わった歴史を持っている。それは国家から邪宗として2度にわたり弾圧を受け、ここの神殿もその都度徹底的に破壊されている。この旅で、神道系信仰宗教の本部をいくつか見た。これは日本の特殊な事情が絡んでいると思う。長い間、神仏集合を基本としていたが明治に天皇中心の中央集権体制にもっていく為に、神仏分離で国家神道の概念が起こり、当時、神道から出た宗教は1875年に教派神道として政府に認められていた。この大本今日は京都府の綾部町 (現 綾部市) で1898年に教団が設立された。教派神道発足より20年程遅れてのことであった。新しい教団であった為、教派神道としては分類されていなかった。(1956年 (昭和31年) に加盟) 政界と結びつきを強め信者数を増大させた。この事と協議が国家神道を否定する内容が含まれていた事により、軍部が主導権を握っていた大正、昭和時代に大弾圧を受ける。政府のでっち上げの感が強い様に思える。) 教団内の派閥争いなどで、複数の派閥が離れ新しい組織を作るものもあった。生長の家はこのうち最も大きく大本教よりも信者数は多くなっている。この亀山城跡にある教団はとても綺麗に整備されている。どこかの庭園に来たかの様だ。どこもそうだが大きな信仰宗教法人は金がある。ここもそうだろう。
参考まで
亀山城を見終わり後15キロで京都だが、京都へ8キロ時点で雨が降り出す強くなってきた。今日2つ目の峠超えの歩行者/自転車専用トンネルで1時間ほど雨宿りをするが、一向に止まない。夕方近くなっているので意を決して出発。濡れながら宿に到着。
今日は2度の峠越えと60キロ走行という事で、足に負担がかなりかかっているのだろう、今夜発表足首が痛む。数日前ほどでは無いが、もう少し休める必要があったようだ。明日からはほとんど平坦道なので、ゆっくり峠走れば何とかなるだろう。

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